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金香瀬山へいこう!

 さかのぼること2013年12月8日。
やまあそさんが、金香瀬山に行くということで、ついていきました。
今回のコースは、一度PSWさんと見た「相沢稲荷」経由で山頂を目指すといわれました。
やまあそさんは相沢稲荷に行ったことがないので、「ガール案内してや」といわれました。

 PSWさんの家の駐車場に車を停めさせてもらい、出発です。
前回の大持山歩きでアクシデントにあったので、今回からグレゴリーZ30のザックです・

小野大橋を渡ると、小野地区があり、そこの裏山が八長といわれている、金香瀬山の一部です。
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まずは小野地区にある庚申堂を見学。
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そのお堂の横には、六体地蔵と愛染明王がお祀りされていました。(お供えされていたお茶は温かかったです)

そして、沈殿池の横から八長を登って相沢稲荷を目指します。
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(このあたりは相沢町で、明治23年の大水害によって家の半分が破壊され、翌年に選鉱廃石の堆積場になって町自体がなくなりました)

道沿いに歩いていくと、たしか相沢稲荷があったはずなのですが、枝分かれしていて、よくわからなくなってきました。左の道を行くと、相沢町の墓地がありました。やまあそさんには、道案内を頼まれているはずなのに、私が道を間違えてしまいました。やまあそさんに指摘を受けて、右の道を歩くと、相沢稲荷がありました。
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(神さまを呼び出すためのものらしい)


そして、そこから高度を上げていくと、良い道がありました。かつて、鉱石を運び出していたトロッコ道です。それを歩いていくと、尾根に出ました。そこからはたきわら(竹原野)が良く見えました。
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尾根と平行して続く、トロッコ道はとても快適です。(途中、鹿よけネットがあるので注意!)
しばらく、歩くと大きなズリに出ました。これはちょうど、シルバー生野の鉱物博物館の北側になります。
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金香瀬山の山頂を目指すには、このズリを登らなければならないのですが、前回にここに来たときの苦い思い出を思い出しました。尾根近くはとてもさがいので、PSWさんに助けてもらいながら登ったのです。今回は???


ということで、がんばって登っていましたが、途中、こわくて、進めなくなって、やまあそさんに助けてもらいながら登りました。その途中にはたくさん坑口がありました。
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ここから一番の難関です。少し崖のところがあり、両手両足をつかって、登りました。

それを過ぎると、山頂を目指すのみです。しかし、非常に体力をつかってしまい、山頂手前で、足が重たくなり、食事にしました。やまあそさんは、山頂で食事予定だったらしいのですが、私が勝手に食べはじめたので、ここで食事することとなりました。やまそさんは嘆いています。
私は、体力回復したので、それまでよりはずっと楽に歩けましたが、金香瀬山は谷が深く入り組んでいるので、山頂にはなかなか着かない感じでしたが、やっとの思いでつきました。
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(むかし、作畑から生野へ歩いているときに、白口地区のおばあさんから「金香瀬の谷に入ったら、ややこしいで、いったらあかんで」と聞きました。まさにその通りでした)

そして、おやつを食べた後は下山です。
やまあそさんは、作畑道というところへ降りたかったそうですが、天候が悪いので、最短コースの観光坑道の露天堀のところに降りるコースで下山。
私たちが降りるコースには、金香瀬山登山コースの看板がありました。
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途中の谷には石垣がありました。
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降りてきたら、大きな坑口ありました。
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これは坑口というよりも、断層だそうです。この粘土断層に沿って、銀の鉱脈があります。
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(これは大丸坑です)

