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文字制限で載せきれなかった前編(山歩き編)はこちらをご覧ください。

 御祓山を歩いたあと、いろいろ方から、お話を一日で聞きすぎて、頭がもやもや、それがだんだんもつれて混乱してきました。
でも、養父に伝わる民話の本を持っていることが頭の中に蘇ってきて、家に帰って、さっそく伯父さんに頂いた『やぶの民話』をひっぱりだしてきて、関係がありそうなところを読み返しました。
開いてみると、こんな民話が載っていました。


<馬のあしあと> 森地区に伝わるおはなし
 大屋町の奥宮本に、川の中に石があって、それに馬のひづめの跡がありよった。天馬があそこを
通ったんじゃとかかいう。
天王さんがだーっと馬に乗って、出られょうって、その石が邪魔ぁなって、馬がちょんと足を掛けたら、
馬の足跡がついたんじゃともいう。


<神社の取りあい> 森地区に伝わるおはなし
 三谷(養父町)のもんと宮本(大屋町)のもんと、天王さんにまいりよったんじゃけど、三谷のもんじゃ、宮本のもんじゃいうて喧嘩ぁしたらしい。
「そんなら、帰って、あしたの朝早う行った方が、お宮さん持って去(い)のう」いうこってやったら、三谷の者ぁ正直やったしけぇ、
「あした、帰って早う行こう」いうこって、たーっと戻ったんじゃそうなし、宮本の者ぁ手にあわなんだで、途中から引き返して、いって、引っくり返して持って去んじゃって。ほえで、いま宮本に天王さん祭っとるんじゃ。
三谷のもんが一杯食ったんじゃ。天王さんは御井神社ゆうとる。


岩井のお母さん達からは、「神さまは、牛に乗って下りてきんさった」と聞きましたが、峠をはさんで東側の森では牛の代わりに「馬」だったり、はたまた、ケンカしたとかいうお話だったりして、おもしろいなぁと思いました。

そして、セットでもらった『よもやまばなし』には、
<お走りさん> 森地区に伝わるおはなし
 4月15日、16日、養父神社から延々27キロ建屋斎神社にみこしが往復する奇祭をお走り祭りといって、町祭りとしてしられている。発祥は神功天皇が三韓征伐の帰路、養父神社に、“葛の葉餅”を献上せられその一部を斎神社に供えたという故事にまつらるお祭りであるが、このお走り祭りの道中の部落では、それぞれに接待の風習がみられる。
 昔、養父神社を出発したみこしは、三谷部落の奥を西向きに進みくしばの御祓山牛頭天王社に寄られたのちに、森分のタワ、サイキを越して、カカナベ作山明神より、谷口の荒神の森を通って、浅尾大明神に立ち寄られ、奥山口、建屋川越附近で小休止、社内神社氏子の歓迎を受け、建屋川沿いに斎神社に向かれたという(以下省略)


とあります。私はこれを見つけたときには、びっくり。
みこしのルートがあるではありませんか。これをみたら、また、このルートが気になりはじめました。

それに、宮本御井神社のまえで、草引きをしているお母さんからは、御井神社では1月14日に松明を燃やすお祭があると聞きました。(作畑では、この日は、「とんど」をして、「きつねがえり」という行事をするので、そういうものかなぁと思っていました)
いったいどんなお祭りなのかなぁと調べてみると、このことが『兵庫県の秘境』という本に書かれていました。

 大屋町宮本の御井神社は、牛頭天王を祭り、天王さんの名で知られている。この宮では、1月14日夜、鬼やらいに似た「まいっそ祭」がある。(中略)
 太鼓の音とともに式が始まり、面を着け、鉄鉢をつけた鬼神が現われる。鬼神は無言であるが、一同は「まぁいそ、まぁいそ」と叫びながら、鬼神を松明で叩く。その間に鬼神は、ゆっくり四股を踏みながら、左に進んで本殿に帰る。この時、誰かが「ホイあった」と叫ぶ。(中略)
 まいっそ祭りは、その昔、但馬一円が泥海であって交通は船に頼っていた頃のある日、ご神船の一双が流失したので、「もう一艘ない」を夜をこめてさがしたのに始まる。「ホイあった」は、船を発見した知らせ。その場所を船谷と名づけたのが、宮屋敷山の麓、養父町船谷である。


 但馬に関する本をいろいろ読んで、いろいろ分かったことも多かったですが、けど、逆に、興味が広がりすぎて、分からないことも増えてしまいました。
自分でも驚いたのは、「船谷」は祖母の生まれた地域なのですが、そこも関係しているとは・・・・。
なんだか、書き出したらきりがないので、一旦、このあたりで締めくくろうと思います。



 この日も、本当に奇跡のような出会いができてとても感謝しています。
そして、やまあそさんがいなかったら、私は神社跡を見つけることができなかったし、その前に、山頂までにもたどりつけていなかったと思います・・・。きっとロープ激のぼりで、立往生か、確実にストックを谷に落としていたでしょう!

 『やぶの民話』をはじめ、但馬に伝わる民話がおさめられている本は前々から読んではいたのですが、そのときは、「あぁ、こんなお話があるんかぁ・・・」と、ビックリはしたものの、たくさん伝わっている民話の一つとしか認識していませんでした。しかし、山歩き後にあらためて見返すと、しっかりと頭に刻むことができました。
民話は本当だったということが、自分の足で歩いて、目で確かめて、話を聞いて、分かりました。
でも、寄り道しすぎかも・・・・。
そのおかげで、いろんなことがわかり、繋がったのですから。とても、満足です。

でも、きっかけは「お走り祭りの神輿が登っていたという御井神社跡をみてみたい!」という、単純な気持ちだったのですが、いろいろ話が横に繋がっていて、こんなに奥が深いとは・・・・。それこそ、調べても、調べても、話が繋がっていくと思います。また、今度は違う物事から養父の民話や言い伝えをみていきたいなぁと思います。

そして、『よもやまばなし』を読み返しているときに、こんな言葉が目に入りました。

 車を乗りまわし、コーヒーの香を求めながら適当に金儲けをして、テレビやカラオケで興じることのできる世の中になって、誠に申し訳ない、有難い時代だと思います。
 近頃は、路地に入っても、片側駐車のできるようになり、しばらく地元を離れている人が帰ってくると、この変りように目を見張ることが多いといいます。しかし、私たちは、家が建ち変ったり、道が整備されても、すぐその環境になれてしまって、当然のような気分になってしまいます。
 道ばたで、蕗のとうや雪の下を摘んだ石垣はなく、しじみやザリガニをとった溝は今はうめられてしまって、何か、一抹の淋しさを禁じ得ないのは事実であります。
 こうした地形の変化はもとより、生活のなかでの変りよう、つまり、風習、しきたり、語り草、行事その他もろもろのことが変わりつつあり、変るだけでなく、忘れ去らようとしています。
 “あのおじいさんがよく知っていたが、あの時、もっとしっかり聞いとけばよかったのに”・・・・・・と、或いは、“昔の者は、何でも書き残してくれればよかったのに”と後で気がついたり、残念に思うことがしばしばあります。
 このことが、善いにつけ、悪いにつけ、昔はこんなんだった、と想像するだけでも、面白いし、参考になります。
 経験のない私たちは、ふだん家庭内で、年寄りから、いろんな話を聞いても、なにくわぬ顔で聞き流していますが、お年寄りが亡くなれば、いくら探し求めても、再び知ることができなくなってしまいます。(中略)
 記録ということは、これは面倒なことでありますが、大切なことで、どんなに字が下手でも、文章がまずくても、書き留めておく癖を持ちたいもの、私たちが昔の人を批判する前に、先ず自分の身近なことから綴っておくことが必要だと思います。


これこそ、私が日々おもっていることやん!と共感しました。
糸原・宮本・岩井廃村で出会ったお母さんたちから聞いた物語。
ぜひ、後々の世にまで、伝えていってほしいなぁと思います。
それに、あらためて、自分がやるべきことを再認識しました。


まったく、うまくまとめられなかった上に、長々と文字ばかりですみませんでした。
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by deity_river | 2011-05-08 22:01 | しゅみ

 昨年7月に餅耕地の朝日家へお伺いした帰りに、斎神社へ寄りました。
そこには、「お走り祭り」の看板がありました。
それをみたやまあそさんに「昔は、御祓山の山頂(近く)に御井神社っていうのがあって、お走り祭りの時にはそこまで神輿を担いであがっていたらしいで」と聞きました。
そして、いつかその場所も行って見てみたいと言われていました。

 それから半年、お正月に但馬の祖母と話しているときに、ふいに「お走り祭り」の話になりました。
祖母は、船谷の日枝神社で、お走り祭りの神輿が休憩しているのを小さいとときから見ているそうです。

私の頭の片隅には、いつか、その「お走り祭り」を見てみたいという気持ちが湧いてきました。
調べてみると、それは、4月の中頃とのこと。
きっと平日だろうと思って、あきらめていましたが、今年は4月17日でした。
私が、作畑観音講へお参りに行っていた日・・・・。
この日にお祭りだったと知ったのは、終わったあとでした。
それを知ったと気には、とっても悔しい思いでいっぱいでした。

 しかし、GW間近、やまあそさんから「みはらいやまのみい神社あとにゆきます」と連絡がありました。
御祓山の御井神社跡・・・・。
たしか、お走り祭りの神輿がかつてあがっていたと聞いたことが記憶の片隅からよみがえってきました。
見れることができなかったお祭りの代わりに、絶対に行ってみたい場所です。
それに、お走り祭りと関係なくても、「山にかつて神社があった」と聞いたら、興味が湧くわたしです。
どうしても、自分の目で神社が一体どこにあったのか、確かめて見たかったので、無理を言って、私の都合にあわせていただきました。

 やまあそさんの考えてくださったルートはみづめ桜をみて、御井神社の跡を探した後に、御祓山までいき、そこから西に向かって延びていてる尾根をつたって、大屋富士まで行くそうです。そのピークの手前(東側)にはふもとの糸原地区の産霊神社の跡があるそうです。今日は2つも神社跡を見ることができるコースです。


 5月2日。
私にお走り祭りへの興味の種をまいた?やまあそさんと一緒にいくことになりました。

大屋糸原地区の南の谷、みずめ桜のある谷が駐車場です。
私たちが着いたときには3台の車が止まっていました。
あれれ?そのうちの1台のナンバーに見覚えがあります。(私は車種は覚えられませんが、番号はだいたい覚えることができます。分かりやすいと、すぐに覚えます)
もしかして、笠形山で偶然お会いしたNご夫妻?

そして、いよいよ最初の目的地、「みずめ桜」に向かってスタートです。
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最初は杉の林の林道です。橋には、林道鉄道に使っていたレールが欄干になっています。
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(そこにのってみるやまあそさん)
しばらく行くと、明るい森です。
ここは「ミツバツツジ」がたくさんあり、斜面がピンク色になることで有名なのですが、ちょっと時期がおそかったので、ツツジはほとんど終わっていました。でもところどころでかろうじでのこっていたので、それを観察ながら、歩きました。
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右手には、スリガ峰(大杉山)とアオマ山(須留ヶ峰)がよく見えています。
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(左のピークがスリガ峰・右のピークがアオマ山)

その間、みずめ桜までの距離をしめした看板がたくさんありました。
ここで500m。
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次の看板は、あれれ?
数字が増えている?歩いたのに、目的地までの距離が延びるのは何故なのでしょう・・・。
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(しかも、8に×がついて、下に700mと書き直しが・・・)

そうこういっているうちに、「みずめ桜」が見えてきました。
そしたら、桜の木の近くにご夫妻の姿が・・・。

わたしはNご夫妻だとわかったいたので、おどろかそうと思って、やまあそさんの後ろにかくれて様子を伺っていましたが、夫人が手を振られていたので、ばれたのか~っと思って、手を振りかえしたら、実はわたしたちを別の夫妻だと思って手を振られていたとのこと。
そして、笠形山以来の偶然の出会いに、みずめ桜の下で話が盛り上がりました。
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(本当に奇遇でしたね~。その2日後は、山ちゃんと「またに山」に行く予定だったのですが、ご夫妻もご一緒であることをここで知りました。)

私はてっきり、今から山頂に行かれるのかと思い込んでいましたが、Nご夫妻はすでに山頂にいかれ、下山途中でした。え~、早い!私たち、いまから登って、御祓山の山頂で昼食だったらいいなぁとうペースだったんですけど・・・・。

偶然の出会いに惜しみつつ、私たちのコースはこれからなので、別れを告げました。
桜の木のところまで来ると、男性がカメラで桜をとっておられました。
看板には樹齢約600年とあります。ということは1400年代から生きているということですか・・・。
私には信じられません。
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(これがみずめ桜です)
そして、しばらくすると、単独男性ハイカーさんとすれ違いました。その方も下山途中。
ということは、これで、下に駐車してあった車の持ち主の方とはみんなすれ違ったことになります。

そして、尾根に入ると、ロープが・・・。
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(地面にはケーブルがあります)
ロープもって登るのは苦手です。私のストックを持ってもらい、ロープを握って登りますが、
そんな登り方危ない!と上からやまあそさんに叱られます。
「ロープを両手で持ってしまうと、ロープに頼っていることになるから、万が一ロープが切れたら、斜面から滑りおちてしまうやんか!ロープを持つなら片手だけで、もう一方で地面につく。」とのこと。はい。以後、気をつけます。

そして、尾根へ。
尾根にでると、テレビの共同アンテナの部品が落ちています。
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これは真空管というものらしいです。
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アナログ世界?に生きている私にはさっぱり。
私に機械のことは何を言っても無理だと思ったやまあそさんは、説明さえもしてくれなくなりました。
(だって、小中学校で教わらなかったんです、と言い訳する。実際そうなんですけどね・・・。)こちらはアンテナの残骸・・・・。
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(確か、生野の太盛山でも同じような状態のものをみました。)

