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多々良木の行者堂へ

 前に、精錬体験でお世話になった朝来市納座の善隆寺のご住職から、「青倉神社のご神体である巨大な岩が男性、行者山の中腹にある行者堂のところにある巨大な岩のわれ目が女性、岩津観音の胎内仏が子どもを表しています。」とお話を聞いていました。青倉神社のご神体と岩屋観音の胎内仏はすでに見たので、行者堂を見たいと願っていました。

 これは、もうやまあそさんに先達をおねがいするしかありません。
やまあそさんは「ほんまにいけるんか?」と何度か聞いてこられました。「頑張る。見てみたい!」と答えましが、とても大変な山歩きした。一人では行かない、そして、山歩きを上達してからでないといけないコースです。五星で評価すると、★★★★★。
私の中で、マックス危険な山でした。

5月15日。
 のぼる場所は、多々良木ダムの周回路のところです。
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行者岳に行くならが、以前、岩屋観音からののぼったことがあります。こちらからでも、行者堂にいけるのでは?と思っていましたが、それは無理そうです。歩いてみて意味が分かりました。(答えは後ほど)


 すぐに道標があります。「左くろかわ 右 さん志やう(さんじょう)」
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さん志やうとは 山上のことです。あとで、やまあそさんに教えてもらったのですが、山上とは兵庫と岡山の間にある後山のことです。(後山自体も、大峰山を基にしています)

そこから、丁石を見ながらのぼっていきます。ところが、途中道を間違い、山ビルのうようよいるきつい谷へ。
なんかおかしいと思ったら、コースアウトしてました。仕切りなおして、参道へ。
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丁石のあるいい道が続いています。

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(弥勒菩薩ですが、文字が消えかかってよめません。囲いの石は崩れそうでくずれない微妙なバランスで保たれています)
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ここからがすごい行場のようでした。やまあそさんいわく、大峰や後山もゴールまでいくのに、とちゅう、すごい行場があるとのことです。ここもたまたまそういう地形だったのか、そういう地形のところに作ったのか、ものすごい行場です。
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(階段の横には鎖がありました!)

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(眼下には多々良木ダム)

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(鈴掛不動というらしい)
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(いよいよ一丁!丁石をみながら気がつきましたが、ほとんどが、明治26年~28年に多々良木村周辺の人によって、寄進されています。)
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(きました!行者堂と陰岩。道仙寺から勧請されたそうです)


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(役行者と神鏡と不動明王)

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(お堂の前のところ。お堂はコンクリート製でしたが、裏にたくさんの鉄釘が落ちていたので、前のお堂のものだと思われます)

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(全く読めませんが、理源大師だそうです。やまあそさんいわく、10年前ははっきりと利源大師と書いてあった、といわれてます。10年間に風化してます。)

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(明治13年 山峯大権現 御所嶽 とあります。地元では、ここは御所嶽と呼ばれているそうです)

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(岩の割れ目をのぞく)
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(ここにも祠がある!)


十分、行者堂を楽しんだ後は、下山ですが、ここから同じ道を戻るか、違う尾根で降りるかです。
ここまでの上り道はなんとか上ることは出来ましたが、無事に降りることが出来る自信がまったくありません。
ということで、遠回りですが、違う尾根から下山することになりました。
まずは、阿厳ダマとか、成覚ダマとよばれる岩をめざします。
途中、すっごい鎖場があり、びびりました。
それと、のぞき。
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(この(岩の下をのぞくと、石仏があるそうです。チャレンジャーはぜひ!私はびびって、縁にも寄らず)

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(阿厳ダマor成覚ダマ。なんかみたことある風景です。行者山歩きのときは、ここでお昼を食べました)

このあたりからは、行者山が見えまたが、つかれたいるので、上らず、下山コースへ。

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降りている途中、右手の谷をはさんで、あるいてきた行者道の行場が見えていました。

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途中に三角点


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おいろいろあって、降りてきたのは、多々良木ダムあたりにある四季の森というところです。ここの遊歩道は崩れかけていて、いろんな意味で、もったいなかった。

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四季の森から出てきたら、あさご芸術の森です。そこで、最後の晩餐に参加しました。

