5月26日。
この日は、初めて自分の運転で、加古川へ行ってきました。
目的は、ある人と出会うためでした。


 初めてお会いしたのは、3月27日にあった加古川のおかげさまというカフェであった、手作り市です。
時間がなくて、少ししかおはなしできなかったのですが、ちょっとお話しただけで、私は勝手に「思いは一緒」と感じました。

 
 そして、さっそく、1軒目のカフェへ。
ここは加古川ではなく、正確には高砂市です。
西国街道にある古民家を改装したカフェです。
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私が「ここの街道筋はお家は建てかえてあるから、昔のお家はほとんどないですねー」といっていたのですが、最初に訪れたカフェの建物は、まさに昔の雰囲気がありました。

一歩入って、その雰囲気にすごい!と圧倒しました。
隅々まで、こだわりを感じました。
それなのに、このまったりした雰囲気はそこから出ているのでしょうか・・・・。
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cafe le soleil et la lune
 open 11:00~18:00(Thu~Sat)



 次は、投松へ。
私が、「なんか、加古川といっても、田舎道ですね~」と言いながら、運転していたら、「ここは、加古川の端っこよ~!今日、あなたは、加古川の端っこばっかり走っているからー!」と突っ込まれました。

あれ、看板をみてなんか、聞いたことあるような・・・・。
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思い出せば、私はちょうど2日前の新聞で、こちらで綿の苗を販売していて、糸紡ぎ体験ができると読んでいたのです。
それに、ちょうどお昼ご飯の時間です。
お昼を食べるついでに、糸紡ぎ体験です。

お昼ご飯です。
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そして、糸紡ぎです。
まずは、綿の種採りです。
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(これが、見かけによらず難しいのです。私は空回りばっかり)

つぎに、紡ぐ体験。
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本当は、ここまでしたかったのですが・・・・・。
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紡ぐ体験でなかなかコツがつかめなくて、断念。

他にも、糸紡ぎ体験をされていました。一番左が先生。
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お家のお土産に、綿の苗を仕入れました。
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(さっそく、父にプレゼントして、綿の苗を畑に植えてもらいました)

チーズケーキ工房 悠&エリー
 open 10:30~16:00


 そして、最後は、こちらです。
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あら、「蘇民将来子孫也」というちまきがあるではありませんか!京都以外の家で見たのは初めてです。これを玄関に飾ると厄除けになるのです。

さっそくなかへ・・・。
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隣の市立図書館で本を借りてきてもいいし、ここにおいてある本を読んでもいいし・・・。
でも、読むというより、私はひたすら喋っていました。

book cafe されど・・・
 open お昼~夕暮れ時
 close Mon、1st・3rdSun



 そして、最後になりましたが、この日、この三つを一緒に巡ったのは、歴史民俗誌『Sala』の編集長のふみゑさんです。
ふみゑさんと出会ったのも、本当に偶然の重なりです。

最初のきっかけは、誠太郎さんから面白い本があるからと『Sala』という雑誌を1冊頂いたことに始まります。
でも、そのうちに、まさか私が原稿を書かせていただけるなんて思いませんでしたし、まさかふみゑさんと偶然にもおかげさまの手作り市で、お会いできるとは思ってもいませんでした。

人ってどうやって繋がるのかわかりませんね。

おかげさま手作り市のあとに、ふみゑさんからすぐに、こんな記事をいただきました。


ふるさとを出て二十年ほどたった頃、神河町作畑に住む郷土史家足立誠太郎さんの著書「ふるさとの民話史話」に出会った。そこに書かれた旧越知谷村の歴史は谷筋が違う多可郡と無縁でないことを知った。  
それまで私の中にあった、車が走り易い道をよしとする考えや、郡ごと町ごとで括ろうとする固定観念が完全に消えた。
加美区奥荒田から高坂峠を越えると越知谷という細長い谷がある。
明治二十九年、林業の発達で越知川沿いに粟賀まで出られる道路の建設が始まり。それまでは多可郡であった越知谷村は神崎郡に編入となった。それでも多可郡とは大正のはじめ頃まで盛んに交流があった。 
多可郡に住む者が千ヶ峰を愛するように、越知谷村の人にとっても北面に見る千ヶ峰はふるさとの大切な山だ。千ヶ峰の市原峠を行き来して和紙の原料やコンニャク玉を出荷し米を持ち帰ったという。炭焼きをしながら山の上で嫁とりの話がまとまったとか。母の生家から高坂峠を見ながら、その峠を越えて嫁いで行った人の話を聞いたこともあった。
峠を通らねば村を出ることが出来なかった村人の苦労を知ってから、私は昔の暮らしのことをよく考えるようになった。
その頃に私は、井出孫六著「峠を歩く」を読んでいる。明治初期の自由民権運動の旗手が、鉄道も通じていない信州佐久盆地の最も山寄りの村の出身者であるにも関わらず、新刊の書物をよく読み、世の情勢に明るかった。辺鄙と思っていた村は実は直線で峠越えをして都会に繋がっていた。想像以上に物や文化や情報伝達が速かった、と書かれていた。
峠の話しはわが身にも身近にあった。五歳の頃に父に連れられて深い山の中の神社に行ったことがある。中村町駅から朝早い列車に乗って何回も乗りかえて遠い遠いところの駅で降りた。駅前からバスに乗って登山口まで行き、山深く登っていった。途中だれにも合わない、父と兄と私の三人だけだった。
着いたところには恐いような岩場があった。白い着物を着た女の人が水に打たれていた。拝殿があったはずだが記憶になく、民宿のような大きな建物を覚えている。そこで、青い色に赤い鯛の絵柄のお茶碗で食事をした。父は岩を流れる水を一升瓶、二本に入れ、振り分けにして持ち帰った。翌日から毎日、目の悪い私と兄はその水で眼を洗った。目の神さまのありがたい御霊水を汲みにいったのだった。
「あれはいったいどこの山だったの」と、母に聞いたときには父は亡くなっていた。
「朝来の青倉さんやがな」思いめぐらすこともなく、母は即答した。
「なんでそんな遠いところを知ってたの」
「遠いことない。すぐそこやで。みんな山を越えて歩いて行ってたで。あんたが子供やから姫路に出て播但線に乗り継いで行ったんやで。湧き出る水にはホウ酸が含まれているらしい。水を汲みに行けないときは、行く人に頼んだもんや。汲んできた水は暗い所に置いておけば一年は腐らなかったからな」
 私は、はっ、として地図を出した。
朝来町の青倉山を捜してじっと眺めた。
青倉山を円心に約12キロの円を描くと、線上近くに西から佐治(丹波市)、西山(多可郡)、千ヶ峰頂上(多可・神崎郡)、作畑(神崎郡)、神子畑(朝来市)、寺内(朝来市)、夜久野(京都府)が認められた。
 それからの私は、鳥の目になって、上空から町や村や山を見るようになった。まるで平面な地図を見るように。すると、用がなくなって草に埋もれ、自然に帰った古い峠道が甦り、荷物を背負った先人のしっかりと歩む姿が見えてくるのだった。


この記事は多可の雑誌に載っています。

これを見たときに、私の山歩きとおんなじやなぁと思いました。
もちろん山の上に行くのも楽しいですが、昔の人が歩いたという道をたどるほうがもっと楽しいのです。

そのうち、Salaに私の大好きな峠道を載せたいなぁと思います。
でも、いつになったら、書けるのか・・・。
「書く作業」はけっこう大変です。
ましてもや、すぐに修正がきかず、いろんな方が見られる本となれば・・・。
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by deity_river | 2011-05-28 20:49 | しゅみ

感謝の気持ちを忘れない

 5月15日。
やまあそさんが「三久安山ハーレムオフ会」を開催しますということで、参加してきました。
「何がハーレム?」突っ込んで見ましたが、反応がないので、それ以上は突っ込まずに参加しました。