 御井神社の跡が正確には分からなかったので、少し休憩して、体力を戻してから、探しました。
すると、やまそさんは、すぐに見つけれました。でも、私にはわからず、ついていくと、確かに尾根からちょっと降りたところに石碑がありました。実は、場所しっていたんちゃうん?というぐらい、本当にあっさり見つかりました。
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特に石碑に、年号や世話人の名前はありません。
やまあそさんは、「この石碑のあるところは、地形的にお社がかつてあった場所にみえへんなぁ。だいたいこの場所やと思うけど、広さでいったら、もう少し東の方がなるいところが広いし・・・」といわれました。
このあたりに、なにか石垣でもあれば、そこがかつての神社跡だと明確に分かりますが、ミズナラ?の木がたくさんあり、落葉がすごくて、そんな跡はまったく見つかりませんでした。
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(神社の跡っぽい広い尾根)

そして、御祓山への登山コースに戻って、山頂へいき、昼食です。
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山頂からは、千ヶ峰も見えるとのことですが、あまりにも黄砂がひどくて、まったくみえず・・・。


昼食後は、西へと延びている尾根につたって歩きます。
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途中に、いきなり林道が・・・。林道を歩きました。

そして、今度は林道から外れます
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(はずれるポイントには何故がバイク?のテールランプ?がある)

まだ尾根を歩きます。
途中、やまあそさんは左手に見える山の斜面を観察されています。今から行く産霊神社の跡を見た後に、糸原集落におりる道を探されています。
神社跡なので、村の人が参拝するために使っていた山道がのこっているといいのですが、なくなっている可能大なのと、地形図でみると、結構急な斜面だったで安全に下りられる道をさがしているとのこと。
わたしは、まったく林道に気がつきませんが、やまあそさんは発見されました。指さされても、分からないのが私。

なんて観察力がないのだろうと、嘆きながら歩いていると、今度は怪しい石が。
粘土質の土に丸い石が大量に挟まっています。
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これをみたやまあそさんは「この丸いのは河原の石やん。ってことは、今はここは山の上になっとるけど、昔は川で、地殻変動によってここまであがってきたんやわ。昔、スリガ峰(大杉山)の山頂が海にあったころ、船が行き来している時に、船の底がスリガ峰の山頂をこすったから“スリガ峰”っていう名前がついたって民話にあったやん」といわれました。
但馬は、昔、泥の海だったというのはたくさんの民話に出てきますが、この丸い石たちが、証拠(?)です!!

そして、天狗岩っぽい岩をみつける。そこに乗ってみる。
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(あのピークが「大屋富士」!)

遊んだあとは、また歩き始めました。
鹿柵が現われ、鹿柵沿いに歩きます。
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(途中、いくつかゲートをあける)

そして、鹿柵沿いから少し右手の杉林の中に入ってゆくとに、いかにも神社跡という場所が見えてきました。
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その真ん中に「村社之旧趾」と刻まれた跡碑があります。
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裏を見ると「明治39年午八月 移転」とあります。

私たちは、神社の参道があっただろうと思われる斜面を観察しますが、それらしきものはみつからず・・・しかも、急。

なので、さっき、尾根伝いに歩いているときに見つけた、大屋富士と言われているピークの斜面にある林道から下りる作戦です。

ここの三角点のある山は大屋町の地域局からみると富士のような形をしているので、「大屋富士」をハイキングの本に書いてあるそうですが、やまあそさんの話では「ぜったいちがう。地元では地元の名前があるはずや」とのこと。

山頂からすこし南に降りたところにはなるい場所があり、そこで、すこし休憩した後は、前回に引き続き、ピタゴラスイッチです。
二人だけの寂しい演奏?
いえいえ、ナラもツツジもあるし、、鳥のさえずりもあり、寂しくなんてありません。
前回は私はアンデスを吹き、やまあそさんに迷惑をかけたので、今回は必死にアルトリコーダーを練習して軽量化です。


(練習では上手くいったのに、本番では上手くいかないわたしです。間違えまくりですが、おゆるしください。)

演奏を楽しんだ後は、斜面をちょっと下ったところから始まる林道を歩きます。

林道を歩いていると、みづめ桜や御祓山がみえてき、今まで歩いてきたルートがよく見えました。
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途中、何故か、わたしは幹におもいっきりトゲの生えている木をがっしり掴んでしまい、左手を負傷。
やまあそさんに「手袋を持っているならつけたほうがいい」と言われ、手袋をつけますが、持っていた手袋はスノー用しかなかったので、はめていると暑くなり、手のひらに大量に汗をかいた上に、トゲが手に入ったままで痛いので、かなりテンションが下がります・・・。(トゲはもちろんお家に帰って抜きました)その途中に、わらびを見つけてテンションが盛り上がってきましたが、採ってる時間がない!といわれ、またもやテンションが下がりました。

そういうしているうちに、杉の林に突入。
ここには、ものすごい数の棚田・桑畑跡がありました。
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私は、石垣をみてテンションが再びあがってきました。石垣にあるかもしれないガマを探しました。
でも、らしきものはありましたが、明確にわかるガマはありませんでした・・・。

その棚田の間を流れる沢沿いに歩いて、無事に、里に下りてくることができました。
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 そして、里に入ると、おばあちゃんが畑仕事をされていました。
やまあそさんはすかさず、挨拶をされ、「私たち、みずめ桜を見て、御祓山に登って、この上の山にあった産霊神社の跡を見てきたんです。今は、大屋富士と呼ばれているようですが、あの山はなんという名前の山ですか?」と質問されました。
おばあちゃんから宮山と呼ばれていたことを聞きました。
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(本日はじめてのインタビュー)

おばあちゃんにお礼を言って、現在の産霊神社に向かいました。
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神社の中には阿弥陀堂もあり、ここでは、青倉さんもお祭りされていると発見。
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神社から下りてくると、おばあちゃん達が道にへたりこんで歓談中。そこに、GWで帰省中の男性も合流。
やまあそさんは、また、同じようなことを話をされました。
そこで、分かったのは「大屋富士は糸原では“宮山”と呼ばれていること。そして、さっきみた広大な石垣の下のほうは田んぼで、上のほうは桑畑だったということ。宮山の上のほうは地区の共有林で、下のほうは個人山ということ」でした。
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おばあちゃんたちと男性に、お礼を述べて、別れを告げて、駐車ポイントへ戻りました。
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(もろろん、車はやまあそ号だけ)


 今度は、宮本集落へ。
宮本集落の神社は、御祓山から下りてきたといわれている宮本御井神社があります。翌日の5月3日がお祭りだといことで、集落内には旗が立っていました。

糸原集落でかなり時間を使ってしまい、宮本御井神社は鳥居を見るだけをなってしまいました。
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御井神社の鳥居だけでも見ようと、立ち寄ると、お母さんが庭の手入れをされていました。
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やまあそさんは、またもや「私たち、さっき御祓山にいってきて、御井神社の跡をみてきたんです」とお話をされました。すると、お母さんが「御井神社の昔のことは、Tさんが詳しいから、しょうかいしてあげるよ」と手を止めて、お家へ案内していただきました。しかし、お留守でした。
でも、お仕事かもしれないと、わざわざ仕事場まで、案内していただきました。
このときは、留守(お仕事中?)だったので、お話を聞けませんでしたが、また、紹介しておきますねとおしゃってくださいました。集落を歩いていると、また別のお母さんと出会い、また、やまあそさんは説明をされていました・・・。

 やまあそさんの話では「御井神社は、今は何がお祭りされているのか正確にはわからないけど、昔“岩井牛頭天王社”と呼ばれていた。その岩井というのは、宮本より山の上で、カカナベ峠の手前にあった集落の名前で、その集落は今は消滅してしまっているけど、昔、集落があったところに山小屋みたいなのを作って、年に何回か集まっているらしい。その集まりに偶然出会い、お話を聞いたことがある」と話されました。
 そして、カカナベ峠に差し掛かり、岩井集落がかつてあったところを見ようとしたら、おや?車が止まっているではありませんか!もしかして、今日はその、岩井の人たちが集まっている日?
山小屋を訪問すると、数名の方がいらっしゃいました。

そして、やまあそさんはまた「御井神社の跡をみてきました。」とお話をされています。
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お母さんたちが岩井集落出身だそうです。
お母さんのお話では、岩井の集落は昭和45年まであったそうで、お母さん達が最後にでられたそうです。私たちでみた御井神社の石碑を山まで担いであがった方の名前も「石田源じゅうろうさん」と教えていただきました。
そして、むかし、あの神社には牛頭天王さんがお祭りされていたけど、茶色い牛の背にのって、川を下って、宮本の集落に下りてしまった。その牛の足跡が川の石にあって、それを見たことがあると聞きました。
それに、「ここは武田の里で、ここには埋蔵金があるのかもしれない」そうです。その歌も教えていただきました。
そして、お母さん達にコーヒーとお菓子を頂き、五右衛門風呂も見学させていただきました。
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(入りたかったなぁ・・・・。絶対に気持ちよかったと思います。)
これは、本当に使っていた五右衛門風呂の釜を再利用したそうです。


元・岩井集落の方に別れを告げて、カカナベ峠を越えて、帰路に着きました。


※ブログには文字制限があるようで、書き切れなかった後編は、こちらへ。
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by deity_river | 2011-05-04 00:24 | しゅみ

 4月14日。この日は、杉ん子さんと一緒に、生野の白口地域から、尾根をつたって白口地域へ戻ってくる周回コースを歩きました。

 そもそも、こと始まりは、私が、急に白岩山に行きたくなって、ついでに高畑山にいこうかなぁと考えていたことから始まります。なぜ、白岩山かといいますと、越知谷第二小学校にの校歌に出てくる「千ヶ峰」に登って、粟賀小学校の校歌にでてくる播磨冨士こと、「笠形山」に登って、そういえば、大山小学校の校歌に出てくる「白岩山」を登ったことがない!と気がついたからです。

「白岩~高畑山ルートを私がナビでも大丈夫ですか?」とやまあそさんに聞いたところ、「そういえば、高畑山に行った時にみた滝の名前が分かりません。おじいさんに聞いたらわかるかもしれませんね」と聞きました。
私は、そのとき、白口の山の中に、滝が二つもあるん?
滝が大好きやし、作畑の隣村である白口にそんな場所があるなんて知らへんかったなぁ。めっちゃ、名前が知りたいなぁと思うようになりました。

さっそく、祖父に聞いたところ、「さぁ、この場所は行ったことがないから分からんなぁ」とのこと。
祖父も分からないか・・・。
なら、一体、誰に聞いたらええんやろう。
しばらく月日がたちました。

ちょうど、千ヶ峰ふもとでふれあい協議会を通じてお知り合いになったTさんが大畑生まれなので、なにかご存知では?と思い、聞いてみました。
「わしはー、その滝は知らんけど、神河の山のいろんなところを歩いている杉ん子さんを知っとるで。その人やったら、おそらく、その滝のことも知っとってかもなぁ」とアドバイスをいただきました。

神河の山に詳しい方?どんな人なんやろう?その方やったら、滝のこと分かるんかなぁ?
さっそく、いつものクセ(?)で、手紙を書きました。


そしたら、「滝の名前は分からないけれど、その滝は行ったことがあるので、ぜひ行って見ましょう!」とおしゃってくださって、案内していただくことになりました。

名前が不明な滝を見るついでに、私がまだ一度も行った事ない、神河町と生野町の境界尾根も歩くコースを考えてくださいました。
ありがたいことに、杉ん子さんは、私の山レポートから、私のだいたいの体力を予想されていて、高所恐怖症で、長距離が苦手で、かなりへたれな私が誰にも助けを請わず歩き通せる範囲での設定です。


まずは、スタートとなる白口集落のお墓があるところから東の谷に入って、3つの林道(沢)が合流しているところまで車で行きました。
そして、今日歩くのは、3つの林道のウチの真ん中のいきなり鎖がかけてある林道です。
でも、私が一度も白綾の滝に行ってことがないということで、歩くべき林道の一つ西側の林道へ入り、まずは「白綾の滝」から見学です。
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滝の横にはお不動さんがお祀りされています。
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そして、いつ・だれが寄進されたのか気になったのでみました。

滝を眺めていたら、あれ?あんな上にもなんか石仏がある・・。
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小さいし、上すぎて、さっぱり不明。
でも、どうやってあんなところにおいたんかなぁ?