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芸術の森のすぐよこの道路にある不動さんです。

その道を登ったら、スタート地点に戻りました。


久々の山歩きとものすごい道で、もうだめかと思いましたが、なんとか無事に帰ることが出来ました。
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by deity_river | 2016-06-27 22:04 | しゅみ | Comments(0)

金梨山(かなしやま)へ

 空前のブームとなった日本のマチュピシュといわれている「竹田城」。
私が最後にのぼったのは2011年の秋です。
この頃はそんなに登城者はいなかったのですが、このあと、大ブームがやってきます。

そんな、竹田城を登るのではなくて、円山川をはさんで対岸にある金梨山(かなしやま)を登りました。
竹田城の写真といえば、雲海の上に現れる姿で、それは、ほとんどが金梨山の南の立雲峡から写真が撮られていることが多いいです。今回は、人があまり行かないところ??にいきました。

9月14日。
メンバーはやまあそさん、PSWさん、そして朝来の美しい風景を撮られているむらおさん(はじめまして)です。

まずは、竹田城のそばのミニチュア竹田城の前に駐車。
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(さっそく、ミニチュア竹田城に登るPSWさん)

登山口へむかいます。
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ここが登山口。
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しばらく歩くと、鳥居があります。
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ここからは、山歩きが始まります。
むらおさんがはじめて仲間入りしたので、やまあそさんのダジャレが舌好調。PSWさんは、いろんなキノコをみつけて、興奮気味。わたしとむらおさんが、ゆるゆると登ります。

ずいぶん登ると、みんなが眺めています。
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向こうに竹田城が見えました!
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ズームして見ると、竹田城はものすごい人です!!
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(PSWさんの写真)

さらに登ると、石垣が見えてきました。この上には昔、籠堂があったようです
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(瓦が落ちていました)


さらに登ると、ありました!!洞窟です。
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(二本の白い木は昔は鳥居だったようです)

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(此花咲耶姫が祀られている)



やまあそさんの話では金梨山(かなしやま)は元々「悲し山」といわれていたそうです。なぜ悲し山といわれるのかと言うと、「その昔、竹田城が落城する時、お城のお姫様がこの山に逃げ延びてきて、燃え落ちる城を眺めなければいけない身を嘆き悲しんだという言い伝えから名付いたそうです。
それにしても、けっこう急な斜面を姫はかんばって登ったんだなぁと身をもって体験しました。

金梨山の東側(与布土側)には、姫が逃げ込んだときのお礼に置いていった観音様もあるそうです。

また、このような言い伝えがあります。
金梨山権現の祭神は『此花咲耶媛(このはなさくやひめ)』で、養蚕の神として敬仰されています。洞中の小石を預かって帰ると、その小石の功徳で蚕に鼠がつかないといわれ、養蚕がすむと小石を倍にして返す例になっている。この小石を里人は金梨山の「小猫さん」と呼んでいる。
今一つ金梨山には秘話があります。
太陽が東の空から光を見せようとする刹那、金梨山の南端厳窟の上に、白い鳥居が出現するというのである。これは里人に早起きを奨めるための話からかもしれない。(中山東華著『南但竹田』より抜粋)



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(みんなで)

眼下には、竹田の町並みが広がっています。
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洞窟から、もう少し歩くと山頂。
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そして下山しました。
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今回は、竹田城がとてもよく見えて、楽しい山歩きでした。
竹田城そのものに登城するのもいいけれど、お城を眺めるのも、とても楽しかったです。



金梨山レポートを書いているときに思い出したのですが、竹田城が落城したときに、姫が逃げたのは、向かいの金梨山ですが、城主のご典医だった木下順庵は大河地区へ落ち伸びたそうです。その子孫も医者になり、その人たちが通った峠を歩いたことを思い出しました。レポートはこちら
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by deity_river | 2014-10-04 18:07 | しゅみ | Comments(2)

国立公文書館のホームページで、播磨国絵元禄図を見つけました。
越知谷の辺りを見ていると、そこで面白いものを発見しました。
「大畑村ー作畑村ー新田福田村-黒尾峠 作畑村ヨリ但馬國上生野村江壹里壹町六間」とあります。
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黒尾峠ってどこなんやろう?
そこで思い出したのは交流センターの裏山(805.6m)の三角点の名前です。
たしか、ここが「黒尾」だと聞きました。
三角点の名前は一応、地元の山の名前とか、縁のある名前をつけるのが基本だそうですが、センターの裏山が黒尾という字だとか 黒尾山と呼んでいるとかはきいたことがありません。
きっと黒尾峠から名前をとったんだろうと思いました。