この大丸坑にはこのような昔話が残っています。

『相沢稲荷の信仰奇談』
 文政12年も終りの12月7日のことであります。
大丸坑にもあちらこちらの待ちから坑夫が集まり、相沢町の坑夫もそのなかに交って働いていました。ところが、”手子”と証する坑内の手伝い少年が突然大声で叫びました。
「相沢が火事やー、家がみんな焼けてしまうぞー。」
「はよう鋪(坑内)から上がって、去ねよー。相沢が火事やー。」
と連呼して地団太踏んで狂い回るのでした。この叫び声は坑内いっぱいに響き渡りました。
 これを聞いてびっくり仰天したのは相沢町の坑夫たちで、これはたいへんと転ぶようにみなが飛び出し坑口を上下するのも無我夢中で、ようやく明かり(外地)にたって相沢の方角を眺めまわしても煙も上がっておらず、坑口にある銀場(事務所)では詰役人や定番(山師雇用の責任者)たちは別に変わったこともないもののようにしているのです。
「お定番、相沢が火事やー。去なしてもらいます。」
というのももどかしげです。この様に役人が一喝しました。
「たわけ者。何が火事だっ寝ぼけとるなっ。早く鋪に戻ってしごとにかかれいっ。ぐずぐずをなまけて仕事をせぬとようしゃはせんぞっ。」
勢い込んでいた坑夫たちはまるで狐にだまされたような思いで、大笑する役人らの声を後にして、急いで引き返し、持ち場の鋪へ入ろうとしたその一瞬、不気味な地鳴りとともに濁り水が滝となってすごい勢いで噴出し、見る見る中に充満したのであります。これはその付近の古鋪に長年溜まっておった水が噴出して起こった事故で、坑夫が掘り進んだことにより岩肌が裂けたのでした。これは、最も恐れられている災厄の一つでした。
 この恐ろしい光景を目の前に見た相沢の坑夫たちは、腰も抜かさんばかりに逃げて走り、息も絶え絶えに坑口へ出たのです。しかし鋪にいた多くの人は哀れにもそのまま溺死してしまいました。
 さて、相沢町の坑夫たちが腑に落ちないのは、初めに相沢が火事だと知らされてくれた手子の行動であります。一体どういうわけだ問いただすことが肝心であると、その手子に事情を聞いてみましたところ、その手子もはっきりとしたことは覚えておらず、ただその時、「一人の白髪の老翁がどこからともなく現れて、相沢が火事であるから早く知らせてやれと言って姿をけしてしまった。他のことは何も知らない」というだけで、後は何をたずねても覚えていないと泣き出しました。
 その時、分別のありそうな坑夫が仲間の一人が声高ににいいました。
「おーい、みんな、わかったぞー。これは日ごろからわしらが信心する相沢稲荷さんがよう、老人にばけて助けに鋪へきなしたんじゃ。わしはそれに違いなえと思うが、みんなそう思わんかう、どうじゃ。」
と一同を見まわしました。
「そこまでは気がつかなんだが、おまえのいう通りに違いなえ。ああなんというありがたいこっちゃ。命をお助けしてもろうて、ほんまにこんなにうれしいことがあるか。ああなんという冥加もんじゃ。」
といいながら涙を流して喜ぶのを、一同は口をそろえて賛同しました。そして般若心経を誰かれとなく声高らかに唱えながら、稲荷さまの方に拍手し、三拝九拝するのでした。
 それ以来、相沢町の人々はこの霊験あらたかな相沢稲荷さんの祭礼を厚くし、ますます信仰を深めた、というのがこの物語であります。  (兵庫県学校厚生会『兵庫県の民話』より)


そして、ほかにもある江戸時代の露天堀跡をみながら無事に下山しました。
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(有名な慶壽ひ)
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最後は、八長の麓で、沈殿池の向こうに見える愛染明王の跡を見ました。
ここは相沢町のお寺があったようです。
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 金香瀬山から市川を挟んで対岸の内山廃寺の参道で、PSWさんが里山づくりをしているということで、見に行きました。このときは、学生さんを呼んで、パーティ中でした。
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奥銀谷は新しい風が吹いているようです。


今回、金香瀬山でたくさんの坑口をみて、まさに、金の香りがする山だと思いました。
観光化されている金香瀬坑を歩くのもいいですが、江戸時代の露天掘りや無数のたぬき堀りの穴をみることでで、生野はすごく銀が産出していたこと、人々がどうしても掘り出したいという執念を感じることができました。
by deity_river | 2014-01-15 20:48 | しゅみ

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