お不動さんと滝をじっくり観察した後は、引き返してきて、真ん中の林道へ入りました。
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林道をずんずん歩いていくと、右手に杉の木が伐採されているところがあって、そこに鹿がいました。
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(PSWさん曰く、この反対の左手の山のところに、白口の若林坑の前にあった選鉱場のための水をためておく2段の池があったそうです。歩いている時は全く気がつかなかったです。)

そこの下のミツマタの木がすごい。
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(ミツマタの木はちょっとじめっとした所の杉の木の下にあるのをよくみるので、こんなに日当たりの良い斜面にあるミツマタの大群は初めてみました)

さらに沢沿いにある林道を歩くと、名前の分からない2つの滝がありました。
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     (右の滝)
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     (左の滝)

地図を見ると、左手の滝のところは猪篠に越える昔の峠道だそうですが、どうみても、急なので、引き返して、「愛林防火 大昭和製紙」の看板のところから尾根に取り付くことになりました。
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(ここから尾根に向かって歩く)

一見すると、けっこう急な斜面だし、ここには道がなさそうで、トラバース気味に歩きますと聞いたので、かなりビビりながら歩いていました。
しかし、よくみるとソマ道があるではありませんか!
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途中、ソマ道が消えても、また現われる。なんとも不思議なソマ道を歩いて神河町との境界尾根を目指しました。

ちょっとした難はありながらも、自力で境界尾根へ立つことができました。尾根にでると、焼山(なんかなぁ?)の境界線(掘割)がありました。
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そこからちょっと南へ下がって、奥猪篠方面を見ました。すぐ、右に白岩山が見えます。
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(真ん中のピークです)

そして、笠形山も見えました。
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(一番薄い稜線の右端。ここらだと頂上だけしか見えていません)
でも、最初はそれが笠形とは分からなくて、私がいつも山に持ち歩いている神河町全図をひろげて、コンパスを出し、周りの山々と見比べて、二人でどのピークが、どの山やろうと話合いました。
はい、そこで、かなり時間をとりました。


そして、境界尾根に戻って、そこから東へ進みます。
無名の886ピークのちょっと手前に行くと、そこから北をみると、白口から歩いてきた谷や、先日歩いた法道寺山など、たくさんの山々が、一望できます。
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あまりにも、たくさんの山が見えるので、私があそこにみえるピークはなんやろう?その横は?あっちは?あのうっすら見えるところは?この前歩いた法道寺山はどこかなぁ?あそこに高圧線の鉄塔がみえるけど、あれはどこの山?なんて、次々に質問攻めをするもんだから、それに答えるために杉ん子さんも一生懸命。

私たちはあの谷をさっき歩いてきたから、あのあたりが白口の民家があるあたり・・・。
白口の集落の一番北には、青草に抜ける「萩谷」があります。
それを確認して、尾根沿いに視線をやると、「あっ、ほんまにへっこんどー!」
馬の背が見えました。
その尾根の向こうは青草かぁ。銀山湖の端っこはあんなところになるんやなぁ。
あれ??白口集落の山にハゲ山がある・・・。
杉ん子さんは「あれは、やまあそさんのレポートにかいてあったで」といわれました。
あ~、確かに、あった。あった。たしか、これは私がやまあそさんの存在を知って、初めて読んだレポートだったような?
どこのことかとおもとったけど、白口の集落の道を車でぬけるだけやったら、まったくそのハゲ山に気がつきませんでした。
山に登って、初めてその場所に気がつきました。

そんな話をしているうちに、私はいつのまにか座り込んでしまい、あーだ・こーだ言いながら、山々の風景を観察して、たのしみました。
ここでかなりの足止めです・・・。



そして、「無名ピーク(886m)」にきましたが、さっき、山を観察したので、通過しただけ。
そういえば、このピークとこれから歩く東隣のピークである「小畑山」は、古城山からも見えたし、法道寺山の南の分水嶺からも見ていました。
まさか、遠めに見ていたその山たちに登るなんて・・・とても、感動しました。


感動もつかの間、ピークを過ぎたら、次は東へ向かって歩きます。
次は「小畑山(957m)」です。
このピーク付近はなんかお腹がすいているせいもあるし、寝不足なせいもあるして、かなりぺースダウン。
ゆっくり・のっそり歩いてやっとの思いで、ピークにつきました。
とりあえず、昼食です。お腹がすいては山歩けません。

昼食後に、山の風景をたのしみました。
小畑山からは360°ぐるっと周りの山々が見渡せました。
(千ヶ峰から時計廻りです)
まずは、久しぶりの千ヶ峰。南に南山(飯森山)、笠形山。南には白岩山、高畑山。北は釜床山から金香瀬山や法道寺山、粟鹿山。三国岳も見えています。

ここもいろんなピークが見えるもんだから、またまた質問攻め。
またしても、足止めです。

よく小畑山からの風景をたのしんだ後は、次のピーク「越知坂」へ。


尾根伝いにいくと、展望の良いところがちらちらあります。
そこから周りの山々を眺めてみたり、ふもとに見える集落を覗いてみたり・・・。
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(上越知と高坂峠方面と笠形山)


そして、千ヶ峰がよく見えて、作畑・新田地域が見えるところもありました。
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よーく見てみると、作畑の田中・段のお家が見えています。
その向こうに新田公民館が見えました。
千ヶ峰と観察していると、谷や尾根が見えました。
新田のあの深い谷が、水谷ってことは、その手前の谷が浅ヶ谷で、その手前は、石風呂・・・・。
ということは、あの尾根が作畑地区のかつての共有林で、カヤカリをしとった、ほそくびか~。
あのあたりが、「まいまいどこ」かなぁ?(※「まいまいどこ」は、刈った萱を背に負って降りてくる途中に、急なところを下りるので、斜面をゆいながらおりる場所があったそうです。カヤを背負って回りながらおりてくることから、そう名づけられたそうです)
あれ?よく見ると、千ヶ峰の西斜面で、浅ヶ谷のところに、千ヶ峰を横切るように林道がついているではありませんか!
ゆくゆくは多田坂にできた林道につながり、笠形の林道までつながるそうです。

そういえば、多田繁次さんの『兵庫の山やま』で、林道ができると書いてあったのをみました。
私は、そんな林道を作っているということを全くしらなくて、この本を読んで知りました。
でも昭和52年の本だから、林道を作る計画は撤回になっているのかなぁと思っていましたが、
まさに、今、それが作られているのをみて、なんか、勇壮な千ヶ峰に傷をつけたれたようで、私は悲しくなりました。
もうすぐしたら、林道はもうすこし南へのびて、さらに目立つようになるでしょう・・・。あぁ。かなしい。


作畑・新田地域と、千ヶ峰がセットでみえるものだから、私としてはもっと観察したいところですが、ここでもかなり足止めをしたので、次に進まなければいけません。


次は、ちょっとしたピークに岩が。
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そこからに西を望むと、高畑山がとてもきれいに見えます。
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(私と高畑山)
あとで、祖父に聞いたら、ここは「天狗岩」というそうです。この岩のとこから尾根があり、この尾根を下りても白口にいけるそうです。たしか、昔に『藪鶯』という本で、「大畑に天狗岩がある」というのを読んだことがあり、頭の片隅にどこかなぁと思っていたのですが、まさかその天狗岩に登っていたとは、そのときはつゆとも知らず。


そして、いよいよ「白口山(814,4m)」です。
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ここには、大柿さんの看板がありました。
私は山で、大柿さんのピンク色のちょっと収縮性のある布は見たことが何回かありますが、プラカードは初めてです。

そういえば、お友達のきゅうちゃんが作畑の長谷から白口山に来たことがあるそうです。でも、めっちゃさがくて、ともちゃんには無理やとおもう、ときいていました。
無理だと聞いても、気になるのが私。(でも、恐いから、いけないし、いかない。)
ル―トは違いましたが、気になっていた白口山も行くことができて大満足です。

ここからは杉の木の林の尾根です。
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しばらく歩いていると、左手に、怪しい鉄塔が・・・。
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あとで、祖父に聞いたら、作畑地区の共同テレビアンテナだそうです。かなり昔に立てたそうですが、とてもきれいで、最近作ったように見えます。この部品は作畑の一番南にある大歳神社のすぐ北の「宮の谷」からもってあがったそうです。
(でも、やまあそさんからその後、連絡があり、これはテレビの共同アンテナではなく、風力発電の調査塔かも?ということです。確かに、下から見ると小さなプロペラがいくつかついていました。それに、作畑のテレビの共同アンテナは観音堂裏の堂山にあったといろんな人から聞いていました。祖父の勘違い??)


そして、尾根をそのまま歩くと、白口峠のお大師さんの所へいけますが、今回は白口集落に下りるので、左手の尾根に入りました。


途中からは沢沿いの道になり、林道になりました。
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林道をしばらく下ると、最初のスタート地点に戻ってきました。


車に乗って、白口のお墓に所を通りがけに、前にPSWさんから無縁仏さまの所に、「白口の村のことが書いてある」と聞いていたので、確認しました。
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そして、最後の滝は「乙女の滝」です。
ここには、奥銀谷地区自治協議会の看板がありました。3月に設置したそうです。
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杉ん子さん、今日は楽しい時間をありがとうございました。
結局のところ、課題であった白口の二つの滝の名前は不明(祖父も行ったことがないらしい)でしたが、滝もたくさんみれたし、生野・神河の地形を復習できたし、越知谷をいろんな方向からみれたし、大満足です。
最初に、このコースは4時間ですと聞きましたが、私がいろいろ観察しては、質問して、地図で確認して、いつの間にかへたりこんで・・・。おまけに、疲れたといってはペースダウン。
とんでもなく、私の身勝手な(?)ゆるゆるなウォーキングになってしまったので、予定よりプラス2時間もかかりました・・・・。
でも、私の質問攻めにも丁寧に答えてくださって、嬉しかったです。
作畑・新田を西側から見たのは初めてだったので、感動しました。

今回尾根を縦走してみて、平地を歩くより、ずっと距離が短いように感じました。

こんな私ですが、こりずにまたおねがいします。
今度は、千ヶ峰子になりたいです。
あ、でも、白岩山~高畑山もいかないと。これは山ガールコースやなぁ。


そして、千ヶ峰のふもとの石風呂から、白口山を見ました。
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(多分、真ん中のピークが白口山)
わたしはあそこをあるいたんやなぁ。

歩いたルートは杉ん子さんのページへどうぞ。
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by deity_river | 2011-04-14 21:38 | ふうけい

 4月10日。やまあそさんに誘われて、生野の岩屋観音付近から法道寺山、むすび山を経て一周するコースを歩きました。
 この日のメンバーは、やまあそさん、PSWさん、YS11さんです。
PSWさんからは子どもの参加が増えるかも・・と聞いていたので、楽しみにしていましたが、フタをあけてみれば大人だけの参加となりました。

今回のルートの目的は、二等三角点めぐりをされているYS11さんのために法道寺山にある「上生野(こうじくの)」を見ることと、地元民であるPSWさんが分水嶺を歩いて地元の山を知ることです。
去年の春に歩いた岩屋観音~行者岳のコースと一昨年の冬に歩いた法道谷~もっつい山~直谷の間を歩くようなかんじなりました。

そして、ちょっとはじめにしょうもない報告ですが、私の山歩きのトレードマーク?だったオレンジ色の「作新スポーツクラブ21 ウォーキング部」の上着は、3月20日の加古川・加西陰陽師ツアー途中に、前のジッパーが壊れて修復不可能になってしまったので、今回からの山歩きの上着はモンベルのうぐいす色になりました。(もしかして、ドーマン・セイメイの呪術か・・・??)
これからは、しばらくこれで歩きますので、これに、オレンジ色のザックをしている人を山で見かけられたら、それは私である可能性が高いです。見かけられたら、声かけてくださいね。



はじめに、鷲原寺の駐車場に集合しました。
やまあそさんからは9時~9時半ぐらいに、適当にと聞いていました。今日は遠くからYSさんがこられるし、もしかして、みなさんは集合時間よりはやめにこられるのかなぁと思いつつ、9時に行ったら、やまあそさんしかおられませんでした。
やまあそさんとお話しているうちに、YSさんが到着。
そして、時間ぎりぎりになって、一番近いPSWさんが到着。

集合時間になって、これ以上メンバーが集まらなさそうなので、さっそく出発です。
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駐車場から歩いていくと、岩屋観音のへの参道が左手にあります。
しかし、今回も、そこへは行かずにまっすぐ正面にある谷へ向かいました。
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左手には沢があります。
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しばらく歩くと長い階段がありました。
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それが終わると、今度は、朽ちかけぬるぬるの丸太の橋が・・・・。
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(去年も恐い思いをして、やまあそさんに助けられながら渡りましたが、今回はひとりで渡りきりました。ちょっとは進歩したんちゃう??)


気持ちの良い沢沿いの古い道を歩きます。
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沢の向かいにはハイキングコースの壊れた手すり。
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(なんで、こっちの道を整備したんかなぁ?)


不動の滝に到着。
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今日は水量が少ないそう。
あらためて、見てみると、かなりある高低差。

今度は滝を背にして、細い道を歩いていきます。


去年、行者岳を行った時は、ここから左手に登りました。
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そしたら、私が泣きべそ?をかきながら歩いた2つの激のぼりがありますが、今回は法道寺山を目指すので、右手に行きました。こちらは歩きやすい良い道。

良い道をあるいていると、法道寺山の山頂が見てきました。
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(一番高いピークが法道寺山です)
YSさんはとても嬉しそうです。

ちょっと道を脱線して、沢の水が湧き出ているところも見ました。
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明確な道を歩き続けていると、突如、ミツマタのヤブに入りました。そこから急に道がなくなりました。
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(ミツマタのヤブ。ミツマタの木は大好きだけど、ゆく手を阻まれるとなんともいえない気持ちになりました。)
途中から、今度は法道寺山に向かって、高度をあげないといけないということで、尾根をはいつくばっての登りました。
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恐いところは一ヶ所だけでした。(去年の2つの激のぼりのことを思えばちょっとは成長したのかなぁ?)