 この日の参加者は、やまあそさんOAPさんTQFさん、法道谷でご一緒だった裏人さんたらちゃん、行者岳でご一緒だったMXFさん、そしてはじめましてのたぬきさんご夫妻矢問さんとうこさんちゃ~さん・そして作畑ガールことわたくしです。(あれ?私、いつの間にみなさんに「作畑ガール」と呼ばれるようになっていたのか・・・ま、いっか。)


 実は、わたしははじめての宍粟市の山です。今までに2回オフ会に参加しましたが、どちらも朝来だったので、私の中では勝手に「オフ会=朝来市」というイメージがついています。
ついでに言いますと、宍粟市に行くことすら、本当に久しぶりです。おそらく16年ぶりでないのでしょうか・・・・。

三久安山は、宍粟市のなかでも但馬に近いところなので、朝早くに出発しなければなりません。
やまあそさんに叩き起こして(?)いただき、おまけに近所までお迎えにきて頂いて、いざ出発です。

 集合地は、音水湖のそばの元・引原小学校の跡地附近ですが、今回のルートは周回ではないので、車をデポする必要があるので、まずは藤無峠へ車をデポしに行きます。
デポするのは、たぬきさんご夫妻、矢問さん、TQFさんの車です。
 TQFさんがなかなかこられないので、私ははじめましての3名の方にご挨拶。そして、林道の入口で、うだうだ待っていました。
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  (TQFさん、待ち中)
で、ここで分かったのは、矢問さんに作畑ガールは「畑を作っているもうちょい年配の女性だと思っていた」ということをしりました・・・。(作畑は確かに「畑を作る」と書きますし、実物の私はよく年齢不詳といわれますけど・・・)

そして、やまあそさんに「これ」と言われて、みてみると、あら、ガードレールのすぐ裏に道標があるではありませんか。
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(左 たぢま  右 やま  道  とあります)
でも、ガードレールのおかげで、写真が撮りにくい・・・。なぜ、隠すようにガードレールを設置したのか・・・。
もうちょっと考えて設置して欲しかったなぁ。
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TQFさんが、やっとこられて、ゴール地点の藤無峠へ車をデポしにいきました。
そして、元・引原小学校の下のせせらぎ公園で集合です。

集合したところで、今日のスタート地点となる三久安山入口まで車で行って、まずは挨拶です。
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(このときに、OAPさんが私の姿をみて「ずいぶん山ガールになったなぁ」とのお言葉。とっても嬉しかったです。でも、未だにヘタレなんですけど・・・)

やまあそさんが「昨日、下見をしてきましたが、今回の目当てだった山芍薬は咲いていません」と説明されました。ほかになにか言われていましたが、私は聞いていませんでした・・・。すみません。

今回歩くルートはガイドブックには載っていないらしい方のコースです。
いきなり、朽ちかけた橋をわたります。
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そして、左手に沢を見ながらどんどん歩いていきます。
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途中にの杉林に、
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一人静。その周りで、うるさいわたし(たち)。

そして、ちょっと谷へおりて、滝を見ました。炭焼き窯の跡の近くにあるので「炭焼きの滝」とやまあそさんはい言われていましたが、裏人さんは「感謝の滝だね~」言われていました。
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滝をみて、沢登りが大好きな矢問さんに登れるかどうかきいてみました。
「登れますとのこと」へーこんな高いところを・・・・・。
私も沢登りは作畑と新田で何度かしたことがありますが、私の沢登りは「小学生の川歩きレベル」です。

滝の上から、下を覗き込んでみました。
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そして、「ズリ」と呼ばれる、切り出した木を運ぶ道もありました。
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このあたりにはたくさんの炭焼き窯の跡があります。
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(こんなにたくさんみたの初めて)


裏人さんは「宍粟の山は、人間くさいのよー」と教えてくださいました。
たしかに。
昔の人が山ととても密接した生活をしていたことが、この2つからよーく分かりました。

そして、山芍薬がたくさんあるポイントへ。
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そこで、わたしは、山芍薬ばかりに目がいってしまっていました。
そのときに、いつの間にか枝を踏んでしまったらしく、泥を被り、一人でぎゃーぎゃー叫んでいました。

そして、ようやく尾根へ。
でも、私が「お腹がすいたー」と何度も言っていたので、休憩です。ほんまに空いていたのです。
その間に、無線講習会が行なわれていました。
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(いや、GPSかなぁ?)

こちらでは、とうこさんがベール(手作り虫よけ)を被られています。
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尾根には、素晴らしいブナの森があります。
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尾根をだらだら歩きます。
南を見ると、一山?と東山?だったかが見えました。
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途中にオオカメノキ。
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そして、山頂(1123.2m)へ。
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すでに、たくさんの方がいらっしゃしました。

昼食を食べた後は、最近の恒例となっている山頂音楽会です。

最初は、やまあそさんがオカリナで、私がアンデス25Fで「アメージンググレイス」です。東日本の方々へ気持ちをこめて演奏しました。


アンコールがあったので、次は、やまあそさんがソプラノリコーダー、私がアルトリコーダーで、「ピタゴラスイッチ」です。

音楽会の前後?途中?に、別の団体さんの方が、やまあそさんのファンらしくて、声をかけられています。そのかたは、氷ノ山でTQFさんを見かけられたとか・・・・。


そして、他のもぞくぞくと山頂に登られてくるので、音楽会は終了して、藤無峠へ向かって歩きます。

ここからの尾根はずーっとブナの森です。
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私、こんなにひろいブナの森ははじめて!
いつもだいたい暗く、じめっとした杉山が多いので、太陽の光が入り込んで明るいけど、涼しいブナの森にルンルンです。

これが有名な三久安山のホウの木。
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ひらけているところから北を見ると、但馬妙見などが見えています。
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そして、ブナの森を歩く。
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こんどは、開けているところから、氷ノ山がみえました。
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(雪がまだ積っています)
そしたら、途中で、山頂に向かって歩いている団体さんとあいました。
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(OAPさんをご存知でお話をされていました)

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何故か、こんなところに・・・・
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(わたしのマーク?)


クマのつめあと発見
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(このあたりは、ホントにクマが多いそうです)

また、団体さんと出会いましたが、またもやOAPさんとお知り合いだそう。
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なぜかやまあそさんを木の中で発見・・・
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(ちょうどいいサイズにおさまっておられます)

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   (ブナの実)
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 (写真を撮る裏人さん)

途中から、ブナに飽きてきたのか、みんなでコシアブラ採集です。
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(コシアブラとっています)
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そして、伐採地につくと、正面すぐには藤無山。
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(やまあそさん曰く「藤無山」と負う名前は、「大国主命と天日槍が但馬の領有を争って石を投げあった時、石を結ぶ藤を捜したが見つからなかったところから」とだそうです。山頂がちょうど播磨と但馬の境界だそうです)
東には、段が峰や暁晴山がみえました。車でここまでくると遠く感じましたが、山から山をみると、近く感じました。
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後ろを振り返ると、三久安山。
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そして、林道へ下りてきました。
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 やまあそさんの掲示板でお名前はよく見ている方々とご一緒できて、本当にうれしかったです。
いつもは多くても4人とかの山歩きだったので、大人数で歩くのは久しぶりでした。
人数が多くなるほど、ばらばらになるので、なかなかそれぞれの方とたくさんお話できなかったですが、ちょこちょことお話をしていたら、みなさんそれぞれに得意分野があることがわかりました。
なので、歩きながらいろいろ教えて頂き、へーなるほどー!そうなんだー!あれがそうですか!と知識が増えました。
でも、それぞれの分野はありながら、心の中の芯?というか、思いはきっと同じで、共感することもたくさんありました。
三久安山での出会い、ほんとうに感謝しています。
“Thank you for answer.I appreciate. ”

ありがとうございました。


 帰りに、皆さんの無線のやり取りを横で聞いていたのですが、私にはさっぱりかんかんでした。
そんなことを横でわーわー言っていたら、わたしの声は「雑音だ」と言われました・・・。
でも、コールサインが、SKG(作畑ガールの略。AKBやSKEっぽい感じですよね?)と選ばせてくれるなら、考えますけどね・・・。
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by deity_river | 2011-05-19 19:36

