2つの神社跡をさぐっていたら・・・・。(the other story)

 昨年7月に餅耕地の朝日家へお伺いした帰りに、斎神社へ寄りました。
そこには、「お走り祭り」の看板がありました。
それをみたやまあそさんに「昔は、御祓山の山頂(近く)に御井神社っていうのがあって、お走り祭りの時にはそこまで神輿を担いであがっていたらしいで」と聞きました。
そして、いつかその場所も行って見てみたいと言われていました。

 それから半年、お正月に但馬の祖母と話しているときに、ふいに「お走り祭り」の話になりました。
祖母は、船谷の日枝神社で、お走り祭りの神輿が休憩しているのを小さいとときから見ているそうです。

私の頭の片隅には、いつか、その「お走り祭り」を見てみたいという気持ちが湧いてきました。
調べてみると、それは、4月の中頃とのこと。
きっと平日だろうと思って、あきらめていましたが、今年は4月17日でした。
私が、作畑観音講へお参りに行っていた日・・・・。
この日にお祭りだったと知ったのは、終わったあとでした。
それを知ったと気には、とっても悔しい思いでいっぱいでした。

 しかし、GW間近、やまあそさんから「みはらいやまのみい神社あとにゆきます」と連絡がありました。
御祓山の御井神社跡・・・・。
たしか、お走り祭りの神輿がかつてあがっていたと聞いたことが記憶の片隅からよみがえってきました。
見れることができなかったお祭りの代わりに、絶対に行ってみたい場所です。
それに、お走り祭りと関係なくても、「山にかつて神社があった」と聞いたら、興味が湧くわたしです。
どうしても、自分の目で神社が一体どこにあったのか、確かめて見たかったので、無理を言って、私の都合にあわせていただきました。

 やまあそさんの考えてくださったルートはみづめ桜をみて、御井神社の跡を探した後に、御祓山までいき、そこから西に向かって延びていてる尾根をつたって、大屋富士まで行くそうです。そのピークの手前(東側)にはふもとの糸原地区の産霊神社の跡があるそうです。今日は2つも神社跡を見ることができるコースです。


 5月2日。
私にお走り祭りへの興味の種をまいた?やまあそさんと一緒にいくことになりました。

大屋糸原地区の南の谷、みずめ桜のある谷が駐車場です。
私たちが着いたときには3台の車が止まっていました。
あれれ?そのうちの1台のナンバーに見覚えがあります。(私は車種は覚えられませんが、番号はだいたい覚えることができます。分かりやすいと、すぐに覚えます)
もしかして、笠形山で偶然お会いしたNご夫妻?

そして、いよいよ最初の目的地、「みずめ桜」に向かってスタートです。
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最初は杉の林の林道です。橋には、林道鉄道に使っていたレールが欄干になっています。
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(そこにのってみるやまあそさん)
しばらく行くと、明るい森です。
ここは「ミツバツツジ」がたくさんあり、斜面がピンク色になることで有名なのですが、ちょっと時期がおそかったので、ツツジはほとんど終わっていました。でもところどころでかろうじでのこっていたので、それを観察ながら、歩きました。
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右手には、スリガ峰(大杉山)とアオマ山(須留ヶ峰)がよく見えています。
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(左のピークがスリガ峰・右のピークがアオマ山)

その間、みずめ桜までの距離をしめした看板がたくさんありました。
ここで500m。
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次の看板は、あれれ?
数字が増えている?歩いたのに、目的地までの距離が延びるのは何故なのでしょう・・・。
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(しかも、8に×がついて、下に700mと書き直しが・・・)

そうこういっているうちに、「みずめ桜」が見えてきました。
そしたら、桜の木の近くにご夫妻の姿が・・・。

わたしはNご夫妻だとわかったいたので、おどろかそうと思って、やまあそさんの後ろにかくれて様子を伺っていましたが、夫人が手を振られていたので、ばれたのか~っと思って、手を振りかえしたら、実はわたしたちを別の夫妻だと思って手を振られていたとのこと。
そして、笠形山以来の偶然の出会いに、みずめ桜の下で話が盛り上がりました。
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(本当に奇遇でしたね~。その2日後は、山ちゃんと「またに山」に行く予定だったのですが、ご夫妻もご一緒であることをここで知りました。)

私はてっきり、今から山頂に行かれるのかと思い込んでいましたが、Nご夫妻はすでに山頂にいかれ、下山途中でした。え~、早い!私たち、いまから登って、御祓山の山頂で昼食だったらいいなぁとうペースだったんですけど・・・・。