やまあそさんに、黒尾峠ってどこかな?と聞いてみると、地形から見つけてくれました。

面白いことに、祖父の話では、作畑から生野へ行くには「青草峠」や「白口峠」もありますが、それは地図にはなく(白口町もありません。猪野々町はあります)、黒尾峠のみ書かれています。
元禄時代はきっと、重要な峠であったに違いありません。

黒尾峠について、少しわかったところで、早速、歩きたいと思います。


7月6日。
雨がいつ降りはじめてもおかしくない天気でした。

この時期は、山ビルとアブがすごいので、長靴で歩こうということになりました。
そして、名前は「長靴をはいたネコ・ツアー (by PSW)」になりました。
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メンバーはやまあそさんとPSWさんと作畑ガールこと私です。

集合場所は作畑吹上の上水ポンプ場。そこで、全身にハッカ水を、長靴に塩水をたっぷりかけてもらって出発です。
まずは、作畑から青草峠をこえて、生野町の菅町を目指したいと思います。
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(スタートは、足立誠太郎さんのおうちの裏の道!)
吹上の道をのぼっていると、いきなり、ドジョウ養殖をされているヤドヤのご夫妻を出会いました。
話を聞いてみると、奥さんは昔は青草峠を歩いたことはあるそうです。(ご主人もあると思いますが、のられている車がうるさくて会話できず)
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棚田を見ながらのぼっていくと、鹿柵があります。そこを越えて、沢沿いに上ります。左手には、桑畑だった石垣がたくさんあります
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。そして、お互いにヒルが付いていないか確かめながら、しっかりと踏み跡がのこった道を歩いていきます。

途中、ソマ道のほうへいってしまい、昔の峠道ではなく、尾根を歩きました(現在の地図ではこの尾根道が旧道ということになっています)
それがけっこう体力的にきつくて(のぼりたい気持ちは満々だけれども)、「この道は青草峠ではない」とひとりブツブツ言っていました。

ようやく、作畑と生野の境界の尾根へ。尾根沿いには山焼きをしていたころの名残である防火帯がありました。そこから、折り返して、菅町を目指します。しかし、昔の青草峠だったろう道はとても急に見えたので、尾根伝いに降りました。そこには、巨大な石英の岩がありました。PSWさんは大喜びです。
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(巨大な石英がごろごろ)
PSWさんの調査では、ここには鉱脈があるそうです。地図に描かれているました。
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そして、急に激くだりになって、すべりながら、何とか林道へ。
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ここからは、長い林道歩きです。
途中、廃屋の山小屋ありました。
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林道の分岐いくつか越えて、菅町へ。
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(菅町橋は渡らずに、南の遊歩道をあるいて、菅町廃キャンプ場へ)

そして、待ちに待ったお昼ご飯。
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ここからは、黒尾峠(作畑方面)を目指します。
キャンプ場(菅町の集落だった)から少し東に入ったところで、最初に右手に見えた林道に入りました。
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(廃軽トラのあるほうへ入っていくと、青草の鉱山があるそうです)

ここからは、非常に長い林道歩きです。
私は、お腹がいっぱいなのと、疲れと、景色が変わらないので、眠たくなります。
しかし、ところどころに、見所あります。
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(きれいな滝)

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(巨大な岩)

そして、雨が降り始めます。
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(林道には大きな扉が)

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(崖崩れもありました)

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(ここは林道の終点)

ここから、どうするのかなと思っていたら、林道からまっすぐ、谷沿いに道らしきものがありました。
すぐそこに作畑との境界の尾根は見えています。
この林道は、きっと作畑・新田までつなげようとしていたのにちがいないとやまあそさんとPSWさん。
尾根はそこに見えていますが、結構きつくて、なかなかのぼれません。
但馬国絵元禄図には「難所牛馬不通」と書いてあったことを思い出しました
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(三国峠も雪降時牛馬不通とありました)