花よい団子

 5月8日はお釈迦様のお生まれになった日で、花祭りと呼ばれています。

私が、庭にいくと、おじいちゃんは私がおきてくるのを待ち構えていました。
「はようせんと、お釈迦様がいんでもてやー」といいます。
本来なら、前日の7日に、庭に「てんとう花」というものを立てるのですが、私の都合が悪く、8日にお願いしたのです。でも、私が起きてくるのが遅くて、祖父はかなり落ち着かない様子でした。

 さっそく、祖父母が準備してくれていたシキビ、ホウ、ツツジ、ホウ、シャクナゲを束ねます。
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その中の、ホウは必ず一番上にして、「お釈迦様の傘」に見立てます。

シャクナゲは裏年なのか、まったくつぼみもつかず・・・・
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(そういえば、先日のまたに~千ヶ峰縦走のときも、まったくつぼみがなかったです)

でも、新宅のお庭のシャクナゲは満開。
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粟賀方面から嫁がれたかずみさんの話では、「このへん(越知谷)は前栽にシャクナゲがあるんはあたりまえやけど、粟賀のほうはなかったから、お花になったら、よう売りにきよちゃって、それをかって、てんとう花をしよったなぁ。」とのこと。

そして、庭に立てました。
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(裏からみる)


このてんとう花ですが、昔はどこの家でもやっていたそうですが、おそらく、作畑でもやっているのはわが家だけでしょう・・・・。


 仏さまには、祖母が「七色のおかず」をお供えしていました。
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わらび、たけのこ、だんじ、ふき、にんじん、あげ、木の芽です。


 そうこうしているうちに、10時になったので、お寺へお参りに行きました。
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でも、その行きしなに、新宅のしょーちゃんと出会い、「またに山は作畑ではなんと呼ばれているのか?」の聞き取りをしていたので、10時に間に合わず・・・・。

本堂にあがると、すでに心経は終わっていました。
そして、頂きものから、参加させていただきました。
まずは、花御堂に甘茶をかけました。
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このとき、初めて、花御堂の屋根に正覚寺の「正」が模様として入っていることを知りました。
そして、反対側の屋根には「寺」と入っているが正式だそうですが、忘れられたらしく、何も文字はありません。
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今日は、やまびこ学園の子ども達も遊びに来ていて、とてもにぎやかです。
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そして、それぞれ持ち寄られた食べ物と甘茶をいただきました。
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子ども達は、普段口にすることのない甘茶の味にびっくりしています。
そしたら、新宅のかずみさんが「甘茶は、前栽にほかしたらええでー」と教えくれました。
なんで、庭にほかしてもええんですかときいたら、「昔から、甘茶は、人のよう歩くところにほかしたら、お釈迦さんがよろこんでんやってゆうてんやで。そんなことを石風呂のねーさんからきいたわ」と聞きました。
石風呂のねーさんってことは、祖父の姉だから、きっと、ねーさんは、私の曾祖母から聴いているんだと思いました。
でも、私は、甘茶もおやつも全部頂きました。

くまさんが、お寺の庫裏をみて、「ここでキャンプしたら子ども達大喜びだろうなぁ」とお母さん達に説明されています。
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(あら、写真を見て気がつきましたが、おまいりされているお母さん達の半分以上は井上さんです。)

歓談した後は、解散しました。

子ども達は、帰りに、下村橋の下にこごみがあるから採る!とおおはしゃぎ。それを見守りました。
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わたし、こごみってなんかこわいなぁと思っていましたが(だって、クサ「ソテツ」ですよ!)、調理したものをめぐみちゃんからいただいたら、おいしかったです。


 お寺から帰ってきて、祖父に今日も寝坊してごめんねと謝っていたら、祖母が「そらそうや。昔から『花よい団子』っていうやろ。『花より団子』とちゃうで。『花祭りの日には宵のうちから団子をまつりなさい』という意味やで。」と教えてくれました。
そんなんだれに聞いたん?と聞いたら、祖母は「おばーちゃんも昔は『花より団子』って聞いていたけど、ここにきたら『花よい団子』って、(ここのおばあーちゃんが)ゆうとちゃったなぁ。おじーさん?」
おじーちゃんは「そうやそうや。」といいました。

なるほど。
またひとつ、こうおばあちゃんの言い伝えを聞きました。
そして、今では、どこでも見れなくなった「てんとう花」。
ずっと続けていきたいと思います。
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by deity_river | 2011-05-19 19:32 | ぎょうじ

元伊勢へ

 もう一ヶ月近く前のことになりますが、Salaを通して、お友達になった95さんと元伊勢へ行ってきました。
というのも、ホームグランドが丹波周辺の95さんに「祖父が昔、元伊勢の方の集落へ木馬引きに行っていて、その時の写真があるんです!」と話したことにはじまります。

「なら、いってみましょう!」と連れて行っていただきました。

4月24日。
まずは、外宮。
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そして、内宮へ。
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(この横にあった、坑口みたいな穴は、節分の日に行なわれる祭り「かわらけ割り神事」にちなむ岩石祭祀場だそうです。写真とり忘れ・・・)
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そして、95さんがここには「天の岩戸がある」とおっしゃるので、そこへ・・・・。
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(日室ヶ嶽を拝む「一願成就」の一願さんといわれているそう)

そして、このあたりから、雨がひどくなる・・・・(私は雨女です)
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天岩戸神社の前に鎖が・・・・。雨で滑りそうでこわい。でも頑張って登ると・・・。


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(見えました!天の岩戸。この前で、アマノウズメが踊ったのですね。)



その後、いろんな動物が彫ってある面白い神社があるから行きましょうと、星原の星宮神社へ行きました。
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   (ウサギ?)
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   (ゾウ?バク?)
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  (たけのこを掘る?)
他にもたくさん動物が彫ってありました。これを見たときに、空の星と関係があるのかぁと思いました。
本を読んでいたら、星宮とは妙見信仰と関係があるみたいなことを書かれていましたが、私の頭は、またもや理解不能になって来ているので、もう少しいろいろ調べて見たいと思います。



いろいろ散策しましたが、祖父がどこで木馬をひいていたかというのは、よくわかりませんでした。

祖父の話では、「しまちゃん、すすむさん、ふさちゃんとわしの4人で、こん時の上だった姫路の渡辺製材のトラックに乗って、元伊勢までいったんや。ほんで、なんとかっていう集落のお宮さんの御神木をきりだしたんや。これは、そらーおっきい木やったで。写真にも5,5尺ってあったやろ?このへんのもんはー、木馬引き普通やったけど、あっちのひとらーは、めずらしーて、元伊勢のもんじゃが、播州もんじゃの木馬引きをみにきとったわいなー。」

でも、私は、一体どこの神社の木を切りだしたのか、見たかったのですが、祖父は「わすれた」の一言でおわりました。残念・・・・。
この5,5尺の切り株をいつか探しだしたいです。
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by deity_river | 2011-05-19 11:51 | しゅみ

 5月5日。
 久しぶりに山ちゃんと、山歩きしたいなぁと思っていたところ、「せっかくなので、作畑・新田方面の山はいかが?」とお返事が返ってきました。
作畑・新田方面は、まだまた気になるところがあります。
 しかし、ちょうど1年前、山ちゃんと石風呂コースをご一緒したときに、ちょっと大変やなぁ・・・と山ちゃんを困らせる状態(つまり、前にも後ろにも恐くて歩けない状態)になってしまったので、私でも歩けるコースを設定してくださいました。(言い訳をすると、このときは、山道を歩きなれていないのと、コースアウトをしたのです・・・。)

