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神河咲く物語 第四章 新田・作畑で”ほっこり”が出来上がりました。
地図を描くのがすきで、前からよく描いていたのですが、それを見た方から声をかけていただき、こんなに立派な印刷になって、かえってきました。

これも、いろんな方との縁です。

観光協会には、置いてあるの思うので、ぜひとも、たくさんの方にみていただいて、たくさんの方に新田・作畑に来ていただいて、ほっこりしていただきたいです。

私は石仏とか鉱山跡、古い峠が大好きなので、そんなことばかり描いています。
もっと、バランスよく描けばよかったなぁ・・・。

ちなみに、第一章は新野、第二章は粟賀荘と福本藩、第三章は最明寺の門前町です
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by deity_river | 2014-09-10 23:02 | いいつたえ | Comments(0)

荒神さまのサカキ

 おばあちゃんに頼まれて、荒神さんのサカキを立てました。

私が、普通にお花を生けるように筒に生けていたら、横でみていたおばあちゃんが「ちがう!ちがう!」と待ったをかけれらました。

何がちがうん?と聞くと、

「荒神さんのサカキは、茎を短くきらなければいけない」そうです。
短くしないと、おなごの頭が高くなる(女性の立場が強くなる)そうです。

初めてしりました。
いつも普通に生けていました・・・。
ただ見ているだけでは、分からないことでした。

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(私が生けたサカキ。見た目には普通です)
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by deity_river | 2010-07-21 22:49 | いいつたえ | Comments(0)

 『故・朝日さんの伝承』をぱらぱらと見ているときに、気になるお話と出会いました。

それは「魂呼び」という物語。


 カラス鳴きが悪いと死ぬるということをいいますなぁ。
カラスが屋根棟にやってきて、カーカーいいますと、
「まあ誰か死ぬるか分からんぞ。カラス鳴きが悪い。カラスが鳴いてもどもならん」
いうこたぁいいますがなぁ。
 そして、息がきれるとなぁ。屋根棟に上ってなぁ。その名ぁ呼んで、ワーワーわめきよりましたなぁ。
魂呼びっていうて。そうして、死んだ人を呼び返すんだって。


 この物語を見たときに、すぐに母の言葉が浮かびました。

母は、朝、洗濯物を干す時に、たまーに「あっ、あそこの屋根の上に止まっとーカラスがさみしい鳴きかたしよったわ。誰か亡くなりんなったかなぁ・・・」とつぶやきます。

私はいつも、「え~、今、カラス鳴きよった?悲しそうやった?ふつうのカァカァの鳴き声と違うん?」と言っています。

しかし、母のつぶやいた後には、ほぼ町内放送でお悔やみのお知らせが流れます。

私には、まったく区別のつかないカラスの鳴き声。

母は、「なんともいえない悲しそうな声」と「ただの鳴き声」の区別が出来るようです。


そういえば、こういった話は、なにげない日常の生活の中でたくさん聞いているような気がします。ただ私自身が気にしていないから、聞き流しているだけなのですが・・・。
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by deity_river | 2010-06-11 22:07 | いいつたえ | Comments(4)

 先日、母方の祖父の一周忌のために、母の実家にいきました。
おっさんをお迎えして、家で拝んだあとは、お墓に行き、お寺で拝みました。拝み終えて、境内に出たときに、その一角にちいさなお社があるのが目に入りました。
何がおまつりされているのかなーと、なんとなくのぞいてみると、中には人の形をした方が、左手に剣を持っていて、背中に真っ赤な炎をあげていました。
「これって不動明王さまかなぁ?」とすぐ隣にいたいとこに聞いたところ「このお地蔵さんの前で甘茶飲んだことあるで!」と言いました。
ここでは、お不動さん(いとこはお地蔵さんってゆうてたけど・・・)の前で甘茶を飲む習慣があるんかなぁと思い、ちょうど境内に本堂を閉めるためにやってこられたお寺の奥さんに伺ってみました。そしたら「秋葉権現っていう神さまってきいとるよー」とおっしゃいました。

私の頭の中で、『秋葉権現さん??作畑ではきたことない神さまやなー・・・』と思い、奥さんに「秋葉さんって何ですか?」と伺いました。そしたら、ちょうどおっさんが境内に出てこられました。

おっさんは「あれなぁ、秋葉権現さんっていいなるんや。火事や災害から守ってくれる神様で、総本社は天竜川の近くにあって、詳しく知りたかったらネットで見てみたらどうですか?」と教えてくださいました。

