日本の背骨を歩く旅2

 3月21日、また生野のPSWさんに誘われて、生野の地域の方と一緒に分水嶺ウォーキングに参加しました。前日の天気予報は雨。その前夜に「春の嵐」がやってきて、朝にも雨がぱらぱらしていたので、天気の悪いウォーキングになるのではと思っていましたが、歩き始めると太陽が顔をだし、少し寒かったですが、いいウォーキング日和となりました。
 前回は、自己紹介なくスタートしていまい、私はメンバーがよく分からなったし、私のことも知らない人ばかりになってしまったのですが、今回は挨拶できました。みなさん奥銀谷の方なのに、一山越えてやってきたマスク姿の見ず知らずの私が・・・。「井上製材所の親類です」と紹介してもらったら、みなさん「あ~!」とわかってくださいました。

 今回の出発地点は前回と同じ旧・奥銀谷小学校。そこから左手にある曹洞宗の大用禅寺の檀家さんのお墓を通り抜けて山へ入っていきました。
c0118495_1813476.jpg

そこでは、内山寺~鷲原寺の間にある石仏の一体がお墓の中に移動されているらしいのを見たり、PSWさんのおうちのお墓を見学させていただきました。
c0118495_1923737.jpg
(内山寺の参道から移動したらしい、観音さまの石像?)

そして、山に入ったのですが・・・・、どうやら、登る尾根を間違ったらしく、いきなり結構急な登りでした(私は今回は登山靴とトレッキングポールを身に付けていたのでらくらく登れました)
こっちが本当の道。緩やかな尾根です。
c0118495_19214595.jpg


登ってきたのはこちらの急な坂・・・。
c0118495_1924194.jpg
途中から勾配がきつくなっているので、下が見えません・・。

どんどん登っていくと、雑木林の中に一部だけ桧の林になっているところがありました。
c0118495_19251839.jpg

途中の山道で、枯れたシダがたくさん生えているとことがありました。お話では鉱脈があるところには「カナクサ・カネクサ」とよばれるシダがたくさん生えているそうです。この一部だけに特にたくさんシダがあったので、ここも鉱脈なのかなぁと思いました。
c0118495_19303557.jpg
(昔の地図をも見るとこのあたりもたくさん鉱脈があったみたいです)

さらに登っていくと尾根にでて、中央分水嶺にでました。ここは昔、テレビの共同アンテナがあったらしく、そのケーブルが残っていました。
c0118495_19333085.jpg


分水嶺から少しさがって、目指すのは太盛山。太盛山からの景色は絶景でした。すぐ下に、奥銀谷の町並みと緑ヶ丘集落、左手に銀山湖をみることができました。
c0118495_19435744.jpg
(中央に見えるのが銀山湖)

絶景を楽しんだ後は、共同アンテナがあった場所までもどり、役割を終えた共同アンテナの残骸を見ました。
c0118495_19315557.jpg
(持ってみるとアルミ製なので、軽かったです)

そして、古城山へ向かいました。途中に過剰開発された崖を見学しました。
c0118495_19451257.jpg
(懐かしい・・・前に来たときはまだ山を歩きなれていなかったので、このあたりもびくびくしながら歩いていました)崖の先に見えた煙突。
c0118495_19463630.jpg

これは、精錬をする時に出るガスの煙突だったそうです。この煙突はカラミ石で出来ているそうです。この煙突からでるガスはかなり環境によくないもので、煙害のために山がハゲ山になったそうです。(煙突の向こうにはクズの石がほかされているダムが見えます)
確かに昔の写真を見ると、木が少ないことがよく分かります。
c0118495_19472857.jpg
(明治20年ごろのこの付近の山の様子。『生野銀山』より)
c0118495_19495030.jpg
(明治40年ごろの様子。薄くて見えにくいですが、山に木はほとんどありません。こんなに木が無いと洪水が頻繁に起こってたのではと思いました。こちらも『生野銀山』より)

今回のルートにこの煙突の見学もあったのですが、思ったよりも遠かったということでパスされました。


尾根づたいに歩いて、古城山までやってきました。
c0118495_20175573.jpg
(太盛山からの景色もよかったですが、こちらの市街地の風景も眺めがよかったです)。

最後はびわの丸公園に続く整備された道をくねぐね降りてきました。

最後の最後にローラーの滑り台があったので、それを滑って平地に帰ってきました。(ギリギリ体重制限はかかっていないようでしたが、年齢制限はかかってきていたかも・・・??笑)
 山の最後に歩いたびわの丸公園と古城山への道の整備費はふるさと創世事業の一部が使われたそうです。(旧・神崎町はなんだったっけと思い、父に問うと、東柏尾地区にある「桜華園」の整備に使われたそうです。最近になってやっと桜の博物館らしくなりましたが、遠くからみるとハゲ山でした・・)

びわの丸公園から奥銀谷まで戻るのには寺町の上の道を歩いて帰ってきました。途中「山社宅」のならぶ所には、たくさんの生野瓦とカラミ石がおいてあるところがありました。生野瓦は鉄分を多く含む土を使うことで、寒さに強い赤褐色なのが特徴だそうです。
c0118495_19551466.jpg
(生野瓦)
c0118495_19561768.jpg
(一ついただきたい「カラミ石」。どこかの塀だったみたいです。)

自由解散後は、マロニエでハヤシライスをいただきました。
c0118495_19574357.jpg

(茶房・ごとんぼさんもおいしかったけれど、マロニエさんも美味しい!)

前回歩いた時は「びわの丸公園から登って、分水嶺を縦走して、途中内山寺に寄って釜床山まで歩いた」のですが、逆からくると、同じ風景でも全く道が違うように見えました。前に歩いた時よりも楽に歩けたのは私に少し体力がついたからなのかなぁと勝手に納得していました。

 生野の山歩きを楽しんだ後は、白口峠を越えて作畑に戻り、正覚寺にあるお墓をお参りをしました。
我が家と、そして井上製材所とウチの総本家になるお家のお墓(みんな総本家からの新宅なので姓は同じです)もお参りしました。ウチのお墓の前に並ぶ総本家のお墓の中で一番古そうな形のものの文字を読んでみると「元禄」と読めました。(あと、寛保という文字も読めましたが、他は風化が激しいのと、ぎちぎちに並んでいたので読めませんでした)元禄というと、1700年前後には我が家の古いご先祖さまは作畑にいらしゃったようです。
c0118495_19591045.jpg
(作畑・正覚寺から下村・妙見山方面をみる。)
 
 今日も、一日楽しい時間をありがとうございました。
 生野という町は山を挟んでとなりなので、実際には距離が近いのですが、今までそんなに行く機会がなかったので、遠いと思っていました。何度か生野の山を歩き、地理や歴史が見えてきたことで、心理的にも、とても近く感じるようになりました。作畑と生野、昔はもっと交流があったと思います。作畑でも、地域の人を対象にした「お宝作り(体験づくり)」で、白口峠周辺のウォーキングをしたらおもしろくなるかも・・と勝手に思いました。
そうだ、SC作新のウォーキングの活動でどうなんやろう・・・?せっかく名ばかりではないウォーキング部があるんのですから。きっと無理な企画やとおもいますが・・・。生野の方も一緒に、合同ウォーキングをしたら、「社会的距離も近くなる」かも知れないと思いました。
 そんなことを作畑と生野、どちらも縁の深い総本家のお墓の前で考えていました。
[PR]
by deity_river | 2010-03-22 22:11 | しゅみ

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。