 今回は、新田ふるさと村から生野の梅ヶ畑へ続く林道の途中から、右手の谷へ入り、巡視路を経由して、神河町と多可町の尾根へ載り、そこからまたに山~市原峠~水谷へと下りてくるコースを歩こう話していました。
しかし、当日になって、聞いたのは、「新田ふるさと村から生野の梅ヶ畑へ続く林道の途中から、右手の谷へ入り、巡視路を経由して、神河町と多可町の尾根へ載り、そこからまたに山~市原峠~千ヶ峰~石風呂へと下りてくるコース」です。下りてくるのは、整備されている千ヶ峰石風呂ハイキングコースではなく、石風呂の尾根に下りてくるコースです。
小畑山~白口山歩きをご一緒した杉ん子さんが、浅ヶ谷から千ヶ峰の尾根に上って石風呂の尾根に下りてきたと、聞いていたので、どういうところかちょっと気になっていました。

 でもでも、巡視路から尾根にとりついて、千ヶ峰まで歩くって、けっこう長距離のような・・・・。
最近よく山歩きはしていますが、そんなに長くない距離をわーわーいいながら、寄り道しては、立ち止まるというような感じばかりだったので、、歩く前から今日のコースは踏破できるのか、かなり不安でした・・・。

でも、よくばりな私には、もったいないぐらい、いろいろ楽しめるコースです。

 
 まずは、作畑のやまびこ学園に集合。
私はついたときには、山ちゃんも、Nご夫妻も到着されていました。そして、私が着くまでに、3人は、「2日前に御祓山に行った時に、偶然にも、やまあそさんとともみちゃんと二人で歩いているのとばったり出合って・・・・」というお話で、盛り上がっていたそうです。N夫人に、「あのあと、御祓山から下りてきたら、何時ぐらいになったの?」と聞かれました。「え~っと、あそびながら歩いていたので、御祓山から大屋富士を経由して駐車場に4時半ぐらいで、お家に帰ってきたら、7時前でした~」といったら、とってもビックリされました・・・・。ええ、いろいろ遊んでいたんです。(じゃなくて、いろんなところで、私・・・じゃなくて、やまあそさんが大人気だったんです)

そんな話をして、さっそく、スタート地点となる、新田ふるさと村の奥の林道から右手にある谷を目指します。

あれれ??今日のスタート地点となる、林道へ行ってみて、ふと、気がつきました。
この場所に見覚えがある・・・・。
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思い出すこと3~4年前、私はこの場所から、3回ほど沢のぼりをした記憶があります。(でも、ブログには載せていません)
梅ヶ畑へと至る林道から右手の砂利道林道へ入り、少し歩くと、巡視路ががあります。
あれれ?沢のぼりする時も、ここを歩いて記憶はあるけど、巡視路の赤い看板にはまったく記憶がありません。
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(沢のぼりのときは、もうひとつ川上の橋のところから川に降りました)
というか、これが巡視路の看板だとは知らなかったから、まったく目に入っていなかったのでしょうか。

あとで、作畑のしょーちゃんにきいたら、この林道は多可町の鳥羽(とりま)に抜ける、「貝坂峠」と歩ばれる街道だそうです。この谷を「もったに(持谷)」というそうです。
沢のぼりのときに、わたしはこの谷のもう少し奥で結構大きな滝があったのを記憶していますが、これはメインの谷であり、越知谷地域と加美地域を結ぶ「貝坂峠」の一部です。ここの谷は細かく谷が分かれていて、それぞれに名前があるそうです。

沢はまっすぐ続いていますが、今回は巡視路経由で歩くので、橋を一つ渡って、看板が指し示す道を歩きます。
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(まず、目指すのNo.20の高圧線鉄塔)

しばらく歩くと、そして、高圧鉄塔へつきました。
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そこから白口峠方面を観察しました。
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途中はシャクナゲの木がたくさんありました。でも、どれも、つぼみさえない・・・・。
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(え~!今年は裏年なの?)
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代わりに、アカヤシオか、ツクシアケボノツツジが咲いていて、きれいでした。N夫人に違いを説明をしていただきましたが、植物の違いまで頭に入らず・・・すみません。


そして、西雄岳(と、勝手に名前をつけられたらしい)という神河町と多可町の境界尾根846をめざします。途中、倒木がおおく、激斜面を登ることになりました。私は四苦八苦していますが、N夫人はひょいとあるかれています。さすが!
山ちゃんに助けていただきながら、ようやく、西雄岳へ。
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(東側には加美区の集落がみえていました)

そこから、いよいよ境界尾根の縦走です。
でも、西雄岳から南をみると、えー!めっちゃすごい谷・・・。せっかく高度を上げたのに、これを下って、また登り返すの?ひとりで、つぶやいていましたが、「そうやで」と山ちゃんにいわれ、千ヶ峰まで、いけるのかかなり不安になってきました。しかも、途中、ロープがあります・・・。
でも、なんだかんだいいながら、ゆっくりゆっくり谷を下りて、ちょっと登ったら、次のピークへいくことができました。
途中、偶然にも、シャクナゲの一つのつぼみと出会いました。
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後ろを振り返ったら、あら?私、こんなところを歩いとったん?と思うような結構急な斜面。
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(ピークが「西雄岳」です)

そして、清水分岐をみて、
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尾根をひたすら歩きます。
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やっと、あこがれの「またに山」へ。
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ここから北をみると、三国岳がはっきり見えます。
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(あそこにも行ったんだと思うと嬉しくなる私です)
西を見ると、雪を被った山が・・・・。
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(これは氷ノ山だそうです)

私が「またに山」を知ったのは、一体どういうきっかけかは全く記憶がないです。でも千ヶ峰の北に市原峠があって、その北に山があると聞いて、気になっていました。

すこし、時間は早いですが、「またに山」の山頂で、昼食です。
Nご夫妻からは、ラーメンとぜんざいをいたきました。
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(わたしたちのために、料理をしてくださる、N夫妻)
うわさにはきいていた、Nご夫妻の昼食振る舞い・・・。
とてもおいしくて、感動しました!!
ご馳走さまでした。ありがとうございます。
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(頂いたラーメン)

ちょっと話は脱線しますが、やまあそさんから「またに山」は自分が広めたと、聞いたのですが、作畑では、「またに山」といわれているということを私は、まったく聞いたことがありません。
やまあそさんからは多田繁次さんの本に「またに山」と書いてあって、それでピーク名を知った」とききました。でも、その本には、名前が書いてあるだけで、それ以上の情報はありません。
いったい作畑ではなんと呼ばれているのか知りたくて、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚のかずこさん、しょーちゃんに聞いてみましたが、みんな知らんとの答え。
かずこさんから「みたに」と聞きましたが、これはいったい、本当にあっているのか、はたまた加美側の「三谷」と勘違いされているのか・・・。でも、前に、新田のやつひろさんと作畑のひろしさんに聞いたら、そのときも「みたに」といっていたので、もしかしたら、越知谷では、「みたに」かもしれません。そのときは三谷のことだと思っていました。
山に詳しい、しょーちゃんからは、「あの山頂は名前がない。あそこから西の谷は「曲谷(まがりたに)」ちゅーって、そこを下りたら新田ふるさと村のコテージのある谷や。この辺の山の名前っちゅーもんは、三国岳、千ヶ峰、南山、笠形よりほかは、“ただの山”やなぁ。」と聞いて、ちょっとがっくり・・・。
でも谷には細かく名前がついているということはお話を聞いてよく分かりました。
(そういえば、やまだのけんじさんからも、だいぶん昔に、作畑の風景をぐるりと見渡して、あの谷はなんとかで、この谷はなんとかで、と、それぞれの谷に細かく名前があることを思いだしました。たしか、祖父に山の地形の説明を聞くときも、まず谷を指すことが多いことに、今頃、気がつきました。)



そして、市原峠方面むかって歩きます。

あら?尾根が林道で分断されとるやん。
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しかも変なところに階段を作っていますが、階段崩れかけです。
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登り返して、尾根道へ。
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でも、また林道で分断されています・・・・。
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こんどは、市原峠でした。

こちらも、階段ができていましたが、階段が崩れていました。
というか、こんな畑の土のようなふかふかなところに、無理矢理階段を作っているせいで、崩れているんですけど!!私は、怒りながら、降りました。

そして、市原峠からの千ヶ峰登山コースをみてびっくり、なんかやけにきれいに整備されとるやん。
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秋にきた時はこんなことなかったのに・・・・。

そして、N夫人に昔の市原峠を教えていただきました。
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(真ん中の道がそうだそうです)
神河町側は林道でつぶされてしましましたが、多可町側は少し残っているようです。(なんで、昔の峠道を残さずに、その上に林道をつけられたのか・・・・もったいない)

尾根道を歩きます。わたしはこのとき、けっこうくたくたでした・・・。
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(定員数名の東屋。出来立てほやほや?)