そのときは、「へぇ~。秋葉権現さまっていう神さまは初めてきいたなぁ。初めて聞いた神さまやし家に帰ってしらべてみようかなぁ。」と思って、それ以上に関心をもたずに家に帰ってきました。家に帰ってから、神さまに詳しい方に問うと、「秋葉権現さまの形がカラスの姿だと、とても珍しい」と伺ったので、再び、お寺を訪問しました。

お寺に行く前に、祖母に「お寺の秋葉権現さまの写真とってきてくるわー。おばあちゃんは秋葉さんのことなんかしっとう?」と聞くと、
「この辺りはな、むかーし、よう火事がおきとったらしいんやなぁ。一年のうちに何軒も火事にあんったそなんや。やから、秋葉さんから、神さまを頂いてきて、ここでおまつりしているんやぁ。秋葉さんのおまつりにはな、小豆の入ったおにぎりをお供えするんやで。そういえば、ここのひいおばあちゃんのお父さんも、近所の方と静岡の秋葉さんまでいって、拝みにいきんなったって書いたもんをみたことがあるわなぁ。」というお話をしてくれました。

この地域に伝わる『秋葉権現さま』、ぜひ大事にしていただきたいです。
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(右下の炎がすでに欠けていますが・・・)



追伸:今回の法事で母の地域を知っていくうちに、だんだんこの地域にも興味が沸いてきました。
母も父とが育った場所と同じような「山と川のあいだで」おおきくなりました。父方の場所をメインに書こうと思っているのですが、どうしても、私の中の半分を成り立てている母方のことも書きたいので、「the other story」として、取り上げたいとおもいます。
 今回、秋葉権現さまのことを知ったのをきっかけに、ここに伝わるお話(民話)にも興味があります。ちょっと脱線(寄り道?)になると思いますが、私にはとっても由縁のがあるので、取り上げていこうと思います。
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by deity_river | 2010-06-10 21:04 | いいつたえ | Comments(2)

お墓へ

 先日、『わたしたちの町 かんざき』の「新田開発物語」を読んでいて、ふと自分の家のお墓を見に行きたくなり、さっそく、正覚寺の奥に並ぶお墓を見に行きました。

ウチの家のお墓は新しいので(私で5代目)、まだ心経は覚えきっていないので、何度か南無阿弥陀仏を唱えてから、ウチの家のお墓たちの前に並ぶ総本家の古いお墓たちを拝見しました。(残念ながら総本家の過去帳は行方不明です。)

一番古いと思われるお墓の年号は「元禄」と見えます。
そこには「信士と信女」の文字が。
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二番目に古いと思われる自然石のお墓には「寛保」の文字が見えました。
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しかし、二番目に古いと思われるお墓の方が風化が激しくて、下のほうの文字が読めませんでした・・・。

一番古いと思われるもので「信士・信女」ってことは、やはり、「新田開発物語」で言われている通り、「居士」というくらいは当時は本当に位がたかかったんやなーと思いました。


 いつも、気になっては調べようとしていることがあります。
それは「うちの祖先はどこからやってきたのか?」ということです。
祖父の話では、「総本家の最後の代ので、17代か18代やって聞いとる」と言っていたので、相当古かったんやんやなーと思います。

作畑地区にはそんなにたくさんの姓はありません。
大きく分けると「足立」「林」「笹倉」「井上」かなぁと思います。他にも、少しずついろんな姓はあります。
「足立」さんのルーツはいろんな方が本にも書かれていますが「武蔵国足立郡の足立遠政が丹波の氷上の地頭職として移住し、そこから広がった」ということらしいです。(私も、「足立さん」と縁の深いですので、このネタも気になったときにちょこちょこ研究しているのですが、もっと詳しく調べないといけないですね・・)
「林」さんは、「多可町八千代の野間山城が敵に囲まれ落ち延びる時に城主の一族うちの一人が家臣とともに作畑に逃げてきて、姓を林に改めた」といういいつたえがあります。
「笹倉」さんは、よく分かっていませんが、親戚のおいさんのお話では「加西市の笹倉町からやってきたのでは?」という推測を伺っています。

さてさて、問題の「井上」さん。
全国にもたくさん姓があります。
誠太郎さんのお話では、林さんや、笹倉さんと同じ東の方からの流れでは??と教えて頂いていますが、その証拠がないので、自分の中でまだ謎のままです。
一番古いお墓と思われる方は一体どこからきちゃったのでしょうか・・・?

