人気ブログランキング | 話題のタグを見る

お墓へ

 先日、『わたしたちの町 かんざき』の「新田開発物語」を読んでいて、ふと自分の家のお墓を見に行きたくなり、さっそく、正覚寺の奥に並ぶお墓を見に行きました。

ウチの家のお墓は新しいので(私で5代目)、まだ心経は覚えきっていないので、何度か南無阿弥陀仏を唱えてから、ウチの家のお墓たちの前に並ぶ総本家の古いお墓たちを拝見しました。(残念ながら総本家の過去帳は行方不明です。)

一番古いと思われるお墓の年号は「元禄」と見えます。
そこには「信士と信女」の文字が。
お墓へ_c0118495_22214950.jpg


二番目に古いと思われる自然石のお墓には「寛保」の文字が見えました。
お墓へ_c0118495_22283357.jpg

しかし、二番目に古いと思われるお墓の方が風化が激しくて、下のほうの文字が読めませんでした・・・。

一番古いと思われるもので「信士・信女」ってことは、やはり、「新田開発物語」で言われている通り、「居士」というくらいは当時は本当に位がたかかったんやなーと思いました。


 いつも、気になっては調べようとしていることがあります。
それは「うちの祖先はどこからやってきたのか?」ということです。
祖父の話では、「総本家の最後の代ので、17代か18代やって聞いとる」と言っていたので、相当古かったんやんやなーと思います。

作畑地区にはそんなにたくさんの姓はありません。
大きく分けると「足立」「林」「笹倉」「井上」かなぁと思います。他にも、少しずついろんな姓はあります。
「足立」さんのルーツはいろんな方が本にも書かれていますが「武蔵国足立郡の足立遠政が丹波の氷上の地頭職として移住し、そこから広がった」ということらしいです。(私も、「足立さん」と縁の深いですので、このネタも気になったときにちょこちょこ研究しているのですが、もっと詳しく調べないといけないですね・・)
「林」さんは、「多可町八千代の野間山城が敵に囲まれ落ち延びる時に城主の一族うちの一人が家臣とともに作畑に逃げてきて、姓を林に改めた」といういいつたえがあります。
「笹倉」さんは、よく分かっていませんが、親戚のおいさんのお話では「加西市の笹倉町からやってきたのでは?」という推測を伺っています。

さてさて、問題の「井上」さん。
全国にもたくさん姓があります。
誠太郎さんのお話では、林さんや、笹倉さんと同じ東の方からの流れでは??と教えて頂いていますが、その証拠がないので、自分の中でまだ謎のままです。
一番古いお墓と思われる方は一体どこからきちゃったのでしょうか・・・?

私が問いかけても、お墓たちはだまって私の方を見つめていらっしゃいました。
(そりゃそうですよねー。話しかけられたら、余計に恐い・・・。)

そして、そこを後にしました。
次くる時までに、何かヒントが得られたらなぁと思います。
by deity_river | 2010-05-03 22:24 | いいつたえ

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。

by deity_river