途中、子どもちゃんと出会いますが、子どもちゃんたちはめちゃくちゃ元気です。

あれれ?前はなかったのに、今は、山頂に向かって、ものすごい数の階段があります。
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整備されることは嬉しいのですが、このものすごい数の階段を見るだけで、精神的に疲れてきました。

今度は途中に、林道が・・・
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(これが、白口山から見えた林道か・・・と思いました)

ぼつぼつ登って、やっとの思いで、山頂へ。
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(途中で、抜かされた子ども達が、出迎えてくれました)
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(みんなで記念撮影)


もうお昼も食べてしまったし、楽しみもないね・・・ということで、お茶を飲んだ後は、「サプライズ!ひとりで、リコーダーコンサート」です。でも、楽譜がなかったので、適当に吹きました。すみません、ヘタすぎて・・・。(そういえば、私がだらだら歩いていなかったら、山頂で、わーさんとご一緒できたかもしれなかったみたいです。)


しばらく休んだ後は、石風呂へ向かいます。



山頂から南の尾根にそってあるき、途中から石風呂方面へむかいます。
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そして、支尾根を歩いて下ってゆきます。

途中に、メインの尾根道と合流。
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(このあたりに、色とりどりの紐がまいてあった杉がたくさんありました。いったい何案でしょう?林道整備のため??)
このあたりが、作畑の共有林でカヤカリ場だったみたいですが、今はそんな雰囲気ではありません。

そして、石風呂の谷へ下りるハイキングコースとの別れを左手に見ながら、まっすぐ尾根を歩きます。
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(左が石風呂のジンチイ谷です)

途中、作畑の浅ヶ谷へわかれる尾根道とのわかれがありますが、そこは左へ。

そして、ひたすら、尾根を歩いていきます。


いったいどこにでるのやら?と思えば、墓地が見えてきました。
そこは、石風呂の足立さんのお墓です。

その手前に、鹿柵があります。
私大嶽山に登ってから、山歩きの時に鹿柵を見るととても焦るのですが、ピンポイントで、鹿柵のゲートがありました。
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助かりました。
そして、作畑の石風呂へ無事に帰ってくることができました。
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(川向こうはスタートとなった、やまびこ学園)


山ちゃんとNご夫妻の車が新田奥の林道にあるので、私の車でとりに行き、そこで、解散でした。


 今回は、とても長距離?でしたが、楽しい時間をありがとうございました。
山ちゃん、Nご夫妻と一緒に歩けたことを、本当に感謝しています。
山ちゃんにはちょうど一年前の石風呂コース往復千ヶ峰歩きからは、レベルが上がっていると褒めていただき、「山ちゃんコース卒業認定証?」を頂き?ました。

 こうやって、あるきながら、地元をことを知ることはとても楽しいです。

でも、本当に、車が走れる林道と、山頂近くの丸太の遊歩道にはショックです。
いってみないと、分からないものですね・・・。
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by deity_river | 2011-05-08 22:42 | しゅみ

文字制限で載せきれなかった前編(山歩き編)はこちらをご覧ください。

 御祓山を歩いたあと、いろいろ方から、お話を一日で聞きすぎて、頭がもやもや、それがだんだんもつれて混乱してきました。
でも、養父に伝わる民話の本を持っていることが頭の中に蘇ってきて、家に帰って、さっそく伯父さんに頂いた『やぶの民話』をひっぱりだしてきて、関係がありそうなところを読み返しました。
開いてみると、こんな民話が載っていました。


<馬のあしあと> 森地区に伝わるおはなし
 大屋町の奥宮本に、川の中に石があって、それに馬のひづめの跡がありよった。天馬があそこを
通ったんじゃとかかいう。
天王さんがだーっと馬に乗って、出られょうって、その石が邪魔ぁなって、馬がちょんと足を掛けたら、
馬の足跡がついたんじゃともいう。


<神社の取りあい> 森地区に伝わるおはなし
 三谷(養父町)のもんと宮本(大屋町)のもんと、天王さんにまいりよったんじゃけど、三谷のもんじゃ、宮本のもんじゃいうて喧嘩ぁしたらしい。
「そんなら、帰って、あしたの朝早う行った方が、お宮さん持って去(い)のう」いうこってやったら、三谷の者ぁ正直やったしけぇ、
「あした、帰って早う行こう」いうこって、たーっと戻ったんじゃそうなし、宮本の者ぁ手にあわなんだで、途中から引き返して、いって、引っくり返して持って去んじゃって。ほえで、いま宮本に天王さん祭っとるんじゃ。
三谷のもんが一杯食ったんじゃ。天王さんは御井神社ゆうとる。


岩井のお母さん達からは、「神さまは、牛に乗って下りてきんさった」と聞きましたが、峠をはさんで東側の森では牛の代わりに「馬」だったり、はたまた、ケンカしたとかいうお話だったりして、おもしろいなぁと思いました。

そして、セットでもらった『よもやまばなし』には、
<お走りさん> 森地区に伝わるおはなし
 4月15日、16日、養父神社から延々27キロ建屋斎神社にみこしが往復する奇祭をお走り祭りといって、町祭りとしてしられている。発祥は神功天皇が三韓征伐の帰路、養父神社に、“葛の葉餅”を献上せられその一部を斎神社に供えたという故事にまつらるお祭りであるが、このお走り祭りの道中の部落では、それぞれに接待の風習がみられる。
 昔、養父神社を出発したみこしは、三谷部落の奥を西向きに進みくしばの御祓山牛頭天王社に寄られたのちに、森分のタワ、サイキを越して、カカナベ作山明神より、谷口の荒神の森を通って、浅尾大明神に立ち寄られ、奥山口、建屋川越附近で小休止、社内神社氏子の歓迎を受け、建屋川沿いに斎神社に向かれたという(以下省略)


とあります。私はこれを見つけたときには、びっくり。
みこしのルートがあるではありませんか。これをみたら、また、このルートが気になりはじめました。

それに、宮本御井神社のまえで、草引きをしているお母さんからは、御井神社では1月14日に松明を燃やすお祭があると聞きました。(作畑では、この日は、「とんど」をして、「きつねがえり」という行事をするので、そういうものかなぁと思っていました)
いったいどんなお祭りなのかなぁと調べてみると、このことが『兵庫県の秘境』という本に書かれていました。

 大屋町宮本の御井神社は、牛頭天王を祭り、天王さんの名で知られている。この宮では、1月14日夜、鬼やらいに似た「まいっそ祭」がある。(中略)
 太鼓の音とともに式が始まり、面を着け、鉄鉢をつけた鬼神が現われる。鬼神は無言であるが、一同は「まぁいそ、まぁいそ」と叫びながら、鬼神を松明で叩く。その間に鬼神は、ゆっくり四股を踏みながら、左に進んで本殿に帰る。この時、誰かが「ホイあった」と叫ぶ。(中略)
 まいっそ祭りは、その昔、但馬一円が泥海であって交通は船に頼っていた頃のある日、ご神船の一双が流失したので、「もう一艘ない」を夜をこめてさがしたのに始まる。「ホイあった」は、船を発見した知らせ。その場所を船谷と名づけたのが、宮屋敷山の麓、養父町船谷である。


 但馬に関する本をいろいろ読んで、いろいろ分かったことも多かったですが、けど、逆に、興味が広がりすぎて、分からないことも増えてしまいました。
自分でも驚いたのは、「船谷」は祖母の生まれた地域なのですが、そこも関係しているとは・・・・。
なんだか、書き出したらきりがないので、一旦、このあたりで締めくくろうと思います。



 この日も、本当に奇跡のような出会いができてとても感謝しています。
そして、やまあそさんがいなかったら、私は神社跡を見つけることができなかったし、その前に、山頂までにもたどりつけていなかったと思います・・・。きっとロープ激のぼりで、立往生か、確実にストックを谷に落としていたでしょう!