ここをがんばってのぼりきると、ようやく町境界の尾根に出ました。
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尾根をすこし、新田方面へいくと、新田からの林道がきていました。
本来ならば、三角点・黒尾から、地域交流センターの裏山の斜面を降りながら、作畑観音堂のお堂跡を散策しながら下る予定でしたが、私がよろよろになっていたので、寄り道せず、黒尾峠をまっすぐ下ってきました(土休の谷のところ)。この道は、非常にヒルが多くて、ヒルがぴょんぴょん跳ねていました。
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(ずいぶん降りてくると、石垣がありました。桑畑かな?)
そして、新田の松樹寺のうらへ続く林道と合流して、それで下りてきました。
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(ただいまー)

私たちが新田地区内を歩いていると、雨にもかかわらず、越知谷自転車下りをされている方たちが、通り過ぎていきました。
そして、新田の大日如来さんにご挨拶。
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(元々は新田ふるさと村の中にありました)

越知谷川沿いにあるいて、途中、白口峠方面へ入りました。
そこで、面白い看板を発見。
今回の「長靴をはいたネコ・ツアー」を記念して、写真を撮りました。
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(ポイントは「生野」と「千ヶ峰」の看板です)

そして、駐車ポイントへ戻りました。
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(誠太郎さん家のかぼちゃがいきはグロ(石垣)から垂れ下がっていたのに、帰りに見ると、棚がしてありました)


 今回は作畑の人(越知谷の人)や上生野の人が交流するのに使っていた、二つの古い峠を散策をすることができて、とても楽しい一日でした。
 青草峠を越えるのに、祖父は「昔は元気もんなら、作畑から、菅町の出合橋まで40分でいっていた」と言っていましたが、生野が荒れたいるのと、私の体力不足で、3時間ほどかかりました。
 今度は、なるべく、昔の峠道通りに歩きたいと思います。



青草峠~黒尾峠【山であそぼっ】by やまあそ

長靴をはいたネコ・ツアー【銀の谷エクスペリエンス】by PSW
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by deity_river | 2014-07-14 23:02 | しゅみ | Comments(2)

ものいいだまへ

 長谷に「ものいいだま」という絶壁で、こだまする場所があるという。
それを見たくて、案内してもらいました。

5月6日。
やまあそさんとK山さんと一緒に行きました。

まずは、長谷ダムの関電PR館エルヴィレッジの北(上)にある林道に駐車して、高圧線の巡視路を歩きます。
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(いきなりの激のぼりでぐだぐだ)
途中、巡視路を見失いますが、なんとか、鉄塔に到着!
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そのすぐそばには、不思議な石がありました。コンクリートの上に石をのせた?
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尾根には大きなもみの木がところどころあります。
やまあそさんは、尾根で持ち主が違うことが多いから目印にしたのでは?と言っていましたが、おじいさんに聞いてみると、モミの木が植えたものではなくて、自然に生えたもので、尾根が好きなので、尾根に生えたものが自然に大きくなるとのこと。

私はへろへろになりながらも、ようやく、ものいいだまに到着。
声が反響しています
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谷の向こうには、砥峰高原と太田ダムがみえています。

ものいいだまはものすごく、崖になのですが、写真ではそのすごさは表現できません。
声が反響している理由を図で表すとこうなります。

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(やまあそHPより http://www42.tok2.com/home/yamaaso/2013/monoii.html描いたは私ですが・・・)

私は、もうここで、おなかがすいて歩けなくなり、ものいいだまでご飯を食べました。

そして、ここから高星山に行く予定でしたが、私がもうのぼりは無理・・・ということで下山しました。
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(途中、とてもなだらかなところがありました。これも、氷河期の名残の地形だそう)
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巡視路をつかって、無事に下山!
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今回は、地元の古老ぐらいしか知らないような場所に行くができて、とても楽しい一日でした。
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by deity_river | 2014-05-27 22:57 | Comments(4)

 歴史民俗誌『Sala』に投稿していますが、この雑誌を発行する常民学舎にはいろんな講座があります。その中のひとつで、Salaでも「兵庫の庭園逍遥」を連載されている西桂さんと一緒に行く、庭の旅に参加しました。