でも、PSWさんは、ずっと息子を連れてきたかったっとぼやかれています。
こんなところ、子どもが歩けますかいな。私がやっとこさやのに・・・。


そこから、やまあそさんがよい道を見つけてくださって、法道寺山に繋がる尾根へとなんなく歩くことができました。


そして、尾根をつたって、
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法道寺山へ。

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(はじめまして、二等三角点・上生野さん)

山頂について、いきなり、PSWさんが、ザックの中をごぞごそされました。
何をしているのかとおもいきや、怪しげな鐘・・・。
シンギングボールです。
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PSWさん曰く、法道仙人と関係のある法道寺山で、法道仙人が供物を得るために飛ばしていた空鉢に見立てたシンギングボールを演奏したかったとのこと。
一緒に持ってこられていた、チベッタンベルを私が持ち、二人で怪しい音色を法道寺山の頂上から発生させました。
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ごはんを食べた後は、やまあそさんと私で、まじめにサプライズコンサートです。

登る前に、やまあそさんに「今日、子どもがこーへんかったら、音楽はなしで」といわれましたが、「やりたいです!」のわたしの強い言葉で、演奏することになりました。
アルトリコーダーがヘタすぎて、聞くに聞けない、ハモるにハモれないわたしのために、やまあそさんはアンデス25Fをリュックにいれて、担ぐはめに・・・・。
やまあそさんが、ソプラノリコーダーで、私がアンデス25Fです。



おかげさまで、いい演奏ができました。
でも、3日前に、音あわせをした割に、わたし、まちがえすぎ・・・。



山頂でよく遊んだ後は、次の目的地へ行かねばなりません。

でも、その前に、山頂から北へ行って、山々が見えるところへ行きました。
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(真ん中のピークは千ヶ峰。もう少し西側に粟鹿山や青倉山もみえました。)

山を観察して、法道寺山頂にもどる途中に、PSWさんの足元をみると、あれれ?
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あやしい鈴が・・・。


戻って、次は分水嶺を目指します。
法道寺山からちょっと下がったところから左(東)を見ると、銀山湖の水面が見えました!
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ということは、法道谷や行者穴はここから近いのですね。

そして、分水嶺へ。
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途中に、タムシバがきれいに咲いています。
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(この日まで、「タムシバ」を知りませんでした。ずっと、この時期、山に白い花を咲かせているのはコブシだと思っていました!)

分水嶺を歩いていると、左手に高畑山やたきわら(竹原野)が見えてきました。
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(中央の一番高い山が「高畑山」。その左は無名ピークで、その左が「小畑山」)
PSWさんは、ホームグランドが見えるので、かなり興奮気味。

前方には「むすび山」が見えています。
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(右の低いピークらしい)

右手は、岩屋観音の岩や最近できた岩屋観音への林道が見えています。
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わたしたちの車も見えています。



尾根を歩いていると、内山寺からの道とぶつかって、そこには「ゆびさし石」があります。
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(おひさしぶりです)
前に、奥銀谷自治協の方と内山寺から歩いてきた時は、このゆびさし石から東のサデ谷へ下りてきました。

今回は私がまだ未踏の内山寺~鷲原寺の間に点在している四国八十八箇所めぐりの石仏の道です。
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やまあそさんいわく、元々観音道があったところに、後で、八十八箇所をおかれてのかなぁ?とのこと。

楽しみやなぁと石仏の道に入ったとたんに、今日で最後の難関の細い道です。
足元がふらふらするし、斜度があって、前に進めなくて固まっていたところ、それに気がついてくださったYSさんに助けていただきました。(はやく、この難所も整備してほしいなぁ・・・・。おねがいします。Nさん!)

石仏の道は右手の雑木林に続いていますが、せっかくなので「むすび山」にも寄りました。
ここは、かつて、たきわら(竹原野)の焼山であり、草刈場だったそうです。(千ヶ峰と一緒ですね)

その山頂で、記念写真。
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むすび山からは、法道寺山が良く見えました。一番高いピークです。
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(やまあそさんは、法道寺山の左側に見える、めちゃくちゃ急な斜面マウンテンバイクを担ぎながら登られたことがあるそうです。見るからに山登りというより、壁よじ登りです)


Uターンして、石仏の道を進みます。
雑木林のとても気持ちがいい風景の中に点在する石仏たちを起こしながら見ていきました。
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なぜか、すぐにこける石仏さまたちみたいです。

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(いたずらではありません。石仏さまのお顔が汚れていたので、掃除中です)
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そして、急に杉林へ。
沢沿いに道があり、石仏は続きます。
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沢を下りている途中に、わたしはイバラにつかまる・・・。


そして、無事に山から下りてきました。
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(ゴールの鷲原寺前のしだれ梅)


最後は、生野の某所で、ある子どものために、ピタゴラスイッチを演奏しました。
そちらのお庭で。
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(なんかCDのジャケットっぽい?でも、特に、私は歩きつかれて、表情が微妙です・・・)



確か、去年、岩屋観音~行者岳に行った帰りに、やまあそさんと、PSWさんと一緒に段ヶ峰の登山口まで行きました。
そのときに、「いつか音楽会ができたらいいね」という話をしていたのですが、1年後になって、ようやく実行?できました。
楽しい時間を今日もありがとうございました。
いよいよ、ミネラルキングダム(PSWさん命名)の活動開始ですね。


もうそろそろ、このあたりでは、山ビルが出ているそうです。
この日は献血しませんでしたが、これから山に行かれる方は、気をつけてくださいね。
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by deity_river | 2011-04-10 22:45 | ふうけい

 3月20日、いよいよ、心待ちにしていた陰陽師ツアーのメインです。(広峯神社編はこちらから)

私も書いている『Sala』には法道仙人のことが連載されているのですが、49号はなんと「法道仙人と陰陽師の関係について」と書かれています。
法道仙人のことは、加西の一乗寺や生野の内山寺をはじめ主に播磨地方のたくさんのお寺を開基したとか、法道谷の洞穴で修行して、彫った観音さまを3体お祀りしていたとか聞いたことがあるし、陰陽師もだいたいどういうことか分かるので、それぞれの言葉は分かりますが、まさか、この二つが関係しているとは全く知りませんでした。

それに、やまあそさんから、加古川・加西あたりには、「石棺仏」というものがたくさんあると聞いて、石棺仏についてしりたいなぁと思っていたところ、こんな本を見つけました。

笑とる仏

岩谷 薫 / 西日本出版社



「石棺仏」は、日本の中でも、播磨地方にしかないものだだそうです。
まず、高砂・加西には石材がよくとれるそうです。高砂では竜山石、加西では長石とよばれ、とくに、竜山石は古くから権力者に重宝されていて、奈良や河内の巨石の遺跡や石棺の多くはここからはこばれていたそうです。また、全国で最も古墳が多いのは兵庫県で、そのほとんどが播磨地方にあるそうです。
古墳時代に作られた石棺が地震や洪水、盗掘、新田開発などで、古墳から地表に現われ、それに後世の鎌倉、室町時代の人々が、仏像や凡字を彫ったのが、「石棺仏」だそうです。
本には、「盗掘や災害にあった石棺の残骸を発見した当時の人々が「あわれ」や「もったいない」という感情をおこしたことも想像できます。また、なにも彫らずに石棺だけ祀ってある例も複数認められますので、ます石棺そのものに非常に霊力があるものとして認識されていたことが分かります」とあります。

なるほど。石棺仏は、ある意味リサイクルだったんだなぁと思いました。


私は今回のツアーで、法道仙人と陰陽師の関係を理解することも楽しみでしたが、石棺仏というものを一度もみたことがないので、それらを見ることもとても楽しみにしていました。


今回のメンバーは、私の山の師匠で石仏と法道仙人について詳しいやまあそさん、広峯ツアーをご一緒して、三角点踏みを趣味にされているYS11さん、そして、はじめましての泥本さんです。
泥本さんは、加古川がホームグランドで、趣味でマウンテンバイクをされているのこと。普段から、いろんなところをマウンテンバイクで走られているそうです。(先日はマウンテンバイクで加古川→新田ふるさと村→白口→生野→加古川を走られたそうです)そのついでにいろんなものを見られているとのことです。なので、今日行く、スポットもいろいろご存知でした。(というか、ナビゲーターでした)


この日は、午後3時辺りから雨予報とのことで(すみません、私は雨女なんです)、最初にハイキングです。
加西の周遍寺という廃寺から見学です。この奥に法道仙人が休憩したという洞窟があるそうです。

訪問した周遍寺は、廃寺でしたが、今は、山から下りてきて、周遍寺密蔵院になっているそうです。
その廃寺を訪問。
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(ちょっときれいにしたら住めそうな庫裏。いや、逆にいろいろそのままなので、非常に恐ろしいです)

廃寺を進んで、奥へ。
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石仏(四国八十八ヶ所?)をみながらさらに奥へ。
洞窟は左ですが、右に登ると、「経の尾山」だそうです。この頂上には、お経を埋めたらしく、それを掘った?といわれる穴が、いくつかありました。
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それをみて、いよいよ洞窟のほうです。
こちらにも石仏(西国三十三ヶ所巡り?)があります。
そして、その途中に、いきなり洞窟はあらわれました。
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ここには、真新しい榊(いやシキビ?)とお菓子が2つお供えされていした。いうことは私たちが訪問するちょっと前に誰かがやってこられたようです。
洞窟の中を覗き込むと毘沙門天石棺仏」がありました。
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その奥にもお大師さんと何か像があります。でも、この洞窟の穴はすぐそこで行き止まりだそうです。
この毘沙門天さまの左に吉祥天(毘沙門天の妻)、右に善膩師童子(子どもの一人)が描かれています。
でも、かわいそうなことに、真ん中にヒビがあります。たぶん、ここから落ちてわれたのでしょう・・・。
その奥にも2つ石仏があります。一番奥はお大師さんっぽかったですけど、その手前は何か不明です。

洞窟の外には「法道仙人が法華山に行く途中に休んだ」と由来が書いてある石碑がありました。
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(法道仙人休憩の文字有り)
やまあそさんは「これを拓本したい」と何度も言われていました。(次回はぜひ、PSWさんの拓本キットを持って行きましょう!)

そして、周遍寺を後にしました。


次は、こけ地蔵へ。
こけ地蔵は、苔が生えているそうよばれているのかなぁと思っていましたが、そうではありません。
何度起こしても【こける】から、そう呼ばれるようになったそうです。
ここには、こんなお話が伝わっています。
“蘆屋道満が都にのぼるときに、式神を井戸の中に閉じ込めて単身上京しました。式神は井戸から抜け出して火の玉になって道満の後を追ってゆきましたが、天下原というところに立っている石棺のふたに彫られたお地蔵さんにいつも行く手をはばまれ跳ね返されてしまします。それでも式神はなおあきらめません。火の玉になった式神がなんどもぶつかるものですから、そのためにこの地蔵さんは傾きます。村人がまっすぐ立て直しても。傾いてしますのです。このようなわけで人々はこの地蔵さんのことを「こけ地蔵」と呼ぶようになりました(Sala49号より)”

ということは、このコケ地蔵は、蘆屋道満の式神より、強いパワーを持っていたということでしょうか・・・?
たしかに、お顔の辺りはこげています。火の玉の式神に何度もぶつかられて、焦げたのでしょうか?(みなさんは、多分この下で火を祀ったときに、焦げたのでは?といわれていました)
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(よく見るとお顔がかわいそうなことに・・・あぁ、ある意味、恐い)



正岸寺へ。
こちらは、安倍晴明のライバルとして有名な蘆屋道満が生まれたといわれている場所だそうです。
やまあそさんが、見学ささて頂きますとお寺の奥さんに一声かけたところ、なんと、奥さんがお茶を振舞ってくださって、しかも、蘆屋道満についていろいろお話をしてくださいました。
奥さんのお話では、ここは道満の生まれた屋敷跡と言われていますが、道満の縁のものは産湯につかったといわれている井戸の枠しかないそうです。
それを不憫に思った今のお坊さんが芦屋道満の像を作られたそうです。
それがこれです。
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その前には、石棺が普通においてありました。
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(けっこう小さかったので、昔の大人が小さかったのか、子どもの石棺だったのか・・・?)

それと、井戸の枠。
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(なにも説明はなかったので、お寺の奥さんにお話をお伺いするまで、全く目に入っていませんでした)

境内には石棺仏もありました。
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札馬大歳神社へ。
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この神社はもともとは違うところにあったそうですが、こちらに移転したそうです。
ここは、法道仙人の手形がある石と法道仙人が腰掛けた岩があるそうです。

こちらがその手形。
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どうみても、人の手形に見えません・・・。
仙人だからこういう手形なんかなぁ?
これも、石棺だそうです。

こちらは腰掛け岩。どう見ても、普通の石ですが・・・。
そこに「山の仙人??」が腰を掛ける。
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「こまのつめ」で食事。
こちらのご主人は近くにある「法道仙人の駒の爪跡を整備されているそうです。
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(店内にはこんな説明がありました。他にも新聞の切り抜きがたくさん掲示されていました。)
ここで、わたしは加古川名物のかつめしを初めて頂きました。
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こまのつめのご主人に別れをつげて、「駒の爪」へ。
法道仙人は、天馬に乗っていたそうですが、法道仙人が天馬に乗って一乗寺に向かって飛んだ時の前足が着地したところだそうです。(逆の説もあるそうです)
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これが駒の爪。


そこから熊野古道をもじった「駒の古道」が始まります。
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それは「投げ松(なげまつ)」へと続く道です。
でも看板をよくみてみると「投木の松(嘆きの松)」です・・・。
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なにが悲しいのかなぁ?ねじれすぎて悲しいのかなぁ?
この看板や道は、昼食を食べた「こまのつめ」のご主人が整備されたそうです。
それを聞いた時に、私は生野のNさんを思い出しました。Nさんも、内山寺の周辺を整備されています。

投松(ねじまつ)地区にある「投げ松(なげまつ)」。(読み方がややこしいです・・・)
この松は、法道仙人が投げたらしいです。
それにしても、すごい、ねじれています。
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(あまりにも大きすぎて、写真におさめきれませんでした)
この松をおさめる建物も、松の枝の間に梁を通したりして、ちょうどサイズに作られています。
すごいなぁ・・・。

帰り道には「ナゲげのマツ」の看板が。
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なんか、みんなおもしろい看板でした。


石棺石仏「八つ仏」へ。
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この裏のこんもりした山は古墳らしいです。
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この古墳から出土した石棺でほられたのかなぁ?