 『やぶの民話』をはじめ、但馬に伝わる民話がおさめられている本は前々から読んではいたのですが、そのときは、「あぁ、こんなお話があるんかぁ・・・」と、ビックリはしたものの、たくさん伝わっている民話の一つとしか認識していませんでした。しかし、山歩き後にあらためて見返すと、しっかりと頭に刻むことができました。
民話は本当だったということが、自分の足で歩いて、目で確かめて、話を聞いて、分かりました。
でも、寄り道しすぎかも・・・・。
そのおかげで、いろんなことがわかり、繋がったのですから。とても、満足です。

でも、きっかけは「お走り祭りの神輿が登っていたという御井神社跡をみてみたい!」という、単純な気持ちだったのですが、いろいろ話が横に繋がっていて、こんなに奥が深いとは・・・・。それこそ、調べても、調べても、話が繋がっていくと思います。また、今度は違う物事から養父の民話や言い伝えをみていきたいなぁと思います。

そして、『よもやまばなし』を読み返しているときに、こんな言葉が目に入りました。

 車を乗りまわし、コーヒーの香を求めながら適当に金儲けをして、テレビやカラオケで興じることのできる世の中になって、誠に申し訳ない、有難い時代だと思います。
 近頃は、路地に入っても、片側駐車のできるようになり、しばらく地元を離れている人が帰ってくると、この変りように目を見張ることが多いといいます。しかし、私たちは、家が建ち変ったり、道が整備されても、すぐその環境になれてしまって、当然のような気分になってしまいます。
 道ばたで、蕗のとうや雪の下を摘んだ石垣はなく、しじみやザリガニをとった溝は今はうめられてしまって、何か、一抹の淋しさを禁じ得ないのは事実であります。
 こうした地形の変化はもとより、生活のなかでの変りよう、つまり、風習、しきたり、語り草、行事その他もろもろのことが変わりつつあり、変るだけでなく、忘れ去らようとしています。
 “あのおじいさんがよく知っていたが、あの時、もっとしっかり聞いとけばよかったのに”・・・・・・と、或いは、“昔の者は、何でも書き残してくれればよかったのに”と後で気がついたり、残念に思うことがしばしばあります。
 このことが、善いにつけ、悪いにつけ、昔はこんなんだった、と想像するだけでも、面白いし、参考になります。
 経験のない私たちは、ふだん家庭内で、年寄りから、いろんな話を聞いても、なにくわぬ顔で聞き流していますが、お年寄りが亡くなれば、いくら探し求めても、再び知ることができなくなってしまいます。(中略)
 記録ということは、これは面倒なことでありますが、大切なことで、どんなに字が下手でも、文章がまずくても、書き留めておく癖を持ちたいもの、私たちが昔の人を批判する前に、先ず自分の身近なことから綴っておくことが必要だと思います。


これこそ、私が日々おもっていることやん!と共感しました。
糸原・宮本・岩井廃村で出会ったお母さんたちから聞いた物語。
ぜひ、後々の世にまで、伝えていってほしいなぁと思います。
それに、あらためて、自分がやるべきことを再認識しました。


まったく、うまくまとめられなかった上に、長々と文字ばかりですみませんでした。
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by deity_river | 2011-05-08 22:01 | しゅみ

 昨年7月に餅耕地の朝日家へお伺いした帰りに、斎神社へ寄りました。
そこには、「お走り祭り」の看板がありました。
それをみたやまあそさんに「昔は、御祓山の山頂(近く)に御井神社っていうのがあって、お走り祭りの時にはそこまで神輿を担いであがっていたらしいで」と聞きました。
そして、いつかその場所も行って見てみたいと言われていました。

 それから半年、お正月に但馬の祖母と話しているときに、ふいに「お走り祭り」の話になりました。
祖母は、船谷の日枝神社で、お走り祭りの神輿が休憩しているのを小さいとときから見ているそうです。

私の頭の片隅には、いつか、その「お走り祭り」を見てみたいという気持ちが湧いてきました。
調べてみると、それは、4月の中頃とのこと。
きっと平日だろうと思って、あきらめていましたが、今年は4月17日でした。
私が、作畑観音講へお参りに行っていた日・・・・。
この日にお祭りだったと知ったのは、終わったあとでした。
それを知ったと気には、とっても悔しい思いでいっぱいでした。

 しかし、GW間近、やまあそさんから「みはらいやまのみい神社あとにゆきます」と連絡がありました。
御祓山の御井神社跡・・・・。
たしか、お走り祭りの神輿がかつてあがっていたと聞いたことが記憶の片隅からよみがえってきました。
見れることができなかったお祭りの代わりに、絶対に行ってみたい場所です。
それに、お走り祭りと関係なくても、「山にかつて神社があった」と聞いたら、興味が湧くわたしです。
どうしても、自分の目で神社が一体どこにあったのか、確かめて見たかったので、無理を言って、私の都合にあわせていただきました。

 やまあそさんの考えてくださったルートはみづめ桜をみて、御井神社の跡を探した後に、御祓山までいき、そこから西に向かって延びていてる尾根をつたって、大屋富士まで行くそうです。そのピークの手前(東側)にはふもとの糸原地区の産霊神社の跡があるそうです。今日は2つも神社跡を見ることができるコースです。


 5月2日。
私にお走り祭りへの興味の種をまいた?やまあそさんと一緒にいくことになりました。

大屋糸原地区の南の谷、みずめ桜のある谷が駐車場です。
私たちが着いたときには3台の車が止まっていました。
あれれ?そのうちの1台のナンバーに見覚えがあります。(私は車種は覚えられませんが、番号はだいたい覚えることができます。分かりやすいと、すぐに覚えます)
もしかして、笠形山で偶然お会いしたNご夫妻?

そして、いよいよ最初の目的地、「みずめ桜」に向かってスタートです。
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最初は杉の林の林道です。橋には、林道鉄道に使っていたレールが欄干になっています。
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(そこにのってみるやまあそさん)
しばらく行くと、明るい森です。
ここは「ミツバツツジ」がたくさんあり、斜面がピンク色になることで有名なのですが、ちょっと時期がおそかったので、ツツジはほとんど終わっていました。でもところどころでかろうじでのこっていたので、それを観察ながら、歩きました。
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右手には、スリガ峰(大杉山)とアオマ山(須留ヶ峰)がよく見えています。
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(左のピークがスリガ峰・右のピークがアオマ山)

その間、みずめ桜までの距離をしめした看板がたくさんありました。
ここで500m。
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次の看板は、あれれ?
数字が増えている?歩いたのに、目的地までの距離が延びるのは何故なのでしょう・・・。
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(しかも、8に×がついて、下に700mと書き直しが・・・)

そうこういっているうちに、「みずめ桜」が見えてきました。
そしたら、桜の木の近くにご夫妻の姿が・・・。

わたしはNご夫妻だとわかったいたので、おどろかそうと思って、やまあそさんの後ろにかくれて様子を伺っていましたが、夫人が手を振られていたので、ばれたのか~っと思って、手を振りかえしたら、実はわたしたちを別の夫妻だと思って手を振られていたとのこと。
そして、笠形山以来の偶然の出会いに、みずめ桜の下で話が盛り上がりました。
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(本当に奇遇でしたね~。その2日後は、山ちゃんと「またに山」に行く予定だったのですが、ご夫妻もご一緒であることをここで知りました。)