今回は、中播磨だということで、とても身近なところです。
4月27日。

まずは、福本の陣屋跡(福本藩池田家陣屋跡)から。
ここは、私の小学校のときの遊び場でした。昔、ここは、うっそうと木が茂っていて、よくかからない場所だったのですが、20年ぶり?ぐらいに行って見ると、とても整備されていました。
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(左の御作山(みつくり)山と右の千本山が借景になっている)
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(江戸時代の地図には沢飛が描かれていたので、復元されたそうです)
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(馬を調教させる馬場。200mもある)
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(真ん中の蓬莱島は宝の島なので、本来は橋はないのですが、いつの間にできた)


そして、徹心寺へ。ここは池田家の菩提寺です。
この門は、一間薬医門です。これは、100%砥峰高原の茅だそうです。
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(朝鮮からやってきた灯篭だそうです)

ちょうど、本堂が茅の吹き替え中でした。
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初めて茅の吹き替え見ました。
職人さんは篠山からこられていますが手伝いは地元・福本の檀家さんがされています。
いまは、モノレール?で茅を持ち上げますが、昔は背負って持ち上げていたそうです。
砥峰と岡山産の茅を使っているそうです。
砥峰は高原で寒いので、茅が細くしか育ちません。そんな茅を使うほうが、もちが長いそうです。

東にあるお墓を見ました。
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次は、長谷でタイ古式マッサージ屋さんをしているナオちゃんのところへ。
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(利休様式というそうです)


いったん、お昼ご飯を食べました。


次は、福崎町高岡の応聖寺です。
いきなり、石の彫刻です。
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昔は、つつじで覆われていたそうですが、整備して、昔の様子に近づけているそうです。
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ここの鐘は、多可町の金蔵寺と同じで、滋賀県の鋳物屋さんでした。
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(滋賀県愛知郡長村 鋳匠 黄地佐平作之)

茶室のほうも素敵でした。
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最後は、姫路市夢前町寺の弥勒寺です。
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書写山円教寺の奥の院ともいわれ、その円教寺を開いた性空上人が亡くなった場所で、花山法王がも見にこられたそうです。
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(石組みがとても迫力ある!)

西さんの話では、弥勒寺のすぐ東にある置塩城にも庭園跡があるそうですが、かなり登山しないといけないそうです。


あまり、庭には興味がなかった(と、いうよりは、見方がわからなかった)の瀬菅、専門の方に説舞したもらいながらと、とても理解することができました。
そして、身近なところに、こんなすばらしい庭園があるんだと気がついた旅でした。
ほとんどの庭は京都の西芳寺(苔寺)を手本としているそうです。
京都の有名な歴史スポットはよく言っていますが、ここはまだでした。
機会があったら、行きたいと思います。
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by deity_river | 2014-05-14 23:21 | しゅみ | Comments(0)

岩塊流をみよう!

クミコさんが前から、やまあそさんの案内で山に行きたい!といわれていました。
そんな二人に、同行しました。

4月17日。

まずは、山焼きが終わったばかりの砥峰高原を越えて、
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(このだらだたとした地形は砂鉄を採ったあとです)
廃村になった「ナガソ」集落を横目に進んで、千町峠を目指します。

悠々山荘をみて、
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杉山の登山口へ。手前にはハイテクなエコトイレがありました。
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ここは、岩塊流が有名なところです。
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やまあそさんは、ものすごい歩荷です。
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ここは、宍粟50名山に選定されてから、木を伐採して登りやすくなり、岩塊流も見やすくなったのですが、やまあそさんの話では、「日当たりがよくなって、岩塊流のコケが乾燥してきている」とのこと。
たしかに、赤茶色になっています。
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岩塊流を見ながら、のぼっていくとテラスあります。
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有名なクジラ岩もあります
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どんどんのぼっていきます。

途中、シダの枯れたところがありました。昔はシダだらけだったそう。
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山頂近くに行くと、日本庭園のようなところがありました。
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ここいは、何とまだ、雪が残っています。
さらにのぼると、山頂。
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ここから段ヶ峰や杉山が見えました。
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やまあそさんいわく、「杉山の一部だけど、僕は裏段ヶ峰という方がぴったりくる」とのこと。
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ここで、山の音楽会しました。