わたしが、いろんな意味で楽しみにしていた「セイメン」さんへ。
(これを「セイメイ」さんと呼ぶかたもいらっしゃるそうですが、『笑とる仏』には、セイメンと書いてあったで、セイメンとよぶことにします。これを「セイメン」と呼ぶのは庚申信仰の青面金剛から派生しているのではという説があるそう。「セイメイ」と呼ぶのは安倍晴明から派生しているのはと別の資料で見ました。)

道の傍らにある、怪しげなトタンの小屋をのぞくと、
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「セイメン」さんは、いらっしゃいました。
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本物は、写真でみるより、ずっと威圧があり、恐ろしいです。
これもある意味、魔力を発しているのか・・・?

そして、よく見ると右のほほに欠けて、えくぼになったようなところがあります。
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これは、近所にあるJRの厄神駅の近くで「井戸を掘っていて発見された」そうで、そのときにツルハシが当たって、石が欠けたそうです(他にも、で、古井戸の蓋になっていたものを掘り出した時に発見されたという説もあるらしい)

ちなみに、これも石棺仏です。
うーん、何度見てもなんか威圧を感じる。


加古川大堰へ。
私は、加古川水系でなく、市川水系上流に住んでいるので、地形も地名もよく分かりませんが、とにかく、水を引くというのは大変な工事だったということが書いてありました。
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最後は、石棺仏「寺元の地蔵」へ。
この石棺仏は磨耗されているし、下のほうはヒビが入っていて、崩れた石も下に散らばっていました。
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泥本さん曰く「ちょっと前にみたときはこんなんじゃなかった!」とのこと。
こうやって、石仏は崩れていくんだ知ることができました。



そして、やまあそさんからは、「石仏について全然知識がない!」としかられて、こんな本を頂きました。

石仏巡り入門―見方・愉しみ方

大法輪閣



おもしろいけど、知識ばかりで、頭のメモリーが小さな私は覚えられません・・・。
でも、身近な観音さまとかだったら、覚えられるかも??



Salaには法道仙人と陰陽師の関係は「天台・真言両宗派とも、教団が隆盛すると、貴族社会とのとの結びつきを深め、名誉や権勢を求める風潮が広まった。これに対し、真の仏教修行と民衆救済を果たす為に、教団から離れて山岳寺院や別所と呼ばれている施設を開いて活動する『山寺の聖』と呼ばれる修行僧が多く現われるようになった。彼らは苦行を通じて特殊な呪術能力を身に付けたとされる。(中略)法道仙人の伝承は、山寺の聖たちの活動の象徴として生み出されたものであり、法道仙人の伝承が各地に広まるに連れて、すでにあった徳道上人の伝承に乗り代わって行った」とあります。
なんか、わかるような、わからないような・・・。


でも、今回のツアーで本当に分かったこと。
今回、法道仙人と蘆屋道満のスポットを巡って思ったことは、どこの石仏も、だれかによって、手厚くお祭りされていたことでした。どこに行っても、新鮮なお花がお供えされていました。
蘆屋道満は、安倍晴明のライバルで、悪役のイメージが強かったですが、地元では、とても信仰されていることがよくわかりました。


そして、いろいろ資料を読んでわかったこと。
どうやら、法道仙人がインドから渡ってくる時に牛頭天王と一緒にきたそうです。
吉備真備は唐から帰ってきたときに、牛頭天王と一緒に帰ってきたらしいので、この3名(うち、2人は神さまですけど。いや、神様は柱で数えるんやったっけ?)は一緒に日本にやってきたということになるんですよね?
法道仙人も陰陽師?
鉢を操ってお供え物をいただいていたらしいで、それも、陰陽師が式神を操るのと一緒のような感じなんかなぁ?
別の資料では、陰陽師のルーツは「役行者」と「吉備真備→安倍晴明(主に京都の陰陽師へ)」と「法道仙人→蘆屋道満」(播磨の陰陽師へ)」の三つの系統があると書いてありました。


そもそも、法道仙人の存在が謎です。
もうしばらく、いろいろ考えていたいなぁと思います。

私は、法道仙人・陰陽師の縁のあるものたちがこんなにたくさんあることにびっくりしました。でも、今回ツアーで巡ったのは、そのうちのほんの一部だと思います。
それに、いろいろ資料を読む中で、陰陽思想が自分が今、生きている生活の中に残っているということを発見したたけでも大満足です。


追伸:こんなに、いろんな資料を何度も読み直して、頭で考えながら、書いた文章は久しぶりです。
このブログの中では初めてです。
意味不明なところも多々ありますが、自分でもよくわかっていないところが多いので、あまり聞かないでくださいね。指摘は大歓迎です。
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by deity_river | 2011-04-02 23:30 | しゅみ

すこし前から『はりまの陰陽師紀行』を読んでいます。

はりま陰陽師紀行 (のじぎく文庫)

神戸新聞総合出版センター



いろんな切り口から陰陽師のことが書かれているのですが、私が一番おもしろいなぁとおもったのは、最後の「暮らしの中の陰陽道・道教」という章です。
わたしは年中行事に特に興味があって、作畑の年中行事をできる範囲で、なるべく、昔から伝わっていたとおりにやってきたつもりですが、この多くは陰陽師の影響をうけているそうです。
明治時代までは。カレンダー(暦)を作るのが、陰陽師で有名な安倍晴明のながれをくむ土御門一族だったそうです。
お正月の注連縄とんど節分の豆まきひな祭り五月の節句、七夕、重陽の節句・・・。
いまでも、年中行事として、たくさんの陰陽信仰が私たちの普段の生活の中に生きていることがわかりました。

本には、海女さんがつける道具にはセーマンドーマンと呼ばれる模様が書かれており、それは陰陽師である安倍晴明と芦屋道満を表していると書いてあります。それは、「魔除け、魔おどし、龍宮にひきこまれるのを防ぐためのおまじない」だといわれているそうです。

それに似た話を生野のPSWさんから聞いたことがあります。
鉱山町には今でも残るおまじない(おまもり?)がたくさんあるそうです。
私も実際に見たものがいくつもあります。鉱山町にいきる、人々は、神さまや自然を畏敬・畏怖する心からたくさんのおまじないを施されたのだろうと聞きました(詳細に書いたいけど、あまり書きすぎると、PSWさんのお仕事がなくなるので、詳しいことはPSWさんにおたずねくださいね~!)


でも、『はりまの陰陽師紀行』を読めば読むほどに、なんだか頭がもやっとしてきて、一体、陰陽師・陰陽道が何なのかよくわからなってきてきました。

このもやもやとしたことを解きほぐしたと思い、まずは、分かりやすい(?)ところからといていこうとおもいます。

この第2章に「播磨・広峯信仰をめぐって」とあります。
広峯神社から、訪問することにしました。

この広峯神社は、唐から帰ってくる途中の吉備真備がこの地に神威を感じて、牛頭天王をお祀りしたのが始まりだそうです。そして、陰陽師は牛頭天王を祭神としてしたそうです。
また、吉備真備は陰陽道の聖典である『金烏玉兎集』を唐から持ち帰ったそうです。
吉備真備自身は陰陽師だったのかはよく分かりませんが、そういうことから、広峯神社と陰陽師は関係があるそうです。


3月17日。
ちょうど、広峯神社のすぐ近所に行く用事があったので、その帰りに訪問しようと考えていました。でも、ひとりだとなんだか寂しい・・・。
あ、でも、YSさんなら私のわがままにもついきてくれそう??それに、ついでに、その近所の山もハイキングしてみたい。
YSさんとは、岩屋観音ハイキングをご一緒しましたが、長らくお会いしていないし、このときはちょっとしかお話できなかったので、もっとお話がしたいなぁと思っていました。
しかも、最近、YSさんは歴史に非常に興味があるらしく、神功天皇の縁の地を歩かれています。
その延長戦で・・・と甘えて、YSさんに押し付けるようにコースを設定していただいて、私はついていくこととなりました。


私が、出発した時には、YSさんは、白国神社付近を散策中とのこと。その付近にいてもらって、私は白国神社にむかいました。

特に、白国神社に見たいものはありませんでしたが、この神社はもともと「新羅訓神社」といわれ、このあたりの地名もその漢字を当てはめていたそうです。その漢字のとおり、このあたりは新羅の方が多く住んでいたそうです。広峯神社に行く途中にあるので、ついでに、お参りしました。

そして、本殿へ。
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(門のいらっしゃった随身さんのうちの一つ。これを「随身」というのは、YSさんに聞いて初めて知りました。今まで、こういうものがあることを知らなかったのは、きっと興味がなかったから・・・・。)



見学後は、いよいよ広峯神社へむかいます。
脇には丁石がありますが、車だし、狭い道なので、泣く泣く車の中から見て、山の上へむかいました。

くねくね道を上り詰めると広い駐車場があり、そこに車を置きました。
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(鳥居と、丁石)
ここからは、歩きです。道には堤燈が並んでいます。
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いよいよ本殿です。
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YSさんは、国の重要文化財とだとかそういうのに、とても興味があるらしく、じーっと観察されていました。しかし、わたしは、京都にいるときに、こういうものは目が肥えてしまったのか、ちらっとみるだけ見て、気になるのは、広峯神社と陰陽師との関係のことばかり。

まずは、本殿にお参りしました。でも、ここは土足でOKみたいだったのに、わたしは知らずに靴をぬぎました・・・。本殿の内部の右に、古い神輿が・・・。
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そして、いよいよハイキングです。
ここから東隣の随願寺までハイキングコースをして整備されているらしく、今日はその道をあるいて、増位山までいき、往復する予定です。

まずは、広峯神社の境内からハイキングコースへ入ります。
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ハイキングコースなので、歩きやすく整備されていますが、古い石垣があったり、掘割っぽくなっているので、どうやら昔からある道をハイキングコースとして整備しているようにみえました。
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そして、随願寺へ。
YSさんは、ここにある「亀趺(きふ)」をみることが、今日の最大の目標だったそう。
私は、亀趺というものを見たことがありません。
YSさんから、今日の目的は「キフをみること」やと聞いて、最初はなんのことかさっぱりわかりませんでした。

亀趺とは、亀の形をした碑の台石のことだそうです。
随願寺にある、姫路城の城主のお墓に亀趺があるそうです。
隋願寺内を散策していると、亀趺はすぐに見つかりました。
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亀趺の上には文字がずらずらと書かれています。看板にかいてある説明をを見ると、この文字を間違えずにいえたら、この亀が動くとか・・・。YSさんはじーっっと観察されていました。

わたしはそれよりも、このお墓をみた時の第一印象が琉球王国の玉陵にとっても似ていて、中国の影響かなぁとおもっていました。

そして、お寺を観察たのちは、お寺の下の弁天池のところでお昼ご飯。
お昼ごはんを食べている時に、急に雪がちらちらしてきました。
そして、食べ終わる頃には、かなりの量の雪で寒い・・・。
ここから増位山に行くことはあきらて、ここから500mぐらいのお墓にいくのもいいかなぁといっていましたが、あまりにも寒くて、とりあえず、梅を写真におさめて引きかえしました。
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引き返す途中に、またYSさんは亀趺を見られていましたが、さらに雪が降ってきます。
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(はげしく吹雪いています)

あまりにもすごくて、急に山道が一気に真っ白になりました。
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(引き返す途中の木)

私たちは足早に、広峯神社にもどりました。
でも、神社に着くちょっと手前で、雪はやみ、雲間から太陽が・・・。
なんということでしょう!

わたし、雪女・・・・。なんて、タイミングが悪いのでしょうか。


そして、増位山にいかなかったぶんの時間が余ったので、広峯神社の奥にある吉備神社を見に行きました。
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(境内の奥のほうで、去年?の茅輪を発見)
そして歩いて、奥へ
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(途中の道)

途中に廃屋・・・。
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なぜ、こんなところに・・・。
これを見ていると、急に生野の白口集落をおもいだしてきました。


そして、吉備神社へ。
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(看板にはタイミングよく光が差し込んでいて、ひかっているようにみえる)

広峯神社の本殿前の鳥居から南をみると、瀬戸内海が見えました。
普段、山の中で暮らしている私には、海は憧れというか、遠いもので、めったに見ることができないものだと思っていました。
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(海は夕日できらきらしていました。)
もう少し下りていくと、覆われた姫路城が見えました。
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十分見学した後は、引き返し、再び広峯神社にもどって、解散しました。

車で山から下りてくる途中に丁石をみていたら、再びYSさんと合流。
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(一番左の自然石は道標かなぁと思っていましたが、写真を拡大したら、「白国古墳跡」と書いてあるようにみえます。ってことはこの付近に古墳があったんかなぁ?)



