上生野に残る二つの峠道を探る

 PSWさんのお父さんは生野の山や鉱山関係のことに関して非常にくわしく、作畑鉱山に関することを聞きに行ったときに、逆にこんな話を聞きました。

今は銀山湖になり沈んでしまった上生野村や菅町から黒川本村へは車でいける道がありますが、その道の脇にそれぞれの村をつなぐ昔ながらの峠道がのこっているのだという。

明治30年の地図にも上生野の「小豆坂」と菅町の「菅町の坂」の二つの峠がはっきりと書かれています。
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そんな峠道があるなら、見てみたいというわけで、探索にでかけました。


4月13日。

まずは、今はキャンプ場さえもなくなってしまった「菅町の坂」を探ります。
菅町キャンプ場を散策します。
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そして、少し戻って、青草橋近辺に車を置いて、地蔵菩薩を観察。
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(當村女講中とある)
それ以外にも墨でたくさん文字が書いてあります。その袖にはおもしろいことが書いてありそうです。

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(古文書の読める95さんの話では、左坂とか倉(蒼)とかかいてあるらしい)
PSWお父さんいわく、この地蔵さんはもともと峠にあったもので、それを下ろしてきたとのことです。

生野町文化財調査委員会のまとめた『朝来郡生野町上生野地区民俗資料緊急調査報告書』(昭和43年)によると、「菅町では盆の24日に女講が地蔵尊に煎豆をおそなえしていた。天保11年に「当村女講中」が寄進した地蔵尊があるから女講の歴史はかなり古くまで遡りそうである」とあります。


地蔵さんのすこし東にある階段を上っていくと、よい道があります。
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どんどんのぼっていくと、すぐに峠に出ました。
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鞍部に着くと、石垣がありました。
ここにはかつて下でみた女講中の地蔵さんがあったのでしょう。
その反対側には、不自然な切り株がありました。その横に横たわっている木はなんと、かつては電柱だったのです。碍子も転がっていました。
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(1967年7月とある)

ここから、北側の斜面は結構急なので、やまあそさんが一人で下見をしてくれました。
なんとか、私でもいけそうだったので、ついていきました。
途中に、石垣もあります。
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(PSWお父さんいわく、昔の写真を見ていると、この石が付近から魚ヶ滝方面に道があったとのこと)

そのまま降りていくと、石で作られた階段もあります。
(PSWお母さんいわく、この石の階段は昔の峠道ではなくて、電柱の管理のために作られたのかもといわれていました)
そして、さらに、木の電柱がありました。
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(菅町 支 18  43年9Mとある)

車道へ降りてくることができました。
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次は、「小豆坂」を目指します。
小豆坂は南から北へ抜ける予定でしたが、菅町の坂から降りると、ぐるっと車道を回り込まないといけないので、北から南へ抜けることとなりました。

まずは、市川を渡ります。
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雨が少なかったので、靴でも十分わたれるほど、浅かったです(先月の播但線廃線歩きの市川渡りに比べると、ちょろいもの)

私たちが市川を渡っていると、車道を走る車が減速して、怪しげな目で見てきました。
そんな目線も無視して、川を渡ります。
そこには、ここも日本のマチュピチュ(竹田城)に負けないほどの、石垣があります。
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対岸に渡りきったら、昔の峠道を探します。
やまあそさんが「このあたりがあやしい」といわれて、山へ入っていくと、ドンピシャリ、山道がありました。
それを歩いていくと、峠道になっているようです。
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進んでいくと、峠に着きました。
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ここには石垣がありませんでしたが、かつてはお地蔵さんがおまつりされていたそうです。
(大正5年にふもとの上生野村の井上製材所の隣に下ろされましたが、ダムになり沈むということで、新しい車道のところに上げられました)


かつての峠道は、車道の横ののり面の防砂ネットで崩れてしまい、ソマ道で降りてくると、そのお地蔵さんがありました。
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このお地蔵さんは兵庫県教育委員会のまとめた『生野ダム水没地区資料緊急調査報告書』(昭和44年)によると、左側が上生野で3番目に古いもので、阿弥陀坐像とありますが、やまあそさんの話で二体とも地蔵だろうとのことです。(前掛けがふるくて確認できなかったが)

左側のほうには「当村講中」「天明三癸卯天十一月吉日立之」「願主慶蔵治郎吉新七」とありました。


そして、菅町に戻る途中の出合橋で、車が一台。私たちの前で停まりました。
なんと、大持山歩きでお世話になった、黒川の民宿「まるつね」さんのご夫妻でした。
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(昔の出合橋)


今回は、忘れ去られつつある上生野の「菅町の坂」と「小豆坂」を歩きました。
昔の道にのこる足跡を見ると、ここに住んでいた人たちの生活や交流や見えてくるような気がします。

このあたりにはほかにも古い峠があるそうなので、さらに探索して見たいと思います。
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by deity_river | 2014-04-21 22:56 | しゅみ

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。