帰りは、オオタワ経由で帰りました。
ここから朝来市田路から一宮へ通そうとしていた林道が崩れているのが見えました。
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尾根をどんどん歩いていくと、オオタワに到着。
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昔からの峠道にはお地蔵さまがおまつりされていました。
(志主 田路助ヶ谷 庄助 とあります)
やまあそさんは田路地区でこの石仏について聞き取りをしたことがあるそうです。

そこから、林道がすぐ見えたので、ここから、林道をあるき、駐車場へ戻りました。
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ここの林道は完成して、まだ間もないそうですが、防砂ネットが破れていたり、フェンスが倒れていたり、道に落石があったり、もういろんなところがだめになってきています。
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なのに、オオタワのむかしからの峠道はそのまま残っていて(林道工事でなくなっているところもありますが)
、昔の人はいろいろ考えながら、道を作ったんだなぁと感じました。

最後は岩塊流保存のための橋を渡って、駐車場へ。
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たくさんのことを学べた山歩きでした。
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by deity_river | 2014-05-13 23:04 | しゅみ | Comments(0)

 PSWさんのお父さんは生野の山や鉱山関係のことに関して非常にくわしく、作畑鉱山に関することを聞きに行ったときに、逆にこんな話を聞きました。

今は銀山湖になり沈んでしまった上生野村や菅町から黒川本村へは車でいける道がありますが、その道の脇にそれぞれの村をつなぐ昔ながらの峠道がのこっているのだという。

明治30年の地図にも上生野の「小豆坂」と菅町の「菅町の坂」の二つの峠がはっきりと書かれています。
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そんな峠道があるなら、見てみたいというわけで、探索にでかけました。


4月13日。

まずは、今はキャンプ場さえもなくなってしまった「菅町の坂」を探ります。
菅町キャンプ場を散策します。
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そして、少し戻って、青草橋近辺に車を置いて、地蔵菩薩を観察。
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(當村女講中とある)
それ以外にも墨でたくさん文字が書いてあります。その袖にはおもしろいことが書いてありそうです。

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(古文書の読める95さんの話では、左坂とか倉(蒼)とかかいてあるらしい)
PSWお父さんいわく、この地蔵さんはもともと峠にあったもので、それを下ろしてきたとのことです。

生野町文化財調査委員会のまとめた『朝来郡生野町上生野地区民俗資料緊急調査報告書』(昭和43年)によると、「菅町では盆の24日に女講が地蔵尊に煎豆をおそなえしていた。天保11年に「当村女講中」が寄進した地蔵尊があるから女講の歴史はかなり古くまで遡りそうである」とあります。


地蔵さんのすこし東にある階段を上っていくと、よい道があります。
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どんどんのぼっていくと、すぐに峠に出ました。
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鞍部に着くと、石垣がありました。
ここにはかつて下でみた女講中の地蔵さんがあったのでしょう。
その反対側には、不自然な切り株がありました。その横に横たわっている木はなんと、かつては電柱だったのです。碍子も転がっていました。
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(1967年7月とある)

ここから、北側の斜面は結構急なので、やまあそさんが一人で下見をしてくれました。
なんとか、私でもいけそうだったので、ついていきました。
途中に、石垣もあります。
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(PSWお父さんいわく、昔の写真を見ていると、この石が付近から魚ヶ滝方面に道があったとのこと)

そのまま降りていくと、石で作られた階段もあります。
(PSWお母さんいわく、この石の階段は昔の峠道ではなくて、電柱の管理のために作られたのかもといわれていました)
そして、さらに、木の電柱がありました。
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(菅町 支 18  43年9Mとある)

車道へ降りてくることができました。
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次は、「小豆坂」を目指します。
小豆坂は南から北へ抜ける予定でしたが、菅町の坂から降りると、ぐるっと車道を回り込まないといけないので、北から南へ抜けることとなりました。

まずは、市川を渡ります。
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雨が少なかったので、靴でも十分わたれるほど、浅かったです(先月の播但線廃線歩きの市川渡りに比べると、ちょろいもの)