偶然の出会いに惜しみつつ、私たちのコースはこれからなので、別れを告げました。
桜の木のところまで来ると、男性がカメラで桜をとっておられました。
看板には樹齢約600年とあります。ということは1400年代から生きているということですか・・・。
私には信じられません。
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(これがみずめ桜です)
そして、しばらくすると、単独男性ハイカーさんとすれ違いました。その方も下山途中。
ということは、これで、下に駐車してあった車の持ち主の方とはみんなすれ違ったことになります。

そして、尾根に入ると、ロープが・・・。
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(地面にはケーブルがあります)
ロープもって登るのは苦手です。私のストックを持ってもらい、ロープを握って登りますが、
そんな登り方危ない!と上からやまあそさんに叱られます。
「ロープを両手で持ってしまうと、ロープに頼っていることになるから、万が一ロープが切れたら、斜面から滑りおちてしまうやんか!ロープを持つなら片手だけで、もう一方で地面につく。」とのこと。はい。以後、気をつけます。

そして、尾根へ。
尾根にでると、テレビの共同アンテナの部品が落ちています。
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これは真空管というものらしいです。
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アナログ世界?に生きている私にはさっぱり。
私に機械のことは何を言っても無理だと思ったやまあそさんは、説明さえもしてくれなくなりました。
(だって、小中学校で教わらなかったんです、と言い訳する。実際そうなんですけどね・・・。)こちらはアンテナの残骸・・・・。
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(確か、生野の太盛山でも同じような状態のものをみました。)

 御井神社の跡が正確には分からなかったので、少し休憩して、体力を戻してから、探しました。
すると、やまそさんは、すぐに見つけれました。でも、私にはわからず、ついていくと、確かに尾根からちょっと降りたところに石碑がありました。実は、場所しっていたんちゃうん?というぐらい、本当にあっさり見つかりました。
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特に石碑に、年号や世話人の名前はありません。
やまあそさんは、「この石碑のあるところは、地形的にお社がかつてあった場所にみえへんなぁ。だいたいこの場所やと思うけど、広さでいったら、もう少し東の方がなるいところが広いし・・・」といわれました。
このあたりに、なにか石垣でもあれば、そこがかつての神社跡だと明確に分かりますが、ミズナラ?の木がたくさんあり、落葉がすごくて、そんな跡はまったく見つかりませんでした。
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(神社の跡っぽい広い尾根)

そして、御祓山への登山コースに戻って、山頂へいき、昼食です。
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山頂からは、千ヶ峰も見えるとのことですが、あまりにも黄砂がひどくて、まったくみえず・・・。


昼食後は、西へと延びている尾根につたって歩きます。
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途中に、いきなり林道が・・・。林道を歩きました。

そして、今度は林道から外れます
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(はずれるポイントには何故がバイク?のテールランプ?がある)

まだ尾根を歩きます。
途中、やまあそさんは左手に見える山の斜面を観察されています。今から行く産霊神社の跡を見た後に、糸原集落におりる道を探されています。
神社跡なので、村の人が参拝するために使っていた山道がのこっているといいのですが、なくなっている可能大なのと、地形図でみると、結構急な斜面だったで安全に下りられる道をさがしているとのこと。
わたしは、まったく林道に気がつきませんが、やまあそさんは発見されました。指さされても、分からないのが私。

なんて観察力がないのだろうと、嘆きながら歩いていると、今度は怪しい石が。
粘土質の土に丸い石が大量に挟まっています。
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これをみたやまあそさんは「この丸いのは河原の石やん。ってことは、今はここは山の上になっとるけど、昔は川で、地殻変動によってここまであがってきたんやわ。昔、スリガ峰(大杉山)の山頂が海にあったころ、船が行き来している時に、船の底がスリガ峰の山頂をこすったから“スリガ峰”っていう名前がついたって民話にあったやん」といわれました。
但馬は、昔、泥の海だったというのはたくさんの民話に出てきますが、この丸い石たちが、証拠(?)です!!

そして、天狗岩っぽい岩をみつける。そこに乗ってみる。
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(あのピークが「大屋富士」!)

遊んだあとは、また歩き始めました。
鹿柵が現われ、鹿柵沿いに歩きます。
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(途中、いくつかゲートをあける)

そして、鹿柵沿いから少し右手の杉林の中に入ってゆくとに、いかにも神社跡という場所が見えてきました。
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その真ん中に「村社之旧趾」と刻まれた跡碑があります。
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裏を見ると「明治39年午八月 移転」とあります。

私たちは、神社の参道があっただろうと思われる斜面を観察しますが、それらしきものはみつからず・・・しかも、急。

なので、さっき、尾根伝いに歩いているときに見つけた、大屋富士と言われているピークの斜面にある林道から下りる作戦です。

ここの三角点のある山は大屋町の地域局からみると富士のような形をしているので、「大屋富士」をハイキングの本に書いてあるそうですが、やまあそさんの話では「ぜったいちがう。地元では地元の名前があるはずや」とのこと。