私が問いかけても、お墓たちはだまって私の方を見つめていらっしゃいました。
(そりゃそうですよねー。話しかけられたら、余計に恐い・・・。)

そして、そこを後にしました。
次くる時までに、何かヒントが得られたらなぁと思います。
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by deity_river | 2010-05-03 22:24 | いいつたえ | Comments(2)

 小学4年生やと思いますが、社会科の授業で、「郷土」のことを習う時間があります。
自分が小学生の時の持っていた旧神崎町教育委員会発行の副読本は、行方不明になりましたが、2、3年前に、再びこの本を頂く機会がありました。(わたしの時は1冊だったのに、いつの間にか2冊になっていました)

 今日、部屋の片づけをしている時に、その頂いた本を見つけてしまいました。
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小学生向けの本なのに、中身がとても充実しているので、なんだか新鮮で読みふけってしまいました。
読んでいる間に、片付けようという意気込みはどこかへ・・・。


 すでに、聞いていることでも、月日がたつと記憶が曖昧になり、忘れていくことがたくさんあります。
この本を再読して、そうやったなーとか、読み飛ばしとったわ、とか心のなかでつぶやきながらと「旧・神崎町のこと」を思い出しました。
子どものころは、あまり地元に興味がなく、学校で習うからしかたなくという気持ちが大きかったですが、おおきくなってから、改めて読み返すと、ええところなやーという気持ちでいっぱいになりました。それと同時に、私の今の暮らしがどんなに便利な生活であるかを教えてもらいました。

 そんなことを思いながら、本を読み勧めていくと「道標」ページがありました。
そこに、ちゃんと作畑の白口峠にある「道標のさす場所」の解読が書かれていました・・・。
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あらー、変体文字の解読できない私は、いろんな方から情報を頂いたのにねー。こんなところに答えが載っていました。

 Ⅱのほうには、石仏のことが少し載っていました。
石仏調べ「神崎町の石仏」より、と見出しが書かれていて、その下に、あきらかに作畑の「下村のお大師さん」の写真が載っているのに、大師堂がある地区名のリストに作畑が載っていない・・・。なんで?とちょっと、ツッコんでしまいました。大師堂のある地区は根宇野・福本・加納・東柏尾・大山しか載っていませんでした。作畑には「下村のお大師さん」と「白口峠のお大師さん」の2つもあるのになぁ・・・。


 いろいろ読んでいる中で、今日の私が一番おもしろいなーと思ったのは、「新田地区開発」の物語。

 “江戸時代の中頃、徳川幕府は土地開発に力をいれていました。現在、兵庫県下だけでも新田という地名はよく見られます。
 新田は昔、福田新田と呼ばれていました。ここに「地主さん」と神様のように崇拝される玉田三郎右衛門さんの菩提所が松樹寺にあります。
 地主さんは、今の加古川野尻新田から姫路書写山の近くの玉田村に住み、医師をしておりました。
 生野銀山が盛んな頃に生野に転住しましたが、奥様を亡くし西福寺に葬りました。悲しみのまだ消え去らないうちに生野代官より新田開発を命ぜられて白口坂を越して着任されました。 
 5軒ほどあった住民と一緒に雑木を切り石垣を築き田畑を作りました。住民の健康を守り、余暇には子ども達をはじめ人々に文字のてほどきなどをしました。
 1700年(元禄13年)8月5日村人に惜しまれながらなくなりました。この時代には上級武士にしかつけられなかった「居士」という号を贈り「転宅吟居士」をつけました。 平成15年11月地主さんの功績をたたえて「薬護院」をいう院号を追贈しました。”

という、お話です。

 そういえば、雑談の中で、新田地区で生まれたあるお母さんが、「新田地区の戒名はみんな『禅定門』なんやわぁ。なんでやろう?」というお話をされたことがありました。
そのとき、別の方が、「新田地区を開発した玉田さんがなくなった時に頂いた位が『居士』やったんや。新田開発した人が、『居士』なのに、恐れ多いから、みんな、居士より下の位の『禅定門』をつけるようになったんやって。」と教えてくださいました。

 確かに、作畑地区のお墓はほとんどが「居士・大姉」なので、位はそれがあたりまえやと思っていましたが、新田地区には、そんないいつたえがあるんやーと、びっくりしたことを思い出しました。


 そういえば、うちの本家の一番古いと思われる自然石のお墓も年号が「元禄」でした。
こっちの位は何だったかなーと気になりました(居士やったらいいな・・)。
また近いうちに確認しに行こうと思います。