私たちが市川を渡っていると、車道を走る車が減速して、怪しげな目で見てきました。
そんな目線も無視して、川を渡ります。
そこには、ここも日本のマチュピチュ(竹田城)に負けないほどの、石垣があります。
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対岸に渡りきったら、昔の峠道を探します。
やまあそさんが「このあたりがあやしい」といわれて、山へ入っていくと、ドンピシャリ、山道がありました。
それを歩いていくと、峠道になっているようです。
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進んでいくと、峠に着きました。
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ここには石垣がありませんでしたが、かつてはお地蔵さんがおまつりされていたそうです。
(大正5年にふもとの上生野村の井上製材所の隣に下ろされましたが、ダムになり沈むということで、新しい車道のところに上げられました)


かつての峠道は、車道の横ののり面の防砂ネットで崩れてしまい、ソマ道で降りてくると、そのお地蔵さんがありました。
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このお地蔵さんは兵庫県教育委員会のまとめた『生野ダム水没地区資料緊急調査報告書』(昭和44年)によると、左側が上生野で3番目に古いもので、阿弥陀坐像とありますが、やまあそさんの話で二体とも地蔵だろうとのことです。(前掛けがふるくて確認できなかったが)

左側のほうには「当村講中」「天明三癸卯天十一月吉日立之」「願主慶蔵治郎吉新七」とありました。


そして、菅町に戻る途中の出合橋で、車が一台。私たちの前で停まりました。
なんと、大持山歩きでお世話になった、黒川の民宿「まるつね」さんのご夫妻でした。
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(昔の出合橋)


今回は、忘れ去られつつある上生野の「菅町の坂」と「小豆坂」を歩きました。
昔の道にのこる足跡を見ると、ここに住んでいた人たちの生活や交流や見えてくるような気がします。

このあたりにはほかにも古い峠があるそうなので、さらに探索して見たいと思います。
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by deity_river | 2014-04-21 22:56 | しゅみ | Comments(2)

3月16日。

PSWさんが「日本一長い鉱脈の上を歩こう!(相沢古道)」を企画したので、参加しました。
メンバーは、PSWさん、やまあそさん、泥本さん、まつばらさんと私です。

私をPSWさん以外は加古川からの参加だったのですが、泥本さんは集合場所のシルバー生野まで、なんと自転車でこられました(もちろん帰りも)。
なのに、まつばらさんは、いきなり遅刻です。

みんなが集まったので、PSW号で、出発地となる白口地区を目指します。
途中、バス停前のみよこさんと出会いました。
突然現れた私たちにびっくりされていました。お元気にされていて何よりです。
この方が私に「のぞきのお大師さん」の存在を教えてくれたのです。

最初の予定では、私と泥本さんは作畑と白口の境目からのぞきのお大師さん経由で歩き、のこりのメンバーは白口の萩谷からのぼって、馬の背と呼ばれるところで合流する予定だったのですが、白口峠はまだ残雪があり、ノーマルタイヤのPSW号は峠までいきません。
なので、しかたなく全員で萩谷から馬の背を目指すこととなりました。

ポンプ場のしたに車をおいて、萩谷をのぼります。
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ここで気がつきましたが、がっつり登山の装備は私だけです。
やまあそさんとPSWさんはハイキング。
泥本さんは自転車。
まつばらさんはサッカーシューズ?です。

のぼっていくと、石垣がたくさんあります。
白口千軒の名残でしょう。
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取水口もありました。
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ずんずんのぼっていくと、馬の背にでました。
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(ここから東へ行けば作畑、北へ行くと銀山湖です)

馬の背からはよい道が残っています。そこから金香瀬方向へ向かいます。
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白口と金香瀬の境目までいくと、ちょっと寄り道して、白岩山や高畑山を見に行きました。
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そして、もどって、金香瀬の谷を下りました。
私たちが折りだルートは微妙に間違っていたので、倒木がすごくて、なかなか前にすすむことができません。

ようやく降りてきて、滝がある辺りからいいみちが現れました。
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(蝦滝?)