山頂からすこし南に降りたところにはなるい場所があり、そこで、すこし休憩した後は、前回に引き続き、ピタゴラスイッチです。
二人だけの寂しい演奏?
いえいえ、ナラもツツジもあるし、、鳥のさえずりもあり、寂しくなんてありません。
前回は私はアンデスを吹き、やまあそさんに迷惑をかけたので、今回は必死にアルトリコーダーを練習して軽量化です。


(練習では上手くいったのに、本番では上手くいかないわたしです。間違えまくりですが、おゆるしください。)

演奏を楽しんだ後は、斜面をちょっと下ったところから始まる林道を歩きます。

林道を歩いていると、みづめ桜や御祓山がみえてき、今まで歩いてきたルートがよく見えました。
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途中、何故か、わたしは幹におもいっきりトゲの生えている木をがっしり掴んでしまい、左手を負傷。
やまあそさんに「手袋を持っているならつけたほうがいい」と言われ、手袋をつけますが、持っていた手袋はスノー用しかなかったので、はめていると暑くなり、手のひらに大量に汗をかいた上に、トゲが手に入ったままで痛いので、かなりテンションが下がります・・・。(トゲはもちろんお家に帰って抜きました)その途中に、わらびを見つけてテンションが盛り上がってきましたが、採ってる時間がない!といわれ、またもやテンションが下がりました。

そういうしているうちに、杉の林に突入。
ここには、ものすごい数の棚田・桑畑跡がありました。
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私は、石垣をみてテンションが再びあがってきました。石垣にあるかもしれないガマを探しました。
でも、らしきものはありましたが、明確にわかるガマはありませんでした・・・。

その棚田の間を流れる沢沿いに歩いて、無事に、里に下りてくることができました。
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 そして、里に入ると、おばあちゃんが畑仕事をされていました。
やまあそさんはすかさず、挨拶をされ、「私たち、みずめ桜を見て、御祓山に登って、この上の山にあった産霊神社の跡を見てきたんです。今は、大屋富士と呼ばれているようですが、あの山はなんという名前の山ですか?」と質問されました。
おばあちゃんから宮山と呼ばれていたことを聞きました。
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(本日はじめてのインタビュー)

おばあちゃんにお礼を言って、現在の産霊神社に向かいました。
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神社の中には阿弥陀堂もあり、ここでは、青倉さんもお祭りされていると発見。
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神社から下りてくると、おばあちゃん達が道にへたりこんで歓談中。そこに、GWで帰省中の男性も合流。
やまあそさんは、また、同じようなことを話をされました。
そこで、分かったのは「大屋富士は糸原では“宮山”と呼ばれていること。そして、さっきみた広大な石垣の下のほうは田んぼで、上のほうは桑畑だったということ。宮山の上のほうは地区の共有林で、下のほうは個人山ということ」でした。
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おばあちゃんたちと男性に、お礼を述べて、別れを告げて、駐車ポイントへ戻りました。
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(もろろん、車はやまあそ号だけ)


 今度は、宮本集落へ。
宮本集落の神社は、御祓山から下りてきたといわれている宮本御井神社があります。翌日の5月3日がお祭りだといことで、集落内には旗が立っていました。

糸原集落でかなり時間を使ってしまい、宮本御井神社は鳥居を見るだけをなってしまいました。
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御井神社の鳥居だけでも見ようと、立ち寄ると、お母さんが庭の手入れをされていました。
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やまあそさんは、またもや「私たち、さっき御祓山にいってきて、御井神社の跡をみてきたんです」とお話をされました。すると、お母さんが「御井神社の昔のことは、Tさんが詳しいから、しょうかいしてあげるよ」と手を止めて、お家へ案内していただきました。しかし、お留守でした。
でも、お仕事かもしれないと、わざわざ仕事場まで、案内していただきました。
このときは、留守(お仕事中?)だったので、お話を聞けませんでしたが、また、紹介しておきますねとおしゃってくださいました。集落を歩いていると、また別のお母さんと出会い、また、やまあそさんは説明をされていました・・・。

 やまあそさんの話では「御井神社は、今は何がお祭りされているのか正確にはわからないけど、昔“岩井牛頭天王社”と呼ばれていた。その岩井というのは、宮本より山の上で、カカナベ峠の手前にあった集落の名前で、その集落は今は消滅してしまっているけど、昔、集落があったところに山小屋みたいなのを作って、年に何回か集まっているらしい。その集まりに偶然出会い、お話を聞いたことがある」と話されました。
 そして、カカナベ峠に差し掛かり、岩井集落がかつてあったところを見ようとしたら、おや?車が止まっているではありませんか!もしかして、今日はその、岩井の人たちが集まっている日?
山小屋を訪問すると、数名の方がいらっしゃいました。

