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お観音さま

作畑地域には古くからこんな唄が伝わっています。
「作畑に、すぎたるものが三つある。
大井(おおゆ)、かんのん、重左(じゅうざ)がかぁ。」
 この三つのうち、大井は、元第二小学校(現在の地域交流センター)の下のいせきのことで、大井がかり五町といって村で一番の上質の田と面積を養ういせきです。このいせきを作るのに昔の方がたいへん苦労されたお話も残っています。
 重左がかぁというのは重左衛門と言うひとの奥さんが、とても美しい人だったからとか、なかなかよくできた人だったからとも言われておりますが、一説に、ほんとうは「重左がかぁ」ではなくて「十代がかり」だということです。昔は長男のことを、かかり子、かかり、と呼んでいました。それで作畑に十代続いた長男相続の名家があるということをうたったものだととのことです。
 「作畑の観音さん」と土地の人々に親しまれている観音堂は、昔から現在の地域交流センターのところにおまつりしてあったのですが、約70年前に、今の場所へ移されました。

 御本尊は十一面観音立像と聖観音立像の二体です。この御本尊には次のような伝説があります。

 昔、大畑(作畑のひとつ南の地域)の大畑に観音堂があったそうですが、火事にあい焼けてしまいました。幸いにも本尊を取り出すことができたのですがおまつりするところがありません。それで大畑の人は一時作畑の観音堂にあすかってもらうことになりました。それから長く生活に苦しい時代が続きましたのでなかなかお堂を再建することができませんでした。幾世代か過ぎてから、云い伝えがあるからと作畑へ本尊を返してくれるように申し出ました。だが、作畑は「あずかったことはない」と言って返してくれず、しまいにはけんかになったそうです。それから観音さんのおまつりには大畑の人達がおまいりをされてよくけんかをされたとか。どちらが本当か、真実を知っておられるのは、御本尊だけでしょう。
 観音まつりは毎年七月十七、八日に行われ、この時だけ御本尊が御開帳されます。村の人は誰でも観音さまにおまいりすると、お母さんのふところにはいったような気がすると言います。私達はこんなお観音さんをおまつりしてくださった祖先に対して感謝しなくてはなりません。
                  足立誠太郎「ふるさとの民話史話」より


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by deity_river | 2007-07-14 23:42 | ぎょうじ

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。

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