大きな坑口もあります。
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(この橋をあたると、シルバー生野の露天掘りのところです)

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(途中少し金香瀬山登山コースに入って、大きな坑口みました)

そして、有名な慶寿ひ
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残念ながらマロニエは臨時休業のため、cafe Argentでランチしました。
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(キッシュプレートです)


相沢古道は日本で一番長いひである千珠ひの近くにあります。
たくさんの人が行き交い、物が交流したことが伺えた山歩きでした。
金香瀬の谷がもう少し整備されたら、いろんな人に歩いてもらえるのになぁと思いながら歩きました。
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by deity_river | 2014-04-10 23:02 | しゅみ | Comments(2)

 3月9日。
生野のトロッコ道歩きを終え、次のオプションは「播但線の廃線」。

メンバーはやまあそさんと廃線好きのメンバーさん×2と、地元のことを知りたい私です。

播但線廃線は川の左岸側(道路の対岸)にあるので、現地に行くには、濡れるのを覚悟で川を渡るかオススメできない方法で濡れずに渡るしかありません。

そんなこんなで、みんな長靴に履き替えて、濡れるのを覚悟で川に入ります。
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なんとかわたりきって、対岸の山のすその一段高いところにみえる平坦地を目指しました。

ここは現在の播但線との分岐。
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一つ目のトンネル。
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(待避所)

廃線跡を歩きます。
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(碍子)

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(発破をかけた跡)


二つ目のトンネル。
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ほかのメンバーはトンネルをくぐっていますが、私は冷えて疲れて、ここで休憩。


長らく待つこと、トンネルの向こうから、声が聞こえてきました。
声がだんだん近くなり、「折り返してきたんだ!」と思ったら、急に、私の後方から声が聞こえてきました。
どうやら、トンネルの中をくぐらずに、その上の山を歩いて戻ってきたようです。

そして、廃線を歩いて戻って、同じところから川を渡って戻りました。

私は、最短コースでぱっぱと渡り終えましたが、廃線大好きメンバー×2は川が大好きなのか、なかなか渡ってこられませんでした。

そして、長靴の水を捨てて、着替えて、岐路に着きました。


追伸:播但線は昭和34年4月6日に、脱線事故を起こしたそうです。
その脱線の碑です。
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(廃線の場所より少し南にあります)


詳細はやまあそさんの「山であそぼっ」に書かれていますので、ぜひ読んでください~!

山であそぼっ:播但線廃線跡を歩く
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by deity_river | 2014-04-07 22:51 | しゅみ | Comments(0)

3月9日
銀の谷エクスペリエンスが、昔掘り出した鉱石を運んでいた「トロッコ道歩き」をすると聞いて、参加しました。
メインガイドはPSWさんです。
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参加するまでに、少し時間があったので、元奥銀谷幼稚園を改装して、地域のふれあい喫茶となっている「だんらん」でコーヒーを飲みました。
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そして、奥銀谷の「ひな祭り」を少し見学して、集合場所となる姫宮神社へ。
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生野の町は「ひな祭り」中なので、人通りも多く、それに合わせた企画だったので、おもったより、たくさんのひとが集まっていました。

まずは、前の前にみえる古城山を見上げました。ここから今話題の竹田城がみえるそうです。
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鍛冶屋町通りへいき、そこから、市川沿いのトロッコ道をあるきました。
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そして、トロッコ道が途切れました。
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橋を渡って、姫宮神社を見学。
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そこから、左岸側を歩き、山神社へ。

山神社から山のほうへ登っていくと、途中に大日如来の磨崖仏ありました。
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さらに上っていくと、不思議な穴がありました(坑口ではないものです)
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そして、愛宕神社がありました。
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ウォーキングのあとは、ロケットストーブで沸かした、小川珈琲ならぬ「小川の水の珈琲」いただく予定でしたが、なかなか沸きません。
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最後は鉱山社宅まで歩き、記念撮影後に解散しました。

今回は、トロッコ道の一部しか歩いていませんが、全部歩けたらきっと楽しいと思います。
神戸大学の学生さんがトロッコ道を復活させ、トロッコを走らせたら?という構想を考えられていましたが、本当にそうなれば、生野がテーマパークのようなおもしろい町になるのかもしれません。

そして、本日(3月23日)は、PSWさんたちは、トロッコ道の整備をされていました。

銀の谷エクスペリエンス



そして、参加したメンバーのうち、やまそさん、K山さん、新川さんと私(作畑ガール)は、やまあそさん主催の『廃線を歩こう(播但線の廃線編)』へと続きます。
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by deity_river | 2014-03-23 23:07 | Comments(4)

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。