金梨山(かなしやま)へ

 空前のブームとなった日本のマチュピシュといわれている「竹田城」。
私が最後にのぼったのは2011年の秋です。
この頃はそんなに登城者はいなかったのですが、このあと、大ブームがやってきます。

そんな、竹田城を登るのではなくて、円山川をはさんで対岸にある金梨山(かなしやま)を登りました。
竹田城の写真といえば、雲海の上に現れる姿で、それは、ほとんどが金梨山の南の立雲峡から写真が撮られていることが多いいです。今回は、人があまり行かないところ??にいきました。

9月14日。
メンバーはやまあそさん、PSWさん、そして朝来の美しい風景を撮られているむらおさん(はじめまして)です。

まずは、竹田城のそばのミニチュア竹田城の前に駐車。
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(さっそく、ミニチュア竹田城に登るPSWさん)

登山口へむかいます。
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ここが登山口。
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しばらく歩くと、鳥居があります。
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ここからは、山歩きが始まります。
むらおさんがはじめて仲間入りしたので、やまあそさんのダジャレが舌好調。PSWさんは、いろんなキノコをみつけて、興奮気味。わたしとむらおさんが、ゆるゆると登ります。

ずいぶん登ると、みんなが眺めています。
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向こうに竹田城が見えました!
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ズームして見ると、竹田城はものすごい人です!!
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(PSWさんの写真)

さらに登ると、石垣が見えてきました。この上には昔、籠堂があったようです
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(瓦が落ちていました)


さらに登ると、ありました!!洞窟です。
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(二本の白い木は昔は鳥居だったようです)

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(此花咲耶姫が祀られている)



やまあそさんの話では金梨山(かなしやま)は元々「悲し山」といわれていたそうです。なぜ悲し山といわれるのかと言うと、「その昔、竹田城が落城する時、お城のお姫様がこの山に逃げ延びてきて、燃え落ちる城を眺めなければいけない身を嘆き悲しんだという言い伝えから名付いたそうです。
それにしても、けっこう急な斜面を姫はかんばって登ったんだなぁと身をもって体験しました。

金梨山の東側(与布土側)には、姫が逃げ込んだときのお礼に置いていった観音様もあるそうです。

また、このような言い伝えがあります。
金梨山権現の祭神は『此花咲耶媛(このはなさくやひめ)』で、養蚕の神として敬仰されています。洞中の小石を預かって帰ると、その小石の功徳で蚕に鼠がつかないといわれ、養蚕がすむと小石を倍にして返す例になっている。この小石を里人は金梨山の「小猫さん」と呼んでいる。
今一つ金梨山には秘話があります。
太陽が東の空から光を見せようとする刹那、金梨山の南端厳窟の上に、白い鳥居が出現するというのである。これは里人に早起きを奨めるための話からかもしれない。(中山東華著『南但竹田』より抜粋)



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(みんなで)

眼下には、竹田の町並みが広がっています。
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洞窟から、もう少し歩くと山頂。
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そして下山しました。
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今回は、竹田城がとてもよく見えて、楽しい山歩きでした。
竹田城そのものに登城するのもいいけれど、お城を眺めるのも、とても楽しかったです。



金梨山レポートを書いているときに思い出したのですが、竹田城が落城したときに、姫が逃げたのは、向かいの金梨山ですが、城主のご典医だった木下順庵は大河地区へ落ち伸びたそうです。その子孫も医者になり、その人たちが通った峠を歩いたことを思い出しました。レポートはこちら
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by deity_river | 2014-10-04 18:07 | しゅみ

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。