YSさん、今日はいろいろとお付き合い頂きありがとうございました。
とても楽しい時間をありがとうございました。でも、雪にはもうこりごりです。
広峯神社を訪問して、陰陽師とのかかわりが見えてきたようで、すこし頭がすっきりしたかんじがします。

そして、たくさんのお土産ありがとうございました。
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軍手は来年のミツマタ刈りで使わせて頂きますね。
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by deity_river | 2011-03-31 22:17 | しゅみ

 先日、「薬神さん」へお参りにいってことをレポートにしたときに、山友達の山ちゃんからコメントを頂きました。どうやら「薬神さんの薬神の森から大嶽山に行ける」とのことです。
(そういえば、山ちゃんとの縁も不思議でしたね~。いつの間にかお互いにブログの読者で、去年のGWに石風呂コース千ヶ峰をご一緒させていただきました)

それを聞いて、最近、山歩きしてへんし、どこかに行きたいなぁ・・・。できれば、山頂でごはん食べてゆっくりしても3時間ぐらいでで往復できるコース、どこかないかなぁ??と、思っていたところに、そんな情報を頂きました。なんだか急に大嶽山が気になって、行きたくなって、心がうずうずしてきました。
それに、小学校の遠足や元日登山で、大嶽山には何度も登ったことがあるのですが、山頂が狭くて、実は一度も頂上に行ったことがないのです。
それに、やまあそさんから青草峠~白口峠洞滝~三国岳~長野を歩いている時に地図の読み方を教わったので、それを活かす??チャンスです。

これは今日行かんと、一体いつ行くねん!
千ヶ峰はまだ残雪がようさんあるかもしれへんけど、大嶽山なら全くないはず!
「思い立ったが吉日」です。
起きた瞬間に、歩くことを決心しました。


 もちろん登るのは、先日、お参りした薬王子神社の薬神の森から。
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神社手前の看板を見ると、看板の横から登る道と、神社の突き当りから歩く「チョウチョの谷コース」があります。
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けど、チョウチョ谷のコースは「健脚コース」とあるので、あまり自信がなかった私は、看板から「あずまやコース」を選びました。鹿柵にあった出入口を開けて、さっそく山へ。

遊歩道を歩き始めると、すぐに薬王子神社が見えました。
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ずんずん遊歩道を歩いていきました。
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しばらくすると、看板が。
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まよいつつ桜華園を選びました。そしたら、せっかく登ってきたのに、山をまきながらどんどん高度が下がってきます。

そして、桜華園の方へあるいていくと、鹿柵に扉が・・・。

ここから桜華園に抜けられるとおもいきや・・・、鍵ががっちりかかっています。
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オフシーズンなので、どうやら、鍵がかかっているようす。
この扉があけられないなら、鹿柵のあいていそうなところを探して・・・と思いましたが、右にも左にも鹿柵は延びていて、途切れる様子はありません。しかも、1、5mぐらいあるので、乗り越えるとこもできませんでした。
しかたなく、引き返し、山頂に続きそうな谷沿いの道を見つけて、その遊歩道を歩いていきました。

この大嶽山と東柏尾の民家を隔てるように設置された鹿柵の出入口の扉に鍵がかかっていて行き来不可能になっているというのは、今日の「悲惨な山歩きのほんの序章」でしかなかったようです・・・。




ずんずん遊歩道をあるいていくと、途中で、なんか息苦しい・・・。
マスクをしているせい・・・?いやちがう。

実は、先々週の日曜日にふるさと村で雪遊びをしてから、扁桃腺が腫れまして、それからのどの調子がわるく、鼻水と痰が止まらないのです(汚い話ですみません)
歩いているとちゅうに、どうやら、痰が溜まってきて、それで、喉に引っかかって、息がしづらくなって、これ以上歩くのをあきらめようかなぁと思うぐらい、喉がおかしくなりました。(本当に窒息しそうになったのです)

けど、なんとか回復して、しばらくあるくと、眼下には市川方面の眺めのよう風景が見えてきました。

遊歩道を歩き続けて、尾根へ。めざすピークはもうすぐです。
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林道を歩いている途中に、なにやら、ほそーい緑色の電気コードのようなものが・・・。
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よく見ると、ツヅラフジでした。こんなとこにも、あるのかーとおもいましたが、今回はツヅラフジは採取せずに、歩いていきました。

そして、林道から山道になりました。
ここは二つに分かれています。
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このすぐ手前にある看板には、「大嶽山・小嶽山へ」とかいてあります。
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看板には「大嶽山・小嶽山へ」ってかいてあるから、どっちに行っても山頂にいけるんかなぁー?どっちでもええかぁーとおもいつつ、なんとなく、右の急な道を選びました。そっちのほうが正解です。
そこを歩いていくと、大嶽山のピークへ出てきました。
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(NHKのテレビアンテナ)
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(三等三角点)

これが、よく山ちゃんが記念にとっている山頂の岩か~なんておもいつつ、その岩に腰掛けました。こんな絶景を目の前にして、お昼ご飯のおにぎりと御座候を食べられるなんでしあわせやなぁと思っていました。
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(山頂の岩に腰かけて、風景を眺める私)
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(天気が悪かったので、御座候を大陽に見立ててみました)

南は、市川に沿って、平野が広がっています。

北は、秋に父と一緒にいった「坂の地蔵さん(峠のお地蔵さん)」がありそうな山が見えました。
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(ちょうど杉の木が邪魔してる・・・)
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(わたしの荷物とテレビアンテナ)

風景を十分楽しんだ後は、下山。

そういえば、さっきなんとなく右の道を選んだけど、左はどこへいくのかなぁと思ってずんずんあるいていくと、小嶽山につきました。
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こちらからは、神崎エリアの風景がよく見えました。
そして、引き返して、林道へ下りてきました。

登りは、薬神の森やったけど、帰りは桜華園ルートで降りようとおもい、そっちを目指しました。

ずんずん林道をおりてゆくと、急にハゲ山に入りました。
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ここが、桜華園か・・・。

そして、林道に、立派な柵がありました。
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また柵?さっきのトラウマが再び??と思って近づいたら、ボタンがありました。
それを押して、開けて、桜華園内の遊歩道を歩きました。
桜華園の遊歩道をルンルンおりて、桜華園の入口に下りようと思ったら、え~~~ここも、鹿柵に出入り口があるのに鍵がかかっとる・・・。

この鹿柵も1、5mぐらいあり、途切れる様子がありません。
フェンスに穴が開いているとこないかなぁと思って、うろうろしましたが、そんなところはないし、溝の中をくぐってと思いましたが、その溝も木で止めてあって、フェンスががっちり固定されています。

仕方ないから、別のところからと思って、しばらく彷徨っていましたが、鹿柵を越えられそうなところは、一番上が有刺鉄線になっています・・・。
ここも無理か・・・・。

どうしましょ!とパニックになりながらも、何とか別の鹿柵から出れるところを探し出し、ようやく村に下りることができました。
どういうふうにして、私は、山と民家の間に続く鹿柵から下山できたのかは、聞かないでくださいね~!!
でも、決して柵は壊してはいないし、他の方の手を借りずに自分の力だけで村に下りてきましたので、大丈夫です。
どうやって下りたかは本当に内緒ですので、みなさんのご想像におまかせします。

もう、シーズンオフの桜華園はトラウマです。もう行きません。
桜華園には、わたしの名前で植樹した桜があり、それを確かめにいくのも目的の一つでしたが、まったく分かりませんでした。残念。
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(越知谷小学校で植樹されているのは発見)

桜華園の桜のつぼみはまだまだ固そうです。
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でも、ふくらんできているのをみると、春はもうそこまで来ているようですね。

というわけで、オフシーズンの桜華園に下山される時は、私のような悲劇が待っていますので、くれぐれもお気をつけてください。
薬王子神社から登って、そこへ下りてくるルートが一番いいです。
今度はぜひ、チョウチョの谷のコースを。
念のために、地図は持っていきましたが、遊歩道と看板がちゃんと整備されているので、必要はなかったですが、歩きながら、今は地図のこのあたりかなぁ~なんて思っていると、地図を見るのが楽しくなりました。

今日は、こんな感じ(?)で歩きました。
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ルートはかなり曖昧ですので、参考にはなりません(載せない方がよかった?)。でも、たくさん遊歩道と看板が整備されていますので、それに沿えば、間違えずに山頂に着きます(普通に歩けば、間違いません)。


下山後、駐車したところまで、思いのほか遠くて、てくてくあるいて、ただいま・・・。
自分にお疲れ様でした(笑)
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本当はここに下山したかったんです・・・。
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追伸:家に帰ってから、リュックが重くて、何入れたっけ?っておもっていたら、アルトリコーダー入れていました。山頂で吹くはずが・・・・すっかり忘れていました。今度、どこかの山に行ったら、今日の分を吹きます!
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(夕方には寺前方面から大嶽山を見ました。数時間前にあのてっぺんにいたのが不思議です。)
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by deity_river | 2011-02-24 17:57 | しゅみ

 『おちの里史誌』で、
“一.粟賀の庄より安楽田の庄に通じたるもの。(峠の松)
  根宇野村より岩屋茶木原を経て「いも峠」を越え桜谷より石仏峠に至り更に金蔵山より的場に下がる。かくして他種部落を避けたる路線あり、是れ昔時の京街道とみるべし。

 明治の初年村道改修の事あり本村より多可郡松井の庄に通ずる高坂の改修をなし現在の位置に変更改築したり。(松の峠を保存すべく幕府の命あり)岩屋村日役を称して奉仕事業に依る。”

と、いう文章を見てから、私はこの道を探していました。

 この中の「いも峠」について、いろんな方から聞き取りをして、だいたいのことが分かってきたので、今度は、いよいよ実際に歩いてみることとなりました。(聞き取り調査はこちらから)

 
 12月26日の数日前、わたしの山の師匠のやまあそさんから、急に「いも峠にいきます」とご連絡を頂き、一緒に行くことになりました。変わり者2人のハッピーアフタークリスマス(?)です。

 まず、集合場所は、多可町の奥荒田地区でということでしたが、私は、どこなんかな~ときょろきょろしている間に、いつの間にやら、的場地区へ。あー!いったい集合場所はどこなんけ~??とひとりで、嘆いているときに、「そこにいて下さい」と連絡がきて、何でわかっちゃったんかなぁ?と不思議に思いながら、待っていると、やまあそさんがやってこられました。そして、私が適当に止まっていたところをゴールにすることになり、まずは、スタート地点となる神河町の岩屋地区の住吉神社に帰ってきました。

 今回歩くのは、岩屋の小字・茶木原から、谷を入り、「いも峠」を通って、旧高坂峠を歩き、桜谷は時間の関係でパスして、高坂峠からすぐ南から金蔵寺へ続く、昔「京街道」と言われていたルートです。岩屋の方はよく、峠を越えて、金蔵寺の縁日に来られていたそうです。その道をたどりました。


 さっそく、住吉神社に私の車を置いて、川を渡って、小字・茶木原へ向かいました。
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この「茶木原」という地名は、長井作治さんの『岩屋史考』によると、“年貢トシテ米 木炭 製茶ヲ献納シテイタ頃 良質ノ茶ノ産地トシテ知ラレテイタ所カラノ呼名ダト云フ”とあるので、もともとはこのあたりでお茶を栽培されていて、そこから地名がついたそうです。

茶木原橋を渡ると、すぐに「塞の神」があります。その塞の神さまには、私の小さい時からの記憶にはいつも注連縄が張ってあったと思うのですが、いつの間にやらなくなっていました。そして、最近は、この時期限定でイルミネーションが施されています。
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その「塞の神」についてですが、『神崎見聞録』には、
 “岩屋の氏神様である住吉神社の東、越知川の右岸沿いには大きな岩があります。そのふもとには昔、加美町に通じる里道であり、また、村の入口になっていました。岩の下部のくぼみに祠があり塞の神は村里の入口であり外から襲う悪霊を防ぐ境の神、道の神で、のちに旅行安全、縁結び、子授け、安産の神として広く信仰されたそうです。
 明治の代に住吉神社に合祀されましたが、昭和の末に再びここにお祭りされました。自然石の大岩そのものが御神体として崇拝されてきました。昔は岩の上で祈祷がされ、炬火が投げ下ろされたりしていたそうです”
とあります。

そんな塞の神さまを眺めて、その下のお堂を眺めて、
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(どうやら、お大師さんがおまつりされているようです)
茶木原を抜けて、いよいよ山です。

鹿柵には、何故か鬼のお面が・・・・。私は何でこんなところに?と思っていましたが、やまあそさんは予想通りちゃっかり顔にはめておられます。
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(この鬼のお面は魔よけなんでしょうか・・・?)
そこから林道をあるきました。
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しばらく林道を歩いていると、左手には道らしきものがあります、これは塞の神のあたりにつながるようです。
(家に帰ってから気がつきましたが、私が持って歩いた10000分の1の地図には載っていなかったんですが、越知の藤原さんから頂いた地図には、塞の神さまのすぐ南側に点線があり、いも峠に続いているように見えます。『神崎見聞録』の「塞の神」には“ふもとには昔、加美町に通じる里道であり、また、村の入口であり・・・”という記述とあわせてみると、おそらく、この点線の道が粟賀の庄の人たちが多可町方面に行く時に歩いていた「京街道」の一部だと思われます。)

そして、茶木原からの林道は大屋坂へと延びているのですが、私たちが目指すのは、「いも峠」なので、林道から外れて、大きな谷へ入りました。すると、いきなり砂防ダム×2。
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ここでは、またしても、良い大人の見本をされる・・・。
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そして、砂防ダムの上の方には、ガケみたいなのが見えました。そのガケを目指して、歩いていましたが、木が多いのと、私には急で、いつもの「どういったらええん?」状態になりました。
途中に、炭焼き窯の跡発見。
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ほんで、急なとこを登りきったら、尾根に出てきました。
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ここは雑木ばかりでで、快適に歩けました。
尾根を進むとさっきの砂防ダムの谷と繋がっていて、そこからは根宇野・山田・東柏尾の風景がとてもよく見えました。そこからの風景をしばらく観察してすぐに歩き始めました。
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(桜華園がばっちり見えました)

そして、尾根の一番上(?)のところに、なにやら林道が・・・・。
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(越知の藤原さんのお話では、ここが私たちが探していた「いも峠」だったそうです)しかし、岩屋の区長さんからは、もうひとつ北の尾根だと聞いていたので、私たちはここが探し求めていた「いも峠」だと知らなかったので、それほど感動せず、むしろ、こんなところに林道があることにぷりぷり怒りながら歩きました。どうやら、この林道はいも峠を拡張して作られたような感じです)