 小学生の郷土の本だけど、内容は本当に侮れないです。充実しています。
いまだからこそ、この本と再会できてよかったーと思っています。
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by deity_river | 2010-04-29 22:14 | いいつたえ | Comments(2)

青倉参り

 台所で片づけをしていたら、ふと、わきにあった瓶に目が入りました。
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瓶には「青倉神社のお水」と書かれています。

 これは去年、祖父母が朝来市にある青倉神社へお参りに行った時にお水を汲んできたものです。
そういえば、白口集落のお母さんから「歩いて山を越えて、青草さんへ水を汲みに行った」というお話を伺ったことあります。
白口のお母さんが、行ったなら、祖父も昔、歩いてお水をもらいにいったのでは?と思い、さっそく聞いてみました。

本当に祖父は若い時に同い年くらいの友達と青倉さんへ水をもらいに行ったことがあるそうです。
しかも、往復歩きなのに、日帰りでいったそうです。

作畑から青倉さんへお参りに行くには
作畑の吹上から青草峠という峠を越えて、朝来市生野町との境なる尾根へ行きます。尾根を歩かずに北向きに斜面をまっすぐ降りると「七曲の道」という道に出て、菅町(今は上生野ダムになり、キャンプ場しかありません)というところへ降りてくるそうです。そこから、黒川集落をぬけて、今は黒川ダムになっているところを通って、青倉さんへ行ったそうです。

ちなみに、北隣の新田地域の方が青倉さんへお参りにいくのは
新田の集落から北に続く道を進んで、生野町の「めはた(梅ヶ畑)」へ抜け、高路集落→黒川集落→青倉さんへ行くルートだったそうです。

 「青草峠から七曲の道」コースを生野側から歩いたことのあるきゅうちゃんは、「すごい道やった。ともちゃんは行けへんと思う」と言っていました。祖父の話でも、「今は、道がずってもとー(崩れてしまっている)やろ」とのことです。


「ほんまに青倉さんのお水って目にきくん?」と疑い深く聞いた私に、祖父は「わしのおやじの千代蔵さん(私から見ると曽祖父)は、疲れなんか一時期、目が見えへんようになってもたんや。やけどな、青倉さんに1ヶ月こもって拝んどったら、目が見えるようになったんや。」と教えてくれました。本当に青倉さんは「目の神さま」みたいです。

祖母は、毎朝、この水で目を洗っているそうです。
不思議なことに、普通の「寒」以外の水は保存しておくと腐るのに、青倉さんのお水は去年の春にとったのものでも腐らないみたいです。

祖父母は毎年、春に青倉さんへお参りに行き、お水を頂くそうです。(今はもちろん車です)
もうすぐしたら、新しいお水を頂きにいくみたいです。
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by deity_river | 2010-04-02 22:46 | いいつたえ | Comments(2)

2つのオクチヤ

 作畑から生野へ行く道(白口峠方面)に「オクチヤ(御口屋)」と呼ばれる場所があります。
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 これは、口番所で、現在の「町役場の支所と駐在所をあわせたような役割」を持っていたそうです。
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 生野には銀山があり、銀山は幕府の管轄だったため、その人・物の出入りを管理をし、税の徴収などもしていたそうです。多いときには生野周辺に16ヶ所のオクチヤがあったそうです。

 『一里塚』という生野銀山に関する冊子読んでいるときに、生野の方が「おもわぬところからオクチヤ跡が名乗り出てきた。しかも他町からである。作畑在住の郷土史家の足立誠太郎さんから資料に「オクチヤ」が登場してきたのである」と非常に驚かれた文章を書かれていました。

 私は、前から「作畑の吹上にオクチヤがあった」ということを聞いていたので、逆に、他の町では有名ではないことに驚きました。
作畑のオクチャ跡に看板が立てられたのは、ほんの2年前で、それまではただの空き地でした。
私も、オクチヤがあったとは聞いていたのですが、正確な場所がわからず、大体このあたりだろうとは予想していましたが、看板が建てられてから、ここにオクチヤがあったんだぁと通るたびに見るようになりました。

 私が知る限りでは、オクチヤがかつてあったという場所は、作畑の他には生野町の「小野」と「田和峠」に看板があったのを記憶しています。
(そういえば、田和坂のオクチヤ付近に「処刑場」があったと思うのですが、作畑にも、このオクチヤ付近に「果ての二十日の首切り台(だったかな・・)」といわれる、石があったと聞いています。処刑場の場所は石が目印だそうですが、今は草が多い茂り分からなくなっています。オクチヤは現在の「警察の役割」だったので、オクチヤと処刑場はセットだったのでしょうか??)


