先週「かみかわ百選 ガイドブック」が届きました。
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昨年?ぐらいに町が選定募集をしていて、私もぜひ皆さんに知ってもらいたいなぁと思うところを推薦しました。

とても面白いので、ぜひ機会があれば見てください!

私はこれを見て、中村行者岳と大山あたりの山が気になりました。
どちらも前から気になるスポットですたが、機会があればぜひともいってみたいです。

500円で販売しています。
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by deity_river | 2012-04-29 22:25 | しゅみ

神明谷へ

 2010年、『岩屋地区から「いも峠」を越えて、金蔵寺へお参りに行った』ときのレポートをまとめているときに、おもしろい文章を発見しました。

長井作治さんが書かれた『岩屋史考』には、
遠い昔この笠形山を中心にして山岳民族が住居していたのがだ始まりで北側の斜面も今よりは綾やかで南側には笠形神社 北側には金蔵神明と神を祀り山岳信仰とかの生活の支にして暮たしていたものと思われる 北側の神明谷は土質の関係上其の後何回か山崩れが起き今では剣しい斜面に成っている 奈良時代の山崩れえ金蔵神明の社も押流され只一つ金蔵の紙の御幣が多可郡的場の山中の高い木の上に引掛っていたので所処に祀られていた伝説として伝られて聞いたが 的場の金蔵寺の案内書には天平三年(西暦七ニ六)笠形寺より湧出したる六糧の黄金仏薬師如来を当方面が導キ祀った音が記されている”
 また、“神明神社は明治時代の神社合祀令に従って村中の現在地に移され神明谷には何時の時代から茲に祀られていたのか屋敷趾の石垣は今でも残っている

とあります。

これを見たときに、神明谷には寺や神社跡など、いろいろ言い伝えがあって、おもしろそう!と直感で思いました。

 ある日のこと、ご近所の地平さんと笠形山のことで立ち話をしていたら、地平さんは、神明の谷で「崖磨仏」を見たことがあると言われました。また、昔に、町の広報で、この辺りにある宝篋印塔も紹介されていましたが、見たことがありませんともいわれていました。そんな話を聞いたら、とても見に行きたくなります。それらも含めて、神明谷を散策しようということになりました。
 
 こんな興味深いお話、やまあそさんならおもしろがってくれるだろうと思って、やまあそさんも誘ったら、「行きます」とのこと。というか、二人だと、地図が読めない?(地平さんは読めると思いますが、山歩きが久しぶりで不安そう)だったので、やまあそさんに山の案内をお願いしました。


4月1日

集合して、神明谷を目指します。
そういえば、境目の「首切り地蔵さん」に道標があったことを思い出して、まずは見学。
『従是  右ハ神明道 左ハ京道』とあります。
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「左ハ 京道」はもちろん、「いも峠」を指しています。

地平さんのお話では「修験者がここを通過するときは必ず神明谷にむかって法螺貝を吹いた」といわれていました。
そして、この場所から笠形山の北の尾根にある「天邪鬼の挽き石」が見えるというので、双眼鏡をのぞいてみんなで観察。
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(みえましたー!!!赤丸が石です)

挽き石にはこのような言い伝えがあります。
昔この山に天邪鬼が住んでいて自分を誇示する為に一夜に此処から向う山に石橋を掛けて見せると豪語し夜に入ってから作業に取り組んだが橋台の石を建てた処で夜が明けたと伝えられるこの挽石は神明谷の頂の尾根に在り 下の村から北側の尾根を見れば倒れないかと思はれる凄じい様相で経っているのがよく見える

そして、神明谷に入り、林道の奥に駐車して、散策開始です。

まずは、宝篋印塔から探します。地平さんは、20年前にみたというS田さんに電話されています。すると、川向こうの低い尾根にあるという。でも、それをS田さんはみられたのは20年も前で、杉の木が植林されたばかりで見通しがよく、この場所からわかったといわれていますが、現在では、杉はすくすくと成長しているので、見えません。

とにかく、そちらへ歩くことにしました。川沿いにのぼって、へんなところから対岸に渡りましたが、地平さんは「もっと渡りやすいところがあって、歩きやすい道だった」といわれています。

対岸に渡ると、歩きやすい道が現れました。
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そして、宝篋印塔がありそうな場所を探しました。

わたしと地平さんはのんびり歩きでしたが、やまあそさんが先にいろいろ見ながら歩かれていて、いきなり「あったー」と聞こえました。ついていくと、杉の林のぽっかりあいたところに宝篋印塔がありました!
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三人で、何が彫ってあるのか、わーわー言っていました。