林道から外れて、山の上に見える鞍部を目指して、歩きました。
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私たちはこの鞍部が「いも峠」だと思い込んでいました。
道があるようなないようなところを歩いて・・・・やっと「いも峠(だと思っていたところ)」につきました。
私は、嬉しくて、たくさん写真を撮りました。
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(探し求めていた「いも峠」だと思いこんでいて、喜ぶ私)

ほんで、そのまま反対側の谷へ下りていきました。

谷を歩き続けると、旧高坂峠にでました。最近、気が付いたことですが、「高坂=多可坂」だそうです。
「京街道」は、いも峠から桜谷には入るのですが、時間の関係で、今回は桜谷はパスして、旧高坂峠を歩きました。
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そして、峠近くになったときに。そういえば、地図ではこのあたりに「不思議な丸いもの」が載っていましたよね~という話から、それを見に行くことになりました。
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(地図でみるとこんなかんじ。中央の丸いものが、いったい何なのか気になっていました)
それは旧高坂峠からちょっと外れたところにあります。
その不思議な丸いところへ続く道を歩くと・・・・

そこには、なんと火薬庫が。
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(藤原さんの話では多可町の火薬会社のものだそうです)私は火薬庫なんて、初めて見たから、なんだか怪しげな雰囲気の場所になにか惹かれて見ていました。

そして、いよいよ高坂峠へ。
峠から「桜谷から続く谷」をみていましたが、上から見た雰囲気では、道があるのかないのか・・・・。(藤原さんのお話では、「峠の松」というのは、この谷を少し下りたところにある場所だそうです。昔(昭和15年ぐらいまでは)ここに、大きな松が3本あり、峠を越す人の目印であり、休憩する場所だったそうです。その松はとても立派だったので、これを保存するために、幕府より保存するように命令があったようです。
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(ここが、桜谷から続く「京街道」です)

そして、左手には飯森山への道が、
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右手には笠形山への道がありました。
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(また、いつかここから笠形山に登りたいな~)
私が、千ヶ峰~笠形山縦走なつかしいなぁとつぶやいていると、やまあそさんはどうやら昔に千ヶ峰~金蔵寺までマウンテンバイクで縦走されたとのこと。すごいですねー。自転車ですか・・・。


高坂峠は昔は「石仏峠」と呼んでいたそうです。ここには、子安地蔵さまと無縁仏さまがいらっしゃいました。
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そして、金蔵寺へ続く京街道へ。
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(いまは、林道になっています)
やまあそさんは10年ぐらい前の千ヶ峰~金蔵寺マウンテンバイク縦走のときにここも走られたそうですが、全く記憶がないとのこと・・・。この道は関電の巡視路へつながる道でもあるそうです。いたるところに巡視路の看板有り。
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ルンルンと林道を歩いていると、なんと途中道が崩れている!!
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それを越えました。(こわかったけど、岩屋のいも峠付近の斜面よりはマシでした)
歩いた斜面を振り返ってみると、意外と急だったことに気がつき、自信がでてきました。
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(ほっとする私)


そんで、だらだらと歩いていると舗装された林道にでました。けど、お腹がすいてきたので、ちょっと林道にもどってお昼ご飯を食べました。

舗装してある林道を歩いている間、右手に見える入相山~笠形山の間のピークの観察をしつつ、法道仙人のことや、牛頭天王のことや、蛭子神のことを聞いていると、いつの間にやら林道を歩きすぎて、金蔵寺へ通じる道を行き過ぎた様子・・。
Uターンして地図を確認して、金蔵寺へ通じる道を坂さがしましたが、それらしき道はすぐに見つかりませんでした。地図をみると、どうも、この林道の「のり面」を歩くようでした。
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(ここをのぼらんとあかんのん?と心の中でつぶやく私)

高所恐怖症の私は、ぎゃーぎゃーいいながら、のり面を歩きました。
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(自分が何を叫んでいたのかはもう覚えていません!)

そして、のり面を登りきると、いい尾根道が現われました。
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気持ちの良い尾根道を歩き続けると、急に、祠が現われました。
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どうやら、金蔵寺の裏山にある四国八十八ヶ所を模した石仏のようです。
それを見ながらお寺のほうへ歩いていくと、急に護摩焚きの跡が現われました。
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(熱つつつ??)
その前には、お不動さまと役行者さま
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(今日歩いている途中に他にもたくさん出会いました)


そして、金蔵寺へ入ってゆきました。
裏には、熊野権現さま。
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境内には薬師如来と書かれた赤色の旗がたくさんたっていました。
入口には、石灯籠と狛犬がありました。
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お参りする前に手を洗おうとしたら、水が凍っています・・・。
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勺でこんこんと割ろうとしましたが、けっこう分厚く凍っている様子。
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(本堂はとても立派でした)

お寺をお参りした後は、旧参道から的場に降りようとなりました。
やまあそさんが、こっちが旧参道やと思うと、言われるがままについていくと、だんだん怪しい様子・・・。私は心の中で、地図にのっとる道と違うんとちゃうん?とおもながらも、仕方なくついてゆきました。
もう道がないかも??というあたりで、急にやまあそさんが頭上にあるガケに何かを発見されて、そこに近づかれました。
私は、やまあそさんがその怪しげな雰囲気のところにいかれるのを、私はびくびくしながら下からみていました。ほんで、歩かれている様子をみていて、自分でもいけそうな範囲だったので、よじ登りました。
少しよじのぼってみると、怪しい看板。
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その怪しいガケは「行場」のようです。(この「蔵王」という文字を見たときに、林道と三国岳で聞いた「蔵王権現」のお話が、脳裏によみがえりましたが、ややこしいので、聞いたお話がすぐにどこかへとんでゆきました)
鎖がありました。

さっそく、やまあそさんはぶら下がって(?)います・・・。
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(あーこわ。これを見たときに、私の頭の中では、法道谷の行者穴の横にあった、ロッククライミングのあとがよみがえりました。)
寄り道でしたが、初めて(?)行場を見たので、嬉しかったです。
なんで、ここに行場があるのをしっとっちゃったんですか?聞いたら「ここに来るまで知らんかった。今日、はじめてきた。」といわれました。きっと私ひとりなら、ここへはきていないでしょう。というか、こんな風景をみても岩の鎖が他のツルと同化しているので、行場があることに全く気がつかなかったです。
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(下からみた行場。写真中央に鎖があるのですが・・・・)

この行場のあるところから的場に下りることが難しそうなので、別の道を探しました。
けど、分からなかったので、お寺の奥さんにお伺いしました。

そしたら、本当の旧参道を案内してくださいました。そして、さっきの鎖の行場の説明をしてくださいました。
どうやら、あの鎖を登っていくと、上にさらに鎖があって、それを登ると奥の院があるそうです。私たちが見た鎖を登るのが無理なら、横にある沢(?)をよじ登っていけば、上に行くことができるそうです。奥の院がある聞いて、行って見たいですが、あのガケ自体もその横も登る勇気も体力も全く私にはありません!!

そして、お寺の入口にあった、道標の説明をしてください、そして、これがもともとあった場所を教えてくださいました。もともとあった場所は崩れやすくて、ここに移動されたそうです。
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(この道標には「右 大や 北條  左??(よめませんでした) 中村  道」とかいてあるそうです)

 そして、丁石を横目に旧参道を下りてゆきました。

途中の山が開けたところからは、妙見山や白山が見えました。最近、ここをやまあそさんとTQFさんが歩かれたそうで、私は、こっち方面の山は(というか、地名さえも)全く理解できていないで、いろいろと教えていただきました。
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(すでにどのピークがどの山かよくわかりません・・・。この一番奥に見える山々の中に妙見山と白山があるそうです。)

旧参道をずんずん下りてゆくと、水の行場がありました。
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(どうやら、この谷を遡るととさっきの鎖の行場にいけるようです)

さらにどんどん下りてゆくと、途中林道とぶつかりました。私は、おもいきり林道を歩きそうになりました。(おそらくひとりなら、そっちへいっていたでしょう!)

そして、鹿柵をくぐって、無事に山から的場の里に下りてきました。
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里に下りてきてすぐにあった、蓮華寺を散策して、
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駐車ポイントへ帰ってきました。
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 やまあそさん、この日も、大変、お世話になりました。
ひとりで行っていたら、とんでもないことになっていたでしょう!
それに、おもしろいお話をたくさん聞かせていただきました。
けど、私はどうも耳が遠いのと、頭の回転が遅い(というか世代がちがう?)みたいで、言われていた半分ぐらいのギャグしか聞こえてなかったし、理解できていなかったと思います・・・(笑)

 今日歩いて、見て歩いて分かったこともたくさんありました。
今度はぜひ、粟賀の庄の人たちがかつてあるいていた「塞の神」のすぐ脇の道から、本当の「いも峠」を通って、桜谷から峠の松を通る、京街道をあるきましょう!


 そして、長井作治さんの『岩屋史考』には“遠イ昔コノ笠形山ヲ中心ニシテ山岳民族ガ住居シテイタノガ始マリデ北側ノ斜面モ今ヨリハ綾ヤカデ南側ニハ笠形神社 北側ニハ金蔵神明ト神ヲ祀リ山岳信仰トカノ生活ノ支ニシテ暮タシテイイタモノト思ワレル 北側ノ神明谷ハ土質ノ関係上其ノ後何回カ山崩レガ起キ今デハ剣シイ斜面ニ成ッテイル 奈良時代ノ山崩レデ金蔵神明ノ社モ押流サレ只一ツ金蔵ノ紙ノ御幣ガ多可郡的場ノ山中ノ高イ木ノ上ニ引掛ッテイタノデ其処ニ祀ラレテタト伝説トシテ伝ラレテ聞イタガ 的場ノ金蔵寺ノ案内書ニハ天平三年(西暦七ニ六)笠形寺ヨリ湧出シタル六糧ノ黄金仏薬師如来ヲ当方面地紙ガ導キ祀ッタ音ガ記サレテイル”
 また、“神明神社ハ明治時代ノ神社合祀令に従ッテ村中ノ現在地ニ移サレ神明谷ニハ何時ノ時代カラ茲ニ祀ラレテイタノカ屋敷趾ノ石垣ハ今デモ残ッテイル”とあります。
 これを読んでいたら、神明谷あたりも、歩いてみたらおもしろそうな感じがします。欲張らずに、まずは「いも峠」再チャレンジでしょうか・・・・。

 『おちの里史誌』には、
 “的場金蔵寺の縁起には次のように記されている「当山は、播磨の国笠形山に湧出した身の丈わずか一寸八分の黄金の薬師如来が、熊野権現と共に当山に移られたのを、大和大峯山の役行者が御仏のお告げをうけ和銅弐年(730)に登山され、この黄金佛を拝して自ら等身大の仏像を刻んでこの尊像を胸に安置し、里人に財施を請うて本堂を建てられた。爾来、金蔵山金蔵寺と称するようになったと伝えられている。
 また、一説には、当山のご本尊薬師如来はその昔、孝徳天皇の時代(645~654)に当播磨の国笠形山に湧出した身の丈一寸八分の仏様で、その身から放たれた光はあらゆる場所や方角を照らし行きわたらないところはないところはありませんでした。とりわけ高砂の曽根浦の海峡では、その光があまりにも明るいので、魚類が驚いて散ってしまったため漁師たちは漁をすることができませんでした。浦人はこれを嘆いて神の助けを願って、熊野権現に心をこめて祈りました。貴いかな、神様は即座に笠形山に来られて沢山の草を集めて、その光をおさめられました。
 やがてまもなく薬師如来が金蔵寺に飛び移られたので、神様も後についてこられました。こういうわけで、いまなお境内には熊野権現の社殿があります”と書いてありました。
今日、私たちがみた、金蔵寺の境内に熊野神社があって、薬師如来の旗があって、役行者さまの像もたくさんあったのは、こういう由来だったのか~とよくわかりました。


 生野町方面はよく伺うので、いろいろと分かってきたことが多いですが、私は多可町方面はまだまだよく分からないことだらけです。今回いろいろ調べてみて歩いて、つながりもいろいろ見えてきて、おもしろそうな予感がします。
 

 追伸:今回のレポートは多分今までのなかで一番長いと思われます。
歩く前に聞き取って分かったこと、歩きながら分かったこと、歩いた後に聞き取って分かったことがあるので、そういうふうに書けば一番読みやすくなるか頭の中で整理しながら書いていたので、苦労しました。
私の手元は地図と資料だらけです。歩くのは気持ちよく疲れますが、頭を悩ませながら書くのは心が疲れました・・・。
こんなだらだらした長いレポートにお付き合いいただき、ありがとうございました。
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by deity_river | 2010-12-27 22:52 | ふうけい

 『おちの里史誌』の交通の文書を読んでいると、こんな記述がありました。

一.粟賀の庄より安楽田の庄に通じたるもの。(峠の松)
  根宇野村より岩屋茶木原を経て「いも峠」を越え桜谷より石仏峠に至り更に金蔵山より的場に下がる。かくして他種部落を避けたる路線あり、是れ昔時の京街道とみるべし。

 明治の初年村道改修の事あり本村より多可郡松井の庄に通ずる高坂の改修をなし現在の位置に変更改築したり。(松の峠を保存すべく幕府の命あり)岩屋村日役を称して奉仕事業に依る。


京街道にある「いも峠」というところがいったいどこにあるのか気になっていました。
まえに、気になっていたときには、この文書と地図とをにらめっこして、自分なりに「いも峠」と呼ばれそうなところを勝手に想像して、納得していたので、自分の中で解決していました。

