「いも峠」にいってみたい!(聞き取り調査編)

 『おちの里史誌』の交通の文書を読んでいると、こんな記述がありました。

一.粟賀の庄より安楽田の庄に通じたるもの。(峠の松)
  根宇野村より岩屋茶木原を経て「いも峠」を越え桜谷より石仏峠に至り更に金蔵山より的場に下がる。かくして他種部落を避けたる路線あり、是れ昔時の京街道とみるべし。

 明治の初年村道改修の事あり本村より多可郡松井の庄に通ずる高坂の改修をなし現在の位置に変更改築したり。(松の峠を保存すべく幕府の命あり)岩屋村日役を称して奉仕事業に依る。


京街道にある「いも峠」というところがいったいどこにあるのか気になっていました。
まえに、気になっていたときには、この文書と地図とをにらめっこして、自分なりに「いも峠」と呼ばれそうなところを勝手に想像して、納得していたので、自分の中で解決していました。

 しかし、やまあそさんから、急に「桜谷」やら、「石仏峠」というのはどこやろうね~」と問いかけを頂き、再び、「いも峠」について再調査することにしました。
というのも、加古川流域に住むやまあそさんが、「多可町で、聞き取り調査にいってきます」とゆうてんで、私の心にライバル心がメラメラと燃えはじめました。「なら、自分は越知谷側(市川流域側)から、『いも峠』について調べます!」と言ってしまいました。
しかし、いつもの悪い癖で、なかなか調査にいけません。
先に、やまあそさんが、聞き取り調査にいってこられて、ええ収穫があったわという報告聞いて、再び、メラメラした気持ち(競争心?)に火が付きました。

私の気になっていっていることは、「いも峠」、「桜谷」、「石仏峠」の位置と、この文章の出典はどこなのかということです。


 まず、私は、誰に聞いたらこの答えに近づけるのか考えました。
最初に、私の作畑学の師匠の誠太郎さんの顔が浮かびましたが、前に、「こんな道しらんなぁ」という話を聞いたことがあったので、とりあえず、山のことには詳しい祖父に聞きました。
しかし、祖父からはまったくヒントが得られませんでした。祖父は生野の青草峠や白口峠、梅ヶ畑越え、東には市原峠や多田坂は通ったことがあるそうですが、この道は知らないとのこと。残念。

そして、作畑を散歩している時に、作畑で一番長老(?)のやまだの賢二さんに伺いましたが、「さー、しらんなぁ・・・。」とのこと。やはり、祖父と同じで、作畑から東へ行くのには、市原峠か多田坂を使っていたそうです。作畑はこれ以上聞き取り調査をしても、なにもヒントが得られそうにありません。
どうしよう・・・と思ったときに、この本を頂いた越知の郵便局長さんなら、この本の書いている方をご存知ではとひらめき、聞きにいきました。
局長さんからは「それなら、編集委員長が越知のMさんだから何かご存知かも・・・」と、伺い、Mさんを伺いました。

Mさんにこの記事のことを質問しましたが、よく分からないとこのお返事を頂き、こういう昔のことは越知の藤原さんがくわしいし、岩屋地区のことだから、岩屋の方に聞くのが一番。区長さんなら何かご存知では・・・とお答えを頂きました。

 
そして、岩屋の区長さん宅を訪問しました。
そしたら、区長さんと奥さんが快く私のお話を聞いてくださいました。
私が、『おちの里史誌』のそのページと地図を提示して、質問しました。私が、自分なりに考えた『いも峠』を説明したら、区長さんは「ちょっと待って」といわれて、どこかへ行かれました。
帰ってこられたときには、大きな地図をお持ちでした。それは、岩屋地区の山の地籍調査をした時のものだそうです。
その山の地籍の地図を見ながら、「いや、それは違う。あんたがゆうてる峠は『大屋坂』や」といわれました。
え~!!今の今まで、そこが「いも峠」だと思っていたので、目から鱗が落ちたような衝撃でした。
大屋坂と聞いて、私は「養父の大屋町?」と思って、いたのですが、私が口に出すよりも先に奥さんが「養父の大屋ちゃうよ」とゆうてくれちゃったです。そういえば、前に笠形山に行った時に、帰りはNご夫妻とYさんと一緒に大屋コースを下りたことを思い出しました。八千代町の大屋へつながる坂ということでしょう。

そして、地籍の地図を見ながら別のルートをさされました。ここも峠や。
私の神河町全図の岩屋あたりを見ました。確かに、そこには点線はないですが、区長さんの指す指の先には峠のようなところがありました。
「ここをあんたの探しとる『いも峠』っちゅうのんかは知らんけど、ここは昔、通りよった道やで。わしも10年ほど前にここを歩いたな。そして、ここが「桜谷」。これはまちがいないな。“茶木原からいも峠を通って、桜谷を通る”っていう言葉に合う道はこれのことやわ。ほんで、石仏峠っちゅうんはわからんけど、昔、岩屋の人はよう金蔵寺にお参りにいきよちゃったんやけど、この道っていうのはきいてるで~」と地図を指さしながら教えてくれちゃったのです。

えー、ここがその本に書いてある道ですか!とひとりで興奮していると、区長さんが、玄関を出られて、家の前に見える山の風景を指さしながら教えてくれました。
「あれが笠形山。笠を被っとるように山頂が丸いやろ?ほんで、あそこが茶木原、これをまっすぐ上がると大屋坂。ほんで、これがあんたが探しとる「いも峠」やな。ここから見たら全部近いようやけど、山田や根宇野の方からみたら、もっと地形が分かりやすいで」とアドバイスしてくださいました。
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(笠形山を神子ヶ谷からみる)

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(区長さんいわく、写真左のほうのタワになっているところが「いも峠」だそう)



そして、根宇野のあたりから、いも峠と大屋坂を観察していました。
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(一番左のタワが「いも峠?」で、右の大きなタワが「大屋坂」)


こうやって、いろいろ聞き取るのは楽しいですね。
聞き取っていたらますます歩きたくなりました。

突然、訪問したのにも関わらず、越知の郵便局長さん、Mさん、岩屋の区長さん、私にいろいろ教えて下さってありがとうございます。これで、心のひっかかりが取れました。
伺ったお話を参考に歩いてみようと思います。

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 上の文書を書いてから、『おちの里史誌』の私が気になっていたこの文章を執筆された越知の藤原さんにお会いしました。
藤原さんのお話では、岩屋区長さんから聞いた「いも峠」との位置とはすこし違いました。
区長さんより、手前(南)の場所を指されていたし、「桜谷」ももうすこし広範囲でした。
どちらもだいたい同じようなところでしたが、微妙に違っていたので、おもしろいなぁと思いながら伺っていました。

この実践編は区長さんからのお話を参考に歩きましたが、レポートを書くときには藤原さんからのお話も入れながら作成中しようとおもいます。
いろんな方に話を伺ってみないと分からないことと、たくさんありますね。
レポートをおたのしみに・・・。(いつできあがるのやら)

 
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by deity_river | 2010-12-22 23:28 | ふうけい

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。