この宝篋印塔にはこのような言い伝えがあります(言い伝えは「五輪の塔」とあります)
五輪の塔の入り口に高さ約1米の五輪の塔が雑木林の中に眠っている 戒名の文字も不明だが只一字尼の字が読とれる 処から金蔵時代の尼寺の中の権威ある尼層の墓碑かと思われる この辺りには庵屋敷と呼ばれる所が彼方此方に残っているが この外にも或ひは五輪の塔があったが山崩れで流出したのではないかと思はれる

でも、「尼」のさえもよくわかりませんでした・・・。


そして、沢沿いにあるよい道を進みました。
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崖磨仏発見。
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崖磨仏にはこのような言い伝えがあります。

 昔金蔵並に神明も参拝するら道中に清らかな水が音を立てて流れる滝の姿に何か神秘的に感じた信者の一人が一心に祈念し乍ら当時道具もない時代に鎹一丁で毎日毎日熱心に彫っていたと伝えられている  滝の片の岩壁に彫ってある為幾多の嵐にも流出することなく永い歴史を見つめ乍ら語ることなく当時を偶ばせている  この滝を不動の滝と呼び麓からは山道を相当があるが今でも何人か参拝する人があるらしく新しい樒が供えて有った。

しかもあたらしい、お供えがあります。おそらく、年末かお正月にお参りにこられているのでしょう。

その横の不動の滝?を地平さんが観察されています。なんとかという昆虫らしいです。
こんなのみつけるなんてさすが!というか、本職ですね。

やまあそさんは崖磨仏のうえに見える滝みたいなのが気になるといって見に行かれました。私たちは水生昆虫観察。上の滝は滝ではなく、ただの崖でした。


さらに、谷をすすんで次は神明神社を探します。

しばらくあるくと、道が石垣になっています。
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やまあそさんは「これは絶対参道や」といいました。


谷が二つに分かれ、左手を進みました。でも、道がなくなり、断念。
ここいは神社跡はなさそうです。ちょっと休憩して、撤退しました。
でも、もしかしたら、右の谷のほうにあるのかも?ということで、そちらへ行きました。すると道らしきものがありました。でもそれは、炭焼き窯でした。
やまあそさんが、もうちょっと上に行ったところに平坦地がありそうやから、そこが怪しいといわれています。
有るのか無いのかもわからないものを探すので、あったら、ラッキーという感じで歩いていましたが、先導するやまあそさんが「あったー」と叫ばれています。

そこにはまぎれもなく、神社跡がありました。
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思わず、地平さんと私はバンザイしました。

やまあそさんと地平さんは、基礎を見て、どっちが入り口だったのだろうかと推理されています。手水鉢もあります。
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その神社跡から右手をみると、すぐに笠形山頂が見えました。ご神体は、笠形山だったのでしょうか。


3人とも大興奮で神明谷を後にしました。


神明神社は「明治時代の神社合祀令に従って村中の現在地に移され」とあるので、現在はどこにお祀りされているのか気になります。

この文章を書かれたのが岩屋の方なので、わたしは岩屋の住吉神社へ合祀されたと思い、行きましたが、それらしいものは見当たりません。
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(ざんねん・・・)


神明谷は、根宇野なので、根宇野の大歳神社では?ということで、向かいました。

大歳神社右手に社がありました!
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地平さんは「根宇野の知り合いのおばあさん(生きておられれば100歳過ぎとおもわれる)の子どもの時(10歳ぐらい?)に、まだ神明神社が神明谷にあり、そこで獅子舞を奉納していたのを見たと聞ききました」といわれました。

境内にある「根宇野獅子舞」の説明には「明治初期までは、神明谷の神明神社(現、大歳神社に合祀)に奉納したとも伝えられている」とありますが、地平さんのお話から、頭の中で計算すると、明治後期まで、山の中にあったように思います。
長井さんの記述にも「神明神社は明治時代の神社合祀令に従って村中の現在地に移され」とあるので、明治39年から進められた神社合祀政策で、現在の地に移されたのかなぁ??と思います。


神社の前にある石灯籠には「延享ニ年乙丑年」
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狛犬は「明治二十九年六月吉日」
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と彫られています。
明治後期に現在の地に下りてきたなら、これらは山から下ろされたんだなぁと思いました(石灯籠のほうは確実に神明谷にあったと思われます)


神明谷にある「天邪鬼の挽石」「宝篋印塔」「崖磨仏」「神明神社跡」を見ましたが、長井さんの文章には他にも庵屋敷と呼ばれる処が彼方此方にあるらしいし、根宇野の女渕(いしぶち)で発見された磨製石剣と手洗い石らしきものも金蔵寺に関係あるものと思われているそうだし、笠形山頂に大蛇とか「つちの子」をよばれるものがいたという言い伝えもあるし、山岳信仰の対象であったことを知ることができました。
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by deity_river | 2012-04-01 23:16 | しゅみ

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