 オクチヤといえば、この御口屋番所より白口方面へすこし行ったところに、曽祖父の生家がありました。その家のことを「オクッチャ」と祖父母は言っています。集落の一番奥にある家だから「奥地家(屋)」の意味かと思っていましたが、「御口屋」のことを聞いてから、その近くにあるからそういわれるようになったのだろうと思うようになりました。

 その家は今は無くなり山の一部になっていますが、今でも石垣と家の基礎と庭だったとこにある大きな柿の木を見ることができます。
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(家の入口と柿の木)

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(この辺りが玄関のようにみえる)

 その柿の木は主がいなくなっても、家がなくなっても、敷地が山となりつつある今でも、毎年実を結んでいます。その家の跡を歩くと、今でも間取りを見ることが出来ます。
 曽祖父の家系は番所のオクチヤに関係があるらしく、家には番所に関係する資料があったそうです。
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by deity_river | 2009-10-29 18:07 | いいつたえ | Comments(5)

祖父母に寿く

 ある夕食の食卓に魚が出た時のことでした。
祖母に魚の骨をとってもらう祖父の姿にちょっと疑問を持ちました。
そして、こんな話になりました。


祖母:おじいさんは、魚を骨だけにせんとよう食べならへんのんや。

祖父:昔、鯛を食べよるときに、骨が喉にささってもたんや。やから、魚を食べるんが恐いんや。おまえ(祖母)がご飯をかまずに食べたら、そのうち喉に刺さった骨も落ちるやろうっていうから、一週間も涙を流しながら食べたのに。

祖母:おじいさん、そんなことよぅゆうたやわぁ。うちがそうゆうとっても、自分が痛かったら、病院さぁ行ったったらってゆうたのに。

祖父:おじいさん、えんえん涙ながしながらご飯食べよったんや。

祖母:あほやな。そんなことばっかりゆうて。

祖父:病院さ行って先生にとってもろたら、こんな(祖父が指した指の間は約3センチぐらいだった)骨が喉に刺さとったんや。よぅ我慢しとったったわぁってゆわれた。

祖母:あーおかし。やから病院行きなよってゆうたのに。

祖父:昔、黒川の方の狼が、人を食べよって、人の骨が喉にひっかかったんや。ほんで、狼が泣いとったんやけど、黒川に大明寺ってゆうお寺があるやろ。そのお寺のぼんさんにとってもろたんや。それと一緒や。

私:その狼が喉に骨を引っ掛けてたっていう話、知っとるで。

祖父:狼の喉に食べた人の骨がひっかかったんや。ひっひっひ。

私:??(お互い喉に骨がひっかかっとるけど、狼と関係あるんかな・・・)

祖母:はよ、魚食べぃ。


 祖父は最近ちょっと耳が遠くなっています。しかしながら、自分の都合が悪くなった(?)時に聞こえないふりをしているのか、聞こえていてもごまかしているのかちょっと分からないことがあります。
けれど、話を面白おかしくするのが昔から大好きです。
この会話を聞いて、祖父母の仲睦まじいのがよく分かりました。

 こんな、楽しい(?)会話の夫婦に憧れます。
おじいちゃん、おばあちゃんいつまでもお元気でね。

けれど、祖父は、今日、出来立ての新米の30kgの袋を「あー、おもい。」と言いながら持ち、祖母は「おじいさん、こんなんもよう持ってないんか!」という言葉のやり取りに、かなり冷や汗をかいてしまいました。
(見てられなくて、手伝いましたが・・・)

 いくら元気でも、もうちょっと体をいたわって欲しいと思いました・・・。
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by deity_river | 2009-09-21 22:47 | いいつたえ | Comments(2)

山の奥で・・・(2)

道を歩いていて、道しるべを見つけました。
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「左 いくの   右 可(給?) いさ里」

けれど、『右 いさ里神』は変体仮名でとくずし漢字で書かれているので、ちょっと怪しいです・・・。

 今は、作畑から白口へ行く道の峠より少し下にありますが、昔はもう少し下にあったそうです。
道が整備されたりしたので、この道しるべは一時期なくなっていたのですが、地域サロンで集落のことを調べ手いるときに、「何処かにあるはずだ」となり、道しるべを探して、山の中にこけていたものを再び起こし直したそうです。

 昔、この道を歩いていた人は、きっとこの道しるべをみて、旅の安心を得ていたんだと思うと、なんだか嬉しい気持ちになります。
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by deity_river | 2009-07-02 22:38 | いいつたえ | Comments(0)

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。