私はてっきり、今から山頂に行かれるのかと思い込んでいましたが、Nご夫妻はすでに山頂にいかれ、下山途中でした。え~、早い!私たち、いまから登って、御祓山の山頂で昼食だったらいいなぁとうペースだったんですけど・・・・。

偶然の出会いに惜しみつつ、私たちのコースはこれからなので、別れを告げました。
桜の木のところまで来ると、男性がカメラで桜をとっておられました。
看板には樹齢約600年とあります。ということは1400年代から生きているということですか・・・。
私には信じられません。
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(これがみずめ桜です)
そして、しばらくすると、単独男性ハイカーさんとすれ違いました。その方も下山途中。
ということは、これで、下に駐車してあった車の持ち主の方とはみんなすれ違ったことになります。

そして、尾根に入ると、ロープが・・・。
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(地面にはケーブルがあります)
ロープもって登るのは苦手です。私のストックを持ってもらい、ロープを握って登りますが、
そんな登り方危ない!と上からやまあそさんに叱られます。
「ロープを両手で持ってしまうと、ロープに頼っていることになるから、万が一ロープが切れたら、斜面から滑りおちてしまうやんか!ロープを持つなら片手だけで、もう一方で地面につく。」とのこと。はい。以後、気をつけます。

そして、尾根へ。
尾根にでると、テレビの共同アンテナの部品が落ちています。
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これは真空管というものらしいです。
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アナログ世界?に生きている私にはさっぱり。
私に機械のことは何を言っても無理だと思ったやまあそさんは、説明さえもしてくれなくなりました。
(だって、小中学校で教わらなかったんです、と言い訳する。実際そうなんですけどね・・・。)こちらはアンテナの残骸・・・・。
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(確か、生野の太盛山でも同じような状態のものをみました。)

 御井神社の跡が正確には分からなかったので、少し休憩して、体力を戻してから、探しました。
すると、やまそさんは、すぐに見つけれました。でも、私にはわからず、ついていくと、確かに尾根からちょっと降りたところに石碑がありました。実は、場所しっていたんちゃうん?というぐらい、本当にあっさり見つかりました。
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特に石碑に、年号や世話人の名前はありません。
やまあそさんは、「この石碑のあるところは、地形的にお社がかつてあった場所にみえへんなぁ。だいたいこの場所やと思うけど、広さでいったら、もう少し東の方がなるいところが広いし・・・」といわれました。
このあたりに、なにか石垣でもあれば、そこがかつての神社跡だと明確に分かりますが、ミズナラ?の木がたくさんあり、落葉がすごくて、そんな跡はまったく見つかりませんでした。
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(神社の跡っぽい広い尾根)

そして、御祓山への登山コースに戻って、山頂へいき、昼食です。
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山頂からは、千ヶ峰も見えるとのことですが、あまりにも黄砂がひどくて、まったくみえず・・・。


昼食後は、西へと延びている尾根につたって歩きます。
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途中に、いきなり林道が・・・。林道を歩きました。

そして、今度は林道から外れます
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(はずれるポイントには何故がバイク?のテールランプ?がある)

まだ尾根を歩きます。
途中、やまあそさんは左手に見える山の斜面を観察されています。今から行く産霊神社の跡を見た後に、糸原集落におりる道を探されています。
神社跡なので、村の人が参拝するために使っていた山道がのこっているといいのですが、なくなっている可能大なのと、地形図でみると、結構急な斜面だったで安全に下りられる道をさがしているとのこと。
わたしは、まったく林道に気がつきませんが、やまあそさんは発見されました。指さされても、分からないのが私。

なんて観察力がないのだろうと、嘆きながら歩いていると、今度は怪しい石が。
粘土質の土に丸い石が大量に挟まっています。
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これをみたやまあそさんは「この丸いのは河原の石やん。ってことは、今はここは山の上になっとるけど、昔は川で、地殻変動によってここまであがってきたんやわ。昔、スリガ峰(大杉山)の山頂が海にあったころ、船が行き来している時に、船の底がスリガ峰の山頂をこすったから“スリガ峰”っていう名前がついたって民話にあったやん」といわれました。
但馬は、昔、泥の海だったというのはたくさんの民話に出てきますが、この丸い石たちが、証拠(?)です!!

そして、天狗岩っぽい岩をみつける。そこに乗ってみる。
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(あのピークが「大屋富士」!)

遊んだあとは、また歩き始めました。
鹿柵が現われ、鹿柵沿いに歩きます。
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(途中、いくつかゲートをあける)

そして、鹿柵沿いから少し右手の杉林の中に入ってゆくとに、いかにも神社跡という場所が見えてきました。
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その真ん中に「村社之旧趾」と刻まれた跡碑があります。
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裏を見ると「明治39年午八月 移転」とあります。

私たちは、神社の参道があっただろうと思われる斜面を観察しますが、それらしきものはみつからず・・・しかも、急。

なので、さっき、尾根伝いに歩いているときに見つけた、大屋富士と言われているピークの斜面にある林道から下りる作戦です。

ここの三角点のある山は大屋町の地域局からみると富士のような形をしているので、「大屋富士」をハイキングの本に書いてあるそうですが、やまあそさんの話では「ぜったいちがう。地元では地元の名前があるはずや」とのこと。

山頂からすこし南に降りたところにはなるい場所があり、そこで、すこし休憩した後は、前回に引き続き、ピタゴラスイッチです。
二人だけの寂しい演奏?
いえいえ、ナラもツツジもあるし、、鳥のさえずりもあり、寂しくなんてありません。
前回は私はアンデスを吹き、やまあそさんに迷惑をかけたので、今回は必死にアルトリコーダーを練習して軽量化です。


(練習では上手くいったのに、本番では上手くいかないわたしです。間違えまくりですが、おゆるしください。)

演奏を楽しんだ後は、斜面をちょっと下ったところから始まる林道を歩きます。

林道を歩いていると、みづめ桜や御祓山がみえてき、今まで歩いてきたルートがよく見えました。
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途中、何故か、わたしは幹におもいっきりトゲの生えている木をがっしり掴んでしまい、左手を負傷。
やまあそさんに「手袋を持っているならつけたほうがいい」と言われ、手袋をつけますが、持っていた手袋はスノー用しかなかったので、はめていると暑くなり、手のひらに大量に汗をかいた上に、トゲが手に入ったままで痛いので、かなりテンションが下がります・・・。(トゲはもちろんお家に帰って抜きました)その途中に、わらびを見つけてテンションが盛り上がってきましたが、採ってる時間がない!といわれ、またもやテンションが下がりました。

そういうしているうちに、杉の林に突入。
ここには、ものすごい数の棚田・桑畑跡がありました。
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私は、石垣をみてテンションが再びあがってきました。石垣にあるかもしれないガマを探しました。
でも、らしきものはありましたが、明確にわかるガマはありませんでした・・・。

その棚田の間を流れる沢沿いに歩いて、無事に、里に下りてくることができました。
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 そして、里に入ると、おばあちゃんが畑仕事をされていました。
やまあそさんはすかさず、挨拶をされ、「私たち、みずめ桜を見て、御祓山に登って、この上の山にあった産霊神社の跡を見てきたんです。今は、大屋富士と呼ばれているようですが、あの山はなんという名前の山ですか?」と質問されました。
おばあちゃんから宮山と呼ばれていたことを聞きました。
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(本日はじめてのインタビュー)

おばあちゃんにお礼を言って、現在の産霊神社に向かいました。
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神社の中には阿弥陀堂もあり、ここでは、青倉さんもお祭りされていると発見。
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神社から下りてくると、おばあちゃん達が道にへたりこんで歓談中。そこに、GWで帰省中の男性も合流。
やまあそさんは、また、同じようなことを話をされました。
そこで、分かったのは「大屋富士は糸原では“宮山”と呼ばれていること。そして、さっきみた広大な石垣の下のほうは田んぼで、上のほうは桑畑だったということ。宮山の上のほうは地区の共有林で、下のほうは個人山ということ」でした。
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おばあちゃんたちと男性に、お礼を述べて、別れを告げて、駐車ポイントへ戻りました。
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(もろろん、車はやまあそ号だけ)


