2010年 07月 22日
今年の観音祭は晴れでした。
「観音祭が終わらんと、梅雨があけへんで」という言葉は小さい時から、祖母からよく聞いていた言葉でした。それに、あるお母さんからは「雨観音ってゆうな、観音祭の日はよう雨がふるんや」と聞きました。
確かにそうです。去年はすごい雨でした。観音祭で恒例の灯籠流しも、大丈夫やろうかーと心配する声をよく聞いている気がします。しかし、今年はちょうど観音祭の日に梅雨があけて、「晴れ観音」でした。
観音祭は、毎年7月17日、18日に行われ、この時だけ、年に一度の御本尊のご開帳されます。(毎月17日には観音講が行われていいますが、このときはご開帳されません。)
昔は17日18日を決まっていましたが、連休の関係で、最近は7月の海の日を含む連休のどこかで行われます。今年は18日と19日でした。
観音堂が開かれたら、さっそく1年ぶりとなる観音さまを拝みに行きました。
私が行く頃には、観音総代さんたちと観音講当番の方はすでに準備を終わられていて、番をされていました。(準備の様子は去年のものを見てください)
そして、はじめまして、四天王さま。去年、私は恐くて、四天王さまを写真におさめることが出来ませんでした。ようやく、1年越しにやまあそさんからの宿題を完了しました。
さてさて、その四天王さま、普通はお顔の色が黒、青、赤、白とやまあそさんから聞きました。けど、作畑は白、赤、緑、青です。何故でしょう?けど、観音堂内にある四天王さんの説明には、きっちり「四方向を守る四神」と書いてありました。
夜には、まず、灯籠流しが「ゆね(井根)橋」付近で行われました。
私の小さい時は、井根橋と下村橋と毎年交代で行われていたと思います。
灯籠流しを見た足で、そのまま観音堂へ行きました。
昔は、観音祭の時には、芝居や踊りを方を呼んで盛大にしていたそうです。私の小さい時には福引もありました。けど、今は大変なので、個人の方と消防団の方がお店を開かれています。芝居や踊りの方がこられていた時は、着替える場所がないので、観音堂のすぐ下にあるウチの家が控え室になっていたそうです。そして、中には寝泊りしている方も・・・。それも昔のお話です。
夜も更けてきたところで、観音祭のメインの「御詠歌」をあげる時間になったのですが、どうやら、御詠歌と観音経をあげられる方が誰もいない??去年は祖母が先達をしていましたが、祖母はちょっと体調不良。そして、村一番のはーちゃんさんも体調が悪いとこのこと・・・。(翌日に偶然お会いしたら、「今まで観音講はぜっぺい行くのに、今年は行けなんだことが悔やまれるわー」と言われていました。)
なので、今年は足立の富大工さんの元で心経を3回上げて終わりました・・・。
心経終わったあとは、観音講に特に熱心なお母さん達から昔話をいろいろ聞いて、それぞれ解散しました。
けど、観音総代と観音当番の方々は寒いのに、観音さまが何者かに盗まれないように、寝ずの番です。ご苦労様です。結構遅い時間まで、私の寝ている部屋まで、声が聞こえてきました。
翌日の午後からは「村祈祷」です。
朝は村祈祷の準備中です。村祈祷の時には、観音さまの前に村祈祷用の掛け軸がかけられます。
こちらでは、女性が村祈祷の後に頂くおさがりを準備されていました。
昼過ぎに、みんな集まり出し、岩屋、越知、大畑のおしょうさんを招いて、拝まれました。
みんなで、心経を3回唱えてから、観音経をあげられました。そして、大般若波羅蜜多経の虫干し作業へ。
みんな経典をぱらぱらーと振って(めくって?)、虫干し作業をされていました。
最後は、みんなでお下がりを頂くのですが、私は用事でおうちに帰りました。
この2日間は、たくさん拝んだ日でした。
観音さま、どうか家族みんな、親戚中も、元気に長生きできるように、家の裏からお見守りくださいねー。
観音祭が終わったら、いよいよ夏は本番です。
by deity_river
| 2010-07-22 22:58
| ぎょうじ