そして、やまあそさんはまた「御井神社の跡をみてきました。」とお話をされています。
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お母さんたちが岩井集落出身だそうです。
お母さんのお話では、岩井の集落は昭和45年まであったそうで、お母さん達が最後にでられたそうです。私たちでみた御井神社の石碑を山まで担いであがった方の名前も「石田源じゅうろうさん」と教えていただきました。
そして、むかし、あの神社には牛頭天王さんがお祭りされていたけど、茶色い牛の背にのって、川を下って、宮本の集落に下りてしまった。その牛の足跡が川の石にあって、それを見たことがあると聞きました。
それに、「ここは武田の里で、ここには埋蔵金があるのかもしれない」そうです。その歌も教えていただきました。
そして、お母さん達にコーヒーとお菓子を頂き、五右衛門風呂も見学させていただきました。
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(入りたかったなぁ・・・・。絶対に気持ちよかったと思います。)
これは、本当に使っていた五右衛門風呂の釜を再利用したそうです。


元・岩井集落の方に別れを告げて、カカナベ峠を越えて、帰路に着きました。


※ブログには文字制限があるようで、書き切れなかった後編は、こちらへ。
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Commented by 95 at 2011-05-09 00:03 x
石垣にあるガマというのは何ですか?ガマという言葉の意味が分かりません。青倉大神の横のお坊さんの画像は誰なのでしょう。それも気になります。
Commented by やまあそ at 2011-05-09 06:13 x
95さん、はじめまして。
先日は法道仙人の石碑解読ありがとうございました。

がまとは地域で呼び名は違うと思いますが
こんなもんです。↓
http://www42.tok2.com/home/yamaaso/2009/ushi.html

それと青倉の横は弘法大師さんです。
あそこは阿弥陀堂なんですけどいろいろと
祀られているみたいでした。
Commented by 95 at 2011-05-09 14:25 x
分かりました。ガマとは洞窟のようなものですね。沖縄でも洞穴のことをガマと言っています。しかし、こんな石垣の所にガマがあるのが不思議。丹波のガマは大抵マンガンを掘った跡です。
Commented by やまあそ at 2011-05-09 21:47 x
もうちょっと説明しますと、横方向に掘った井戸とご理解ください。
山にある水脈から水を棚田に導いている暗渠です。
鉱山ものではありません。
長谷の棚田は特に有名でそれを研究している人もいるようです。
Commented by deity_river at 2011-05-09 22:56
>95さん&やまあそさん
私が「ガマ」についての説明が足りなくて、申し訳ないです。
ガマとはやまあそさんの説明どおり「山にある水脈から水を棚田に導いている暗渠」です。棚田の給排水溝です。

作畑では、なんと呼ばれているのか未だに分かりませんが、地形に詳しい方に大阪の能勢ではガマと呼ばれていると聞いたので、私もそうよんでいます。
今は耕作放棄地になっている棚田(その前は桑畑だった)ですけど、そこにも、りっぱなガマあります。
でも、作畑の人たちは、ガマはあたりまえだと思っているのか、ちょっと山に入ったところなので、その存在を知らないのか、だれに聞いても、呼び名はわからないという返事ばかり・・・。
もったいないですねー。
昔の人のこういう技術、すごいなぁと思います。
Commented by 95 at 2011-05-09 23:02 x
すごい技術ですね。感動しました。そんな物は丹波にはありません。丹波にある横穴はたいてい芋倉です。子供の頃マンガン洞や芋倉、水路の隧道などに潜り込んでコウモリを獲って遊んだのを思い出しました。
Commented by deity_river at 2011-05-10 00:00
>95さん
ガマすごいでしょ!
丹波にある「芋倉」ってなんですか?
Commented by 95 at 2011-05-10 04:09 x
芋倉は芋の貯蔵庫です。秋に収穫した芋類をその横穴の中に蓄えておきます。山際の畑にあることが多いです。ただ、丹波でその穴を何と呼んでいるのか知りません。芋倉というのは私の造語かもしれません。前のコメントですごい技術だと言ったのは、若州さんのコメントを読んで言ったのではありません。私も素直にそう感じたのです。
Commented by deity_river at 2011-05-12 21:29
>95さん
芋の貯蔵庫というのは初めてしりました。
いもは、お家の中に保存しているのしか見たことがないと思います。
こんにゃく芋は、中二階でした。
追伸:若州さんって・・・・(f--)
by deity_river | 2011-05-04 00:24 | しゅみ | Comments(9)

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。