 しかし、やまあそさんから、急に「桜谷」やら、「石仏峠」というのはどこやろうね~」と問いかけを頂き、再び、「いも峠」について再調査することにしました。
というのも、加古川流域に住むやまあそさんが、「多可町で、聞き取り調査にいってきます」とゆうてんで、私の心にライバル心がメラメラと燃えはじめました。「なら、自分は越知谷側(市川流域側)から、『いも峠』について調べます!」と言ってしまいました。
しかし、いつもの悪い癖で、なかなか調査にいけません。
先に、やまあそさんが、聞き取り調査にいってこられて、ええ収穫があったわという報告聞いて、再び、メラメラした気持ち(競争心?)に火が付きました。

私の気になっていっていることは、「いも峠」、「桜谷」、「石仏峠」の位置と、この文章の出典はどこなのかということです。


 まず、私は、誰に聞いたらこの答えに近づけるのか考えました。
最初に、私の作畑学の師匠の誠太郎さんの顔が浮かびましたが、前に、「こんな道しらんなぁ」という話を聞いたことがあったので、とりあえず、山のことには詳しい祖父に聞きました。
しかし、祖父からはまったくヒントが得られませんでした。祖父は生野の青草峠や白口峠、梅ヶ畑越え、東には市原峠や多田坂は通ったことがあるそうですが、この道は知らないとのこと。残念。

そして、作畑を散歩している時に、作畑で一番長老(?)のやまだの賢二さんに伺いましたが、「さー、しらんなぁ・・・。」とのこと。やはり、祖父と同じで、作畑から東へ行くのには、市原峠か多田坂を使っていたそうです。作畑はこれ以上聞き取り調査をしても、なにもヒントが得られそうにありません。
どうしよう・・・と思ったときに、この本を頂いた越知の郵便局長さんなら、この本の書いている方をご存知ではとひらめき、聞きにいきました。
局長さんからは「それなら、編集委員長が越知のMさんだから何かご存知かも・・・」と、伺い、Mさんを伺いました。

Mさんにこの記事のことを質問しましたが、よく分からないとこのお返事を頂き、こういう昔のことは越知の藤原さんがくわしいし、岩屋地区のことだから、岩屋の方に聞くのが一番。区長さんなら何かご存知では・・・とお答えを頂きました。

 
そして、岩屋の区長さん宅を訪問しました。
そしたら、区長さんと奥さんが快く私のお話を聞いてくださいました。
私が、『おちの里史誌』のそのページと地図を提示して、質問しました。私が、自分なりに考えた『いも峠』を説明したら、区長さんは「ちょっと待って」といわれて、どこかへ行かれました。
帰ってこられたときには、大きな地図をお持ちでした。それは、岩屋地区の山の地籍調査をした時のものだそうです。
その山の地籍の地図を見ながら、「いや、それは違う。あんたがゆうてる峠は『大屋坂』や」といわれました。
え~!!今の今まで、そこが「いも峠」だと思っていたので、目から鱗が落ちたような衝撃でした。
大屋坂と聞いて、私は「養父の大屋町?」と思って、いたのですが、私が口に出すよりも先に奥さんが「養父の大屋ちゃうよ」とゆうてくれちゃったです。そういえば、前に笠形山に行った時に、帰りはNご夫妻とYさんと一緒に大屋コースを下りたことを思い出しました。八千代町の大屋へつながる坂ということでしょう。

そして、地籍の地図を見ながら別のルートをさされました。ここも峠や。
私の神河町全図の岩屋あたりを見ました。確かに、そこには点線はないですが、区長さんの指す指の先には峠のようなところがありました。
「ここをあんたの探しとる『いも峠』っちゅうのんかは知らんけど、ここは昔、通りよった道やで。わしも10年ほど前にここを歩いたな。そして、ここが「桜谷」。これはまちがいないな。“茶木原からいも峠を通って、桜谷を通る”っていう言葉に合う道はこれのことやわ。ほんで、石仏峠っちゅうんはわからんけど、昔、岩屋の人はよう金蔵寺にお参りにいきよちゃったんやけど、この道っていうのはきいてるで~」と地図を指さしながら教えてくれちゃったのです。

えー、ここがその本に書いてある道ですか!とひとりで興奮していると、区長さんが、玄関を出られて、家の前に見える山の風景を指さしながら教えてくれました。
「あれが笠形山。笠を被っとるように山頂が丸いやろ?ほんで、あそこが茶木原、これをまっすぐ上がると大屋坂。ほんで、これがあんたが探しとる「いも峠」やな。ここから見たら全部近いようやけど、山田や根宇野の方からみたら、もっと地形が分かりやすいで」とアドバイスしてくださいました。
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(笠形山を神子ヶ谷からみる)

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(区長さんいわく、写真左のほうのタワになっているところが「いも峠」だそう)



そして、根宇野のあたりから、いも峠と大屋坂を観察していました。
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(一番左のタワが「いも峠?」で、右の大きなタワが「大屋坂」)


こうやって、いろいろ聞き取るのは楽しいですね。
聞き取っていたらますます歩きたくなりました。

突然、訪問したのにも関わらず、越知の郵便局長さん、Mさん、岩屋の区長さん、私にいろいろ教えて下さってありがとうございます。これで、心のひっかかりが取れました。
伺ったお話を参考に歩いてみようと思います。

ーーーーー

 上の文書を書いてから、『おちの里史誌』の私が気になっていたこの文章を執筆された越知の藤原さんにお会いしました。
藤原さんのお話では、岩屋区長さんから聞いた「いも峠」との位置とはすこし違いました。
区長さんより、手前(南)の場所を指されていたし、「桜谷」ももうすこし広範囲でした。
どちらもだいたい同じようなところでしたが、微妙に違っていたので、おもしろいなぁと思いながら伺っていました。

この実践編は区長さんからのお話を参考に歩きましたが、レポートを書くときには藤原さんからのお話も入れながら作成中しようとおもいます。
いろんな方に話を伺ってみないと分からないことと、たくさんありますね。
レポートをおたのしみに・・・。(いつできあがるのやら)

 
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by deity_river | 2010-12-22 23:28 | ふうけい

 私が、「うちやまさん」に初めて行ったのは、昨年の10月19日。生野なんて、ほとんど知らなかった私が誘われるままにやってきて、なれない山歩きにあくせくしながらもなんとか、みんなの後を追いかけて、昼食を食べたのが、そこでした。

 ここに内山寺があるということも知らないので、その歴史はしらず(しかも、廃寺だとはおもいませんでした)、神仏分離も廃仏毀釈も法道仙人も間歩のこともさっぱり分からず、とりあえず、このときは「昔はこのお寺はすごくて、いろんな人が石仏を寄進されている」ことがよく分かったウォーキングでした。このときは、何がどう分かったのかはそのときはよく分かりませんでしたが、山を歩くことの楽しみはよくよく体感しました。
 それから、奥銀谷自治協の方たちや、PSWさんと子ども達といろんなコースを歩いたり、守蔵さんの『うっちゃまさん』を読んだりして、ようやくいろいろとわかってきました。

 そして、少し前に、PSWさんから、佐藤文夫さんが『うちやまさん物語』をまとめているらしいという情報を聞き、無理を言って一冊おすそ分けして頂きました。最初に読んだ時、正直言うと、けっこう個人名が書かれていたりして、内容が半分ぐらいしか、分かりませんでした。
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 しばらしくて、「内山寺の参道に看板を立てる活動を奥銀谷自治協議会すこやか部会でします」という情報を頂き、興味があった私は、役に立つのかたたないのかよく分かりませんが、きっとこの地域で語り継がれることになるだろうこの活動を一目見たくて、部外者ながら参加してきました。

 この看板立ては、文夫さんが本を書かれたのがきっかけだそうです。せっかく本を書いたのにその場所が分からなくなってきているということで、文夫さんが、個人的に看板立てをする予定だったそうです。しかし、それを聞いた地域の方が、「それならぜひ地域をあげてしましょう」ということで、自治協ですることになったそうです。こうやって、地域の方をたくさん取り込んで、地元を盛り上げようという活動はすばらしいですね。


 集合場所は、奥銀谷自治協議会事務所(かながせの郷)前。
区長さんからの挨拶のあと、うちやまさん物語の著者である文夫さんから挨拶があり、事前に作られた看板ととりつける道具をそれぞれに背に担いで、山の中腹にある内山寺まであがります。
この看板は、なんとなんと、たきわらの井上製材所さんで加工されたそうです。
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みんな、担いであがります。
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(ちなみに、私は看板ではなく、ドリルを持ってあがりました。これも、また重い・・・。)

1週間前に打たれた杭のところに看板をとりあえす置きながら内山寺への参道を歩きました。
そして、取り付け開始。
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皆が看板取り付け中の間、私は、『うっちゃまさん』を読んでいるときに、今度きたらやってみたいなぁっと思ってきたことをしていました。それは、今昔写真です。
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(写真比較だと、見えないものがみえてくるような気がします)


こんなことをしていると、昔、この内山寺で、修行をされていたというFさんからいろんな思い出話を聞きました。
そして、みなさんは、昔、この内山寺から鷲原寺までが小学校時の遠足やったなーって懐かしそうに話されていました。わたしも、途中(指さし石)までいったことありますが、けっこう細い道のところもありました。この道を往復していたそうです。


そして、熊野神社の方へは、初めて行きました。
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神社と寺の間には古井戸が・・・。
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私が、「こんな標高が高いところでも井戸水が取れるんですね~」っと思わず、つぶやくと、「竹田城にもあるやん」と言われました。確かに、ありました。なるほど。井戸には標高は関係ないんやなぁ。


そして、山を登ってくる時にとりあえず置いただけの看板を取り付けながら下りてきました。
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(この「金掘りの道」というのは、この道をいくと中央分水嶺に繋がります。ここにもたくさん間歩があるそうです。夏にそのうちのひとつをヒルとお友達になりながらウォーキングしました。)

のぼりは気がつかなかったけど、右手にないやら間歩らしい穴が・・・
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シルバーガイド服が制服のAさんと覗いて見ましたが、どうやら、中に穴は続いていませんでした。ただの祠なのか、穴がつぶれたのか・・・・。

無事に看板を取り付け終わったとは、かながせの郷で、懇親会に参加しました。
ここでの演奏会は、とてもおもしろく、よく笑わせて頂きました。
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(河原町稲荷に1200年前から続く、由緒正しき般若心経聞きました。心経がコンサートになるなんて・・・!!私ももちろんみなさんと一緒に心経をあげました)
そして、そこで、ちょうど1年前の今日、一緒に法道谷~もっつい山~直谷をあるいたハヤキ姉妹と再会。

今日のさいごは、さっき聞いた心経をあげている河原町稲荷を見学しました。
この河原町稲荷には、相沢稲荷も合祀されているそうです。
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(この相沢稲荷は八丁ウォーキングに行ったときに見ました)


そこから続くトロッコ道を見ながら、ここでの懐かしい思い出を思い出してました。
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(これが奥銀谷の川向こうのトロッコ道。木が生い茂ってみにくいですが・・・。)

そうそう、3年ほど前にここにやってきたときに、川向こう(奥銀谷の家のほう)からカメラを撮られました。
当時は、今、誰かに写真とられたな・・・と思っていただけですが、まさか、その数年後にその写真を撮った方と出会うとなんて思いませんでした。それは、なんと、PSWさんだったのです。
世間って狭いんやなぁと思いました。
そんなことを思い出していると、どこからかリズミカルな太鼓の音が聞こえてきました。
おそらく、かながせの郷からだったのでしょう・・・。


 奥銀谷自治協議会すこやか部会のみなさまおつかれまでした。そして、緑ヶ丘の女性のかたお世話になりました。
 この地域のお宝が、こうやって地域の方の手によって、輝きを増すことは、素晴らしいことです。
それに、看板ができたことで、地域の方にも守っていかないという気持ちが強まったと思います。
いろんな意味で、刺激になった一日でした。ありがとうございました。
 それに、今日、一緒に看板立てに行ったことで、『うちやまさん物語』をほとんど理解できるようになりました。実際に歩いて見て、思い出話をその場所で聞いて、さらに内山寺について理解することができたのです。ただ本を読むだけなら、すぐに忘れてしまう私の頭ですが、しっかりと記憶に刻むことができました。

内山寺との思い出を後世に伝えていくのは、非常に大事なことですね。
内山さんとの思い出を特にわたしに話してくださったFさんの表情はとてもいきいきされていました。


 そのうち、鷲原寺まで整備されたらいいなぁ・・・。(途中、細くて恐いとこあったから)
子ども達をつれて、昔、おじいちゃん達が小学生のとき、学校遠足はこの道やったんよ~なんて言いながらあるいたら、それこそ、子ども達の心にいつまでものこるんじゃないかなぁと思います。

ちなみに、祖父が井上製材所で働いていた頃で、まだ、内山寺に観音堂があった頃に、内山寺にお参りに行ったそうです。
しかも、小野の熊野神社が内山寺から鉄索で下ろされたことも知ってました。
(けど、祖父より世代がひとつしたの作畑の親類のおいさんに「奥銀谷の内山寺行ってきたんよー」ってお話しましたが、唯念寺はご存知でしたが、内山寺は全くご存知なかったです)

祖父は本当に、わたしの行く先々、どっこもかしこも行ってる・・・。祖父、恐るべし。
やっぱり、私のウォーキングは『祖父の軌跡をたどる』ことです。


そして、今日も、千ヶ峰の山頂を眺めました。
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by deity_river | 2010-12-05 22:23 | しゅみ

地元の暮らしの様子や日々思ったことを更新中。なくしたくないものがたくさんあるから。