 今度は、宮本集落へ。
宮本集落の神社は、御祓山から下りてきたといわれている宮本御井神社があります。翌日の5月3日がお祭りだといことで、集落内には旗が立っていました。

糸原集落でかなり時間を使ってしまい、宮本御井神社は鳥居を見るだけをなってしまいました。
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御井神社の鳥居だけでも見ようと、立ち寄ると、お母さんが庭の手入れをされていました。
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やまあそさんは、またもや「私たち、さっき御祓山にいってきて、御井神社の跡をみてきたんです」とお話をされました。すると、お母さんが「御井神社の昔のことは、Tさんが詳しいから、しょうかいしてあげるよ」と手を止めて、お家へ案内していただきました。しかし、お留守でした。
でも、お仕事かもしれないと、わざわざ仕事場まで、案内していただきました。
このときは、留守(お仕事中?)だったので、お話を聞けませんでしたが、また、紹介しておきますねとおしゃってくださいました。集落を歩いていると、また別のお母さんと出会い、また、やまあそさんは説明をされていました・・・。

 やまあそさんの話では「御井神社は、今は何がお祭りされているのか正確にはわからないけど、昔“岩井牛頭天王社”と呼ばれていた。その岩井というのは、宮本より山の上で、カカナベ峠の手前にあった集落の名前で、その集落は今は消滅してしまっているけど、昔、集落があったところに山小屋みたいなのを作って、年に何回か集まっているらしい。その集まりに偶然出会い、お話を聞いたことがある」と話されました。
 そして、カカナベ峠に差し掛かり、岩井集落がかつてあったところを見ようとしたら、おや?車が止まっているではありませんか!もしかして、今日はその、岩井の人たちが集まっている日?
山小屋を訪問すると、数名の方がいらっしゃいました。

そして、やまあそさんはまた「御井神社の跡をみてきました。」とお話をされています。
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お母さんたちが岩井集落出身だそうです。
お母さんのお話では、岩井の集落は昭和45年まであったそうで、お母さん達が最後にでられたそうです。私たちでみた御井神社の石碑を山まで担いであがった方の名前も「石田源じゅうろうさん」と教えていただきました。
そして、むかし、あの神社には牛頭天王さんがお祭りされていたけど、茶色い牛の背にのって、川を下って、宮本の集落に下りてしまった。その牛の足跡が川の石にあって、それを見たことがあると聞きました。
それに、「ここは武田の里で、ここには埋蔵金があるのかもしれない」そうです。その歌も教えていただきました。
そして、お母さん達にコーヒーとお菓子を頂き、五右衛門風呂も見学させていただきました。
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(入りたかったなぁ・・・・。絶対に気持ちよかったと思います。)
これは、本当に使っていた五右衛門風呂の釜を再利用したそうです。


元・岩井集落の方に別れを告げて、カカナベ峠を越えて、帰路に着きました。


※ブログには文字制限があるようで、書き切れなかった後編は、こちらへ。
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by deity_river | 2011-05-04 00:24 | しゅみ

はじめての種まき

 今日は、高校の同級生の永菅くんに誘われて、はじめての稲の種まきを体験させてもらいました。
(正確には、農作業を手伝わせていただきたいとお願いしてたところ、種まきでもどうですかとお返事をいただきました)

永菅くんは、なくなりつつある棚田の保全や活用をすることを中心に、都市と農村交流、地域活性化を目的とした「棚田LOVER's」というNPOの理事長をされています。
棚田LOVER'sの活動は、前々から新聞記事を通して知っていましたが、Sala49号でその活動の紹介があり、興味があったことを思い出しました。
そして、お話がしたいなぁ思い、さっそく連絡をしてみました。

永菅くんの存在は、高校の頃から知っていましたが、一度も同じクラスではなく(永菅くんは文系で、実は私はこう見えて理系だったのです。余談ですが、理系に入ったのは地理と生物が大好きだったのと、国語の古典と漢文が苦手だったというシンプルな理由です。それと、数学はⅠAやⅡBよりもⅢCの方が好きでした・・・笑)、その上、とっても人見知りな性格だったので、クラスメイトともそんなにお話をしたことがない私でしたので、もちろん一度もお話はしたことはありません。
(人は変わるものですね・・・。)


さっそく、農作業ができる姿(といっても、いつもの山歩きの格好ですが)をして、集合。

永菅くんに連れられて、種まきする会場に向かいました。

それは、なんと上牛尾でIターンで農業をされている「のりふと農園」さんでした。
あら?のりふと農園さん??

実は私はまだこのとき、直接お知り合いではなかったのですが、りんごの木のクミコさんがお友達で、
私も書いているNature Styleしんぶん5号の巻頭に、のりふとさんへのインタビューが載っています。
私はこのインタビューには同行できなかったのですが、しんぶんの記事をみて、おもしろそうな方だなぁと思っていました。
そしたら、なんと、今日はこちらのお家の庭で作業することのことで、びっくりです。

今日はのりふとさんの他に、最近Iターンされたいぬいさんも種まきの作業をされるとのこと。

庭をうろうろしていたら、のりふとさんの奥さん・ゆきさんが出てこられました。
この日は雨予報だったので、傘を持っていっていたのですが、私の傘に入っている名前をみて、ゆきさんがびっくり。
「お名前は、まりさんですか?」と、とてもビックリされました。
いいえ、実はそれは妹の傘なんです。妹が使っていないので・・・・。
あまりにもビックリされていたので、もしかして、わたしの妹以外に同姓同名の方をご存知なのかなぁとおもって聞いてみたら、どんぴしゃり。わたしも、実は、妹と同姓同名の方を知っていますと話すと、実は同じ人だったということで、話が盛り上がります。

そんなことをしているちに、種まき作業の開始です。

はじめに、種まき用の土に適度に水を含ませます。
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手早く、土を“かじく”ようにするとまんべんなく水分が広がります。私もやってみましたが、なんかできない・・・・。

土が湿ったら、それを機械にセットします。
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機械に入れ物を通すと、土を最初にうっすらひいて、その上に種をまんべんなく均等にまぶして、その上に土をかぶせて出てきます。
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(あとは、流れ作業ですが、最初の調節にとても時間がかかりました)

ウチても、稲作をしていますが、苗は芝のように育っている状態のものを農協さんから買うので、実は初めての作業だったのです。


苗箱に土と種が入ったものがどんどんできあがるので、それを運びました。

のりふと農園さんの分は、なわしろへ運びました。
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途中、作業に疲れた私は、休憩。

こちらは、のりふと農園さんのニワトリです。
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わが家にも、物心ついた時には、庭にニワトリがいました。
そして、朝、ニワトリ小屋にいって、卵をとってくるのは私の仕事でした。
休みの日にはニワトリに朝にエサをあげるのも、わたしの仕事でした。
ニワトリが大好きで、その絵も描きました。
小さい時の夢は、ニワトリの親になることでした。
生まれたてのひよこが一番に見たものを親だとおもうと聞いて、頑張って見ましたが、いつもダメでした。

ニワトリをみながら、幼いときの思い出がよみがえってきました。


とくに、ゆきさんとはいろんなお話をすることができて、生き方がとってもすてきやなぁと感激しました。
ぜひ、自分にできる範囲で参考にさせていただきたいです。
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最後に、永菅くんの農園を見学させて頂きました。
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こんなに広いの管理しているの?
でも、写真で撮ったのは、農園の一部でした・・・。
すごいなぁ。

私は、根気がないから無理やわ。
畑仕事って、自分との戦いやもん。
すぐに疲れるのです。
今日も、半分以上はサボっていたし・・・。


今日もたのしい一日をありがとうございました。
また、ぜひ、お手伝いさせてくださいね。

地元で頑張る者のひとりとして、とっても元気をもらった一日でした。
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by deity_river | 2011-05-01